第10話
志乃の家での手伝いを終えたあかねは、タキの家に寄ろうかと思ったが、気後れしてやめた。
凪海が人魚と会っている、と言ってしまったのは、平蔵が罰を受けることになるのが嫌だったからだ。税が半分になればそれはそれで助かるが、それよりも平蔵に罰が下るのが嫌だった。
だが、時間が経てば経つほど、罪悪感が大きくなる。
凪海を裏切ったのだ。人魚に助けられた凪海が、人魚狩りに反対するのは当然だ。囮にされ、目の前で人魚が捕まるところを見るのはきっと辛いだろう。
だけど、とも思う。凪海は『お役目持ち』だ。『お役目持ち』がどんな役目があるのか、実のところあかねはよく知らないが、タキの跡取りという意味合いだろう。ともかく、『お役目持ち』だからこそ、凪海は洲央村の生まれではないのに、優遇されている。羨ましいと思う時がないわけではない。彼女が優遇されるのは『お役目持ち』だからであり、『お役目持ち』だからこそ、村や平蔵達のために、人魚を捕まえるための囮になってしかるべきだ、と半ば自分に言い聞かせる。
それでも、タキの家に足が向かなかった。凪海の顔を見るのが怖い。
あかねが教えたと、タキや平蔵は凪海に絶対に言わないと約束してくれたが、やはりどうしても、罪悪感を拭えなかった。
人魚狩りがどうなったのかについては、家に帰れば分かる。あかねの父も参加しているのだ。
ただ、凪海をおとりにしているから成功率は高いだろう。
それを素直に喜んでいいものかどうか、自分の中で決着が付かないまま、あかねは帰宅した。
「おかえり、ねえちゃん!」
弟妹達が元気よくあかねにまとわりつき、今日あった出来事をそれぞれまくし立てる。
あとでゆっくり聞くから、と弟妹をなだめようとしたあかねだったが、囲炉裏のそばで早々と床についている父親の姿を見つけた。
「父さん、どうしたの」
「とうちゃん、けがしたんだって」
弟が代わりに答える。深刻そうな声ではないが、まだ幼いのであてにできない。
「ちょっと転んでな。手と足、両方ひねっちまった」
父は苦笑いして、起き上がる。頭にも布が巻き付けてあった。
「頭も怪我したの? 大丈夫?」
「なに、かすり傷だ。明日にはこれは取れるよ」
怪我をしたというが、元気そうなのでひとまず安堵する。だが、怪我をするほど人魚狩りは大変だったということだ。
「今日は、どうだったの?」
途端、父が残念そうな顔になる。
「……だめだったよ。あれを捕まえるのは、無理だ」
単に失敗しただけではない、重苦しい口調だった。凪海をおとりにしても捕まえられないのでは、今後はよりいっそう難しくなるだろう。
けれど、父は「無理だ」と言った。人魚狩りの場で何が起きたのか詳しく聞きたかったが、まだ幼い弟妹達の前でする話ではないし、夕餉の支度を手伝わなければいけない。
「ねえちゃんはこれから夕餉の支度だ。おまえ達、とうちゃんが遊んでやるぞ」
まだあかねに構ってほしい弟妹達を幸治が呼ぶ。父が思う存分構ってくれることはなかなかないので、弟妹は歓声を上げて父に飛びついた。
「ちょっと、父さんは怪我をしてるんだよ。あまりまとわりついて、怪我がひどくなったらどうするの」
「えー」
弟妹がそろって不満そうに口を尖らせる。そんな子供達は、父は笑って頭をなでていたが、ふいにあかねを見た。
「手はひねるし、足もな、しばらく歩けそうにないんだ。当分、漁に出られない」
「え」
「すまんな、あかね」
幸治が肩を落とす、
これから当分の間、我が家は大変になるだろう。それに、人魚を捕まえるのが無理ならば、平蔵はどうなってしまうのだろう。
色々な心配事があかねの中を埋め尽くす。無邪気に父に甘える弟妹達が羨ましかった。
●
昭蔵は腕を組んで目を閉じている。タキは、正座した膝の上に両手を重ね、黙ったままだ。平蔵は、そんな二人を落ち着きなく見ていた。
これからどうなる、どうすればいい。これこそは、という作戦が失敗したのだ。いやそもそも、人魚を捕まえるのが無理だ。泡になってしまうものを、どうやって捕らえて、源藤様に差し出せばいい。生け捕りにできたとしても、その肉を口にするなど不可能だ。死ねば泡になる人魚の、肉を――。
人魚をあれほど間近で見たのは、平蔵はこれが初めてだった。他の、凪海以外の者は皆そうだろう。
下半身は魚というよりはいるかに似ていたが、異形の生き物であるのは間違いない。しかし、上半身は人と同じで、凪海と言葉を交わしていた。上半身だけなら人間と変わらない。その肉を口にしようと考えるのは、ひどくおぞましい気がして、平蔵は震えた。
凪海の慟哭と人魚の悲鳴が、今も頭の中で響いていた。
あれは、海神の遣いではなく、人とよく似たものだった。あれの肉を欲していけない気がしてならない。源藤様もその遣いの方も人魚を見たことがないからこそ、肉を得るために捕まえろ、と命を下せたに違いない。もっとも、平蔵達も、間近で見たことなどなかったから、捕まえようとしたのだが。
どうすればいいのか考えようとするが、何も浮かんでこない。成果がなければ、いよいよ自分や昭蔵の身が危うくなるかもしれないのに。
「まさか、泡になるとはな」
昭蔵がようやく目を開き、ため息を吐く。
「わしらとは違う生き物だということだ。昔聞いた噂は、所詮噂だったね」
「……親父、源藤様に報告するのか?」
「それも一つの手だが、信じてもらえるかどうか。なにせ証拠が残っていない。村人に証言させたところで、口裏を合わせたと言われるだけで意味はないだろう」
「生け捕るにしても、元々姿を現さないからねえ」
困ったものだとタキは言うが、言葉ほどに困っているように見えない。昭蔵もそうだ。
「そんなのんきに言ってる場合かよ、二人とも。次に源藤様の遣いが来た時、俺達は殺されるかもしれないのに!」
「落ち着け、平蔵」
「いい考えが浮かぶならそうするよ。だが、焦ったところで益はない。落ち着いて考える方が、いくらかましさ」
むしろ咎めるような目を二人に向けられ、たじろいだ。年の功がそうさせるのか。二人は、凪海達の悲鳴を聞いても何も思わなかったのか。平蔵はとても落ち着いてはいられない。
どたばたとした足音が聞こえ、平蔵はびくりと肩を揺らした。
「昭蔵さま!」
足音は三人がいる部屋の前で止まり、勢いよく戸が開いた。館で働く小間使いの一人だった。いつもなら、部屋の外から開けてもいいかと伺いをたてるのに、それをしなかったのはよほど慌てていたからだと、その前に響かせた足音と、表情を見れば分かった。
「源藤様から、書状が」
手に持っていたそれを、小間使いが差し出す。さすがの昭蔵も目を見開いた。
書状に何が書いているのか分からないが、まるで洲央村を監視していたようではないか。
「……書状だけか? 遣いの方は?」
「書状だけです。各村に届けるための早馬だけが。お急ぎのようで、もう次の村へ行ってしまわれました」
昭蔵は書状を受け取ると、小間使いを下がらせた。
所領の村中に急ぎ伝えねばならないこととは、いったいなんだろう。どこかの村で人魚を捕らえた、という知らせだろうか。それとも全くの別件か、あるいはさらなる無理難題でも突きつけてくるのか。
書状に目を通す昭蔵を、平蔵は食い入るように見つめていた。父の表情はほとんど変わらないので、それがいい知らせなのか悪い知らせなのか分からない。
やがて、昭蔵が顔を上げた。
「源藤様の奥方様が、昨夜、お亡くなりになったそうだ」
「え。じゃあ……」
「人魚狩りはもう必要ないそうだ。皆よく励んでくれた、と労いのお言葉もある」
頭からまっすぐに体を貫いていた棒が、急に消えたような気がした。
「本当に……?」
「嘘を付いてどうする。それこそ、首が飛ぶような嘘だぞ」
「やれやれ、これで肩の荷が下りたね」
息を吐くタキを、平蔵は見やる。落ち着いているように見えても、緊張していたのだ。
平蔵が深々と息を吐く。奥方様が亡くなったのは悲しむべきことだが、顔を見たこともない源藤様や奥方さまの存在は遠い。それよりも、自らの首が繋がったことに安堵した。
安堵すると余裕が生まれ、そこに新たな心配事が顔をのぞかせる。
「……人魚達から、俺達は何か仕返しをされないのか?」
平蔵達は間違いなく、人魚の一人を泡にした。人魚にもきっと家族や仲間がいるだろう。帰ってこなければ、彼らは心配するのではないか。あるいは、遠くから平蔵達のしたことを見ていたかもしれない。
「それとも、海神様が怒って何か災いが起きたりとか……」
今更になって、恐ろしくなる。人魚は海神の遣いとして、洲央村では毎年豊漁祈願祭をしてきたのだ。今まで奉っていたものに矢を向け、銛を突き立てた。人魚だけでなく、海神の怒りを買ってもおかしくない。
「それは、分からん。だが、もしもそうなった時の打つ手はある」
「打つ手? どんな?」
「――万が一、そういう時がくれば、分かる」
「それより、早く皆に知らせねばならないな。網元だけでもすぐに呼ぼう」
昭蔵は書状を折り畳んで懐に入れ、立ち上がる。
「平蔵。おまえは幸治の見舞いに行け」
幸治は、暴れる凪海に突き飛ばされて転んだのだが、転び方と打ち所が悪く、当分漁に出られない怪我を負ったらしいと聞いている。
「幸治はフグが好きだったな。ちょうど今日取れたフグがある。それを持って行け」
「わかった」
頷き、平蔵は一足先に部屋を出た。
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