第5話
翌日の昼近くになっても、タキは帰ってこなかった。
宴に付き合うだけでなく、まだ源藤様の遣いの相手をしているのだろうか。日はだいぶ高くなっている。遣いの人達はそろそろ出発しなければ、明るいうちに宿場町にたどり着けないのではないだろうか。それとも、数日滞在するのだろうか。しかし、何のために? そもそも、この時期に訪れるのが珍しいというのに。
なにはともあれ、昼になってもタキが帰ってこなかったら、一人分が余る。耕太は家に寄って昼飯を持ってから浜へ向かっただろうし、志乃に届けるにしても一人分というのはわびしい。
どうしてものかと思案していたら、タキが帰ってきた。
「婆様、お帰りなさい。遅かったね」
「ああ、もう昼餉の時間か」
草鞋を脱いで座敷に上がるタキの仕草は疲れていた。遅くまで宴に付き合っていたのだろうか。かくしゃくとしているが、タキは昭蔵よりもだいぶ年上だ。
「今までずっと、源藤様の遣いの人の相手をしてたの?」
「使者どの達は、朝餉の後に発ったよ」
「じゃあ今まで何をしてたの?」
「昭蔵達と話をしててね。それで遅くなった」
世間話に花を咲かせていたわけではなさそうだった。源藤様の遣いが何か無理難題を持ちかけて、それについて話し合っていた、そんなところだろう。よくあることではないが、過去に何度か、そういうことがあった。戦をするから人手を出せとか物資を出せとか、村にとっては大変なことばかりだ。だけど、源藤様の所領として守られてもいるので、要求されれば応じなければならない。
「源藤様の使者どのは、何を要求してきたの? 大変なこと?」
「……大変なのは、使者どの達も同じさ。それより、昼餉にしよう」
「婆様、疲れてるみたいだから横になって休んだら? お昼は後で温め直せばいいし」
「いや、大丈夫。朝はあまり食べてないから、腹が減ってるんだよ」
タキの箸の進みはふつうだったが口数は少なく、志乃に包みを届けたら喜んでいたとか、お腹の子が動くのが分かったとか、凪海があれこれ話しても返事はあまりなかった。
凪海は表に出さないようにしたが、不安が生まれていた。
昼餉の後片付けをしようとしたら、自分がやるとタキに止められた。口数が減るほど大変なことを言われ、そのせいもあってなのか疲れているのは目に見えて明らかなのに。
「少しは体を動かしたいのさ。片付けを終えたら、一休みするから大丈夫」
「無理はしないでね」
本人が言うのだし、ここはタキに任せて凪海は浜へ行くことにした。そろそろ漁へ出ていた耕太達が戻ってくる頃合いだ。大漁ならば人手が必要だし、そうでなければ磯へ貝取りに行けばいい。磯へ行ったら、もしかしたら波瑠と会えるかもしれない。
「浜へ行くのかい」
かごを手に取るとタキに訊かれたので、凪海は頷いた。
「今日は早めに帰っておいで。村長の家に行くからね」
「……わたしも?」
「おまえもだ。漁師達も集まることになってる」
耕太からそんな話は聞いていない。源藤様の使者が来た後、決まったことなのだろう。どうして集まるのか、漁師達が集まる場に何故凪海もタキも同席するのか、その理由をタキは教えてはくれなかった。
浜には、すでに舟が戻ってきていた。遠くから見ても人影が多いのが分かり、凪海は途中から走っていった。
遅れて駆けつけた凪海を見て、友人や年かさの女が、出遅れたね、と笑った。穫れた魚のほとんどは、大きさや種類で仕分けされていた。
「これをタキ婆と食べな。脂がよく乗っててうまいぞ」
耕太達網子をまとめる網元が、大振りの鰺を凪海のかごに入れてくれた。
「ありがとうございます」
出がけにタキと話していたから遅れてしまったのに、大きな魚を分けてもらってなんだか申し訳ない。
「この前の豊漁祈願祭のおかげで、今日は大漁だったからな」
網元が大きな声で笑い、それを聞いた網子達も笑って凪海に礼を言う。
祈願祭では、凪海はタキの後ろにただ座っていただけに等しいので、ますます申し訳ない気持ちになるが、魚はありがたく受け取っておいた。
干物や塩漬けにするため、女達がてきぱきと捌いていく。魚を捌く人手は足りているようだったので、凪海は塩水に漬けた魚を網に並べていくのを手伝った。
耕太は、ほかの漁師達と漁具の修繕をしているようだった。離れているので声は聞こえないが、遠目に見ても普段通りである。
先ほど、網元も笑っていた。村長の館に集まる話をまだ聞いていないのか、聞いていても、深刻な話だと思っていないのだろう。
深刻だと思っているのは、タキの様子を知っている凪海だけだ。あちこちから笑い声が聞こえるこの場にいると、心配しすぎではないかという気がしてくる。
「凪海」
修繕が一段落した耕太が、凪海の元にやって来た。
「どうした、浮かない顔して」
「耕太。今夜、村長の館に集まるっていう話、聞いてる?」
凪海は魚を干す手を休め、耕太を見上げた。
「ああ、網元から聞いたよ。みんな集まってくれって」
「わたしも来るように、婆様に言われたの」
「凪海も?」
「昨日、源藤様の使者が来たでしょ。その時、何か大変なことを村長や婆様に言ったみたいなの。耕太達漁師が集められるのも、その関係みたいだし」
「……どうして集まるのか、俺達は聞いていないし、網元も知らないみたいだった。源藤様の使者の話も、これっぽっちも出てない」
では村長は、使者の話は伏せて、ただ集まるようにとだけ言ったのだろう。この時期に訪れた使者のことを事前に知らせたら、凪海のように、いろいろと勘ぐって不安になるから。もっとも、凪海が不安を感じる理由の一つは、タキの態度のもあるのだが。
そのことを耕太に話すと、彼は顔をしかめた。
「税を上げるのか、戦があるのか……。タキ婆の様子からするといい話ではなさそうだな」
「うん。でも、みんなには黙っていた方がいいと思う。下手に心配させてもよくないし」
「分かった。凪海も、あまり心配するなよ。大した話じゃないかもしれないんだしさ」
「うん……」
凪海の肩を数度軽く叩くと、耕太は仲間の方へ戻っていった。凪海も、休めていた手を再び動かす。
耕太の言う通りだ。大した話ではないかもしれないし、今から心配しても仕方がない。
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