木漏れ日総合医療病院

ふぁーぷる

第1話 木漏れ日総合医療病院の出来事

 木漏れ日総合医療病院


 僕は潮風に吹かれながら岬の突端に佇たたずむ。

 僕が手にしている日記は中学の親友圭吾が綴ったこの世の事とは思えない闘いの記録。

 吾妻圭吾は僕が長崎の某中学校に転校して来たときに一番に声をかけてくれた。


 転校初日、教壇横で紹介されて内心ドキドキしていた。

 午前の授業が終わるチャイムの音と同時に目の前に現れたのが圭吾だった。

「お前昼飯どうする?」

「俺はパン売店に買いに行くけど一緒に行くか?」

「俺オススメはマンハッタン」


 気さくに話しかけてくれた圭吾とは大の仲良しとなった。

 帰り道も同じ方角でいつもたわいのない会話を楽しんだ。

 圭吾は器械体操の部活に熱心に取り組んでいて大会とか応援しに行った。


 僕は一年が過ぎた頃、親の自衛隊勤務の兼ね合いで北海道に転校となった。


 別れ際に俺はお前が窮地の時は駆けつけるからな!と男らしい言葉をくれた。


 転校して2ヶ月した5月の終わり。

 圭吾が怪我で入院していると本人から電話があった。

 拘束しあう様な低次元の友情ではないのでお互い便りがないのは元気な証拠と連絡するのはたまにしかなかった。


「おいおい、どうしたんだよ」

「部活で着地失敗で左足の靭帯切っちゃった」


「大丈夫かよ」


「キツイ練習も休めるしゆっくり出来るチャンスだと思って治療に専念するよ」

「病院も新しくオープンした最新設備を完備した木漏れ日総合医療病院」

「肇が転校する前から海岸通の先で埋立てていたエリアに出来た第一号の建物なんだよ」


「へー埋立地が完成したんだ」

「木漏れ日病院はテレビで観たよ、ロボット受付が居るハイテク医療を取り入れた先進的病院だろ」

 埋立てられる前の遠浅の干潟や海岸線沿いの独特の岩肌の海岸洞窟群が並ぶ風光明媚な景色が潮の香りの記憶を伴って目に浮かぶ。

 少し離れた岬からよく海岸線を眺めたものだ。

 岬からの思い出は夏の思い出。


 入院の話を聞いて夏休みに圭吾を見舞おうとバイトで旅費を貯めようと決意した。


 夏休みに入る直前に小包が届いた。

 差出人は長崎の圭吾の町の消印でちるなさんという方だ。

 さっぱり覚えのない名前だ。


 郵パックの袋を開けるとビニールでぐるぐる巻きにされた日記が出て来た。


 気のせいか少し生臭い。


 日記の裏書きに吾妻圭吾と書いてある。


 圭吾が日記を書くとは…。

 少し笑えるな。


 まあ入院で何もする事無いからだろうがちょっと女子が入ったか。

 見開き2ページで1日分、左手に絵、右手に文章を書く絵日記タイプ。

 表紙をめくると圭吾の癖字が目に入る。



 初日

 僕の感想:絵はロボットと思われる下手くそな絵。相変わらず絵は下手な圭吾だな。


 とうとう入院日、平日だけど両親姉皆んなが一緒に来てくれた。

 照れ臭いが嬉しい。

 病院に寝泊まりするとはあまり嬉しい気持ちには成らない。

 病院は真新しい真っ白な13階建の建物で埋立地の北側、昔海岸沿いに洞窟があった場所辺りだと思う。

 それにしてもあの受付のロボットはおうむ返しに喋るだけであれをロボットと言うのだろうか。

 看護師は若く綺麗なお姉さんが多い。

 肇、羨ましいだろ!ハハハ。



 二日目

 僕の感想:絵は窓から観た風景ぽい絵。うーんやはり下手だな〜。


 6人部屋で俺は一番窓際のベッド。

 横が村上さん、ドア側石川さん、向正面の窓側は空きベッド、その隣は越智さん、ドア側五郎丸さん。

 みんな社会人で先輩方となる。

 両親の挨拶がわりのお菓子が効いてみんな親切。

 姉貴も愛嬌良く弟を宜しくと挨拶してた。

 この病棟は8階で打撲や怪我などの人が収容されているとの事。

 中央にナースステーション、両サイドの行き当たりに自販機と団欒コーナー。

 それと非常階段。

 北側の非常階段は海岸線に沿って洞窟が並んでいた辺りの真上にあたる。



 三日目

 僕の感想:絵は病院の食事用のトレーだろうか。悲しいくらいに絵心がない…。


 村上さんと越智さんが窓際に来て会話している。

 二人とも俺より二週間ほど前に入院しているから病院の事も詳しい。

 二人が話している内容は妙な話だった。

 昨日までの知り合いが外見は全く変わらないのにまるで別人に変わっているという話。

 それが一人や二人ではなく病院ごと変わってしまう様な勢いである事。

 職員、看護師、患者満遍なく変わっている。

 そんな事が…。

 と聞き耳を立てているのを感じた様に二人が俺に嘘だと思うなら実験しようかと話に取り込まれててしまった。

 越智さんがベッドに戻ってナースコールを押す。

 この部屋の担当のキャピキャピの若い看護師がやって来るだろう。

 〈トントン〉とドアの横をノックして入って来る。

 越智さんの所にトコトコと歩いて来て立ち止まる。

 越智さんがいきなり看護師のお尻を叩く。

 こりゃ大変な事になる!ところが若い看護師はお尻に神経が無いかのようにぼーっと立ってるだけ。

 眼をとろ〜んとさせて突っ立っている。

 暫くすると一言も喋らないまま部屋を出て行った。

 越智さんが得意げに、なっそうだろ!と声を張る。

 何が何だか分からない。



 四日目

 僕の感想:絵は例の看護師の顔。無表情なまるで魚のような滑りとした表情。きっと下手だから化け物のような絵となっているのだろう。


 村上さんが越智さんのベッドのレールカーテンを開ける。

 いつものように話しながらベッドに腰掛ける。

 振り向いた越智さんの顔は滑っとしたあの魚類の顔だった。

 村上さんは腰を抜かして後ろに倒れる。

 それを見る越智さんのとろーんした眼が下から閉じる。

 瞼が下から閉じた。

 ギャーッも〜う、なり振り構ってられない。

 村上さんは這うように部屋から出てナースステーションに駆け込む。

 俺も追いかけようとドアに向かおうとした瞬間。

 ナースステーションからまた悲鳴が聞こえる。

 女性の悲鳴も聞こえる。

 〈ドタドタ〉と転がり込むように部屋に入って来たのは村上さんと婦長の西沢さんの二人だった。

 二人とも顔面蒼白で婦長は部屋に入るなりドアの鍵を掛けた。

 婦長はリフレッシュ休暇明けで久々の出勤だったそうでナースステーションの違和感を感じていた所に村上さんが駆け込んできて例の若い看護師が化け物だと騒いだ。

 すると看護師の口が耳まで裂けて魚類の顔となって襲いかかって来た。

 他のナースステーションの看護師も一様に口が耳まで裂けて襲いかかって来た。

 そこにはもう人間は居なかった。

 転げ回りながらこの病室に逃げ込んできた。

 扉の向こう廊下側には明り取りの小窓を通して人では無いものの影が映し出されている。

 どうしよう!どうしよう!越智さん以外はまだ人の様で皆んなガクガク震えながらどうしよう!と口々に叫んでいる。

 助けを求めなきゃいけない。

 この病棟階だけの状況なのか、まだ大丈夫な階はあるのか、頭は身体の震えと合わさって操り人形の様にぎこちない。

 窓際に走り寄る。

 ここは8階、窓の外には逃げられない。

 婦長が内線PHSで玄関受付に電話する。

 誰も出ない。

 暫くしてロボットの声が出る。

 受付が留守の時はロボットが伝言を聞く様だ。

 〈ピーッ〉「ご用件をお話し下さい、受付に後でお伝えします」、「どうぞ!」。

 仕方ないので助けを求める伝言を残す。

「担当が戻りましたらお伝えしますのでご安心ください」とロボットが話して電話が切れる。

 無理だ。

 受付もやられたのだろうか。

 そこに石川さんが空調ダクトで逃げようと提案する。

 映画の様に人が通れるダクトがあるんじゃないか。

 天井に四角い間仕切りがある。

 椅子を積み上げて石川さんが中を覗く。

 入れそうだ。

 ちょっと行ってくる。

 行くって大丈夫ですか。

 石川さんの足を支えながら無事を祈って送り出す。

 まだ、午前中でこんな真っ昼間にこんな事が起きるのか。

 俺も考えなきゃいけない。

 窓の外をもう一度確認する。

 雨樋が窓枠の外側に一本伸びている。

 窓の外枠から飛びうつれない事もない。

 やるか、どうっしようか。

 一人問答をしていると村上さんが叫ぶ。

 越智さんが村上さんに迫っている。

 皆んな早くこいつを抑えてくれ!

 婦長がシーツで絡めとりましょう!とシーツを引き剥がして五郎丸さんと俺に端を持たせて突撃させる。

 シーツを越智さんの左右からぐるぐる巻きにする。

 越智さんはそれでも暴れて窓の方に向かって走る。

 勢い余って窓枠を越えて落ちた。

 皆んな窓枠に走り寄って下を覗く。

 コンクリートの上に広がる白いシーツがじわじわと緑色の液体に染まって行くのが見える。

 あまりの出来事に皆んな放心する。

 へたり込んで座っていたら空が朱色の夕焼けに染まっていた。

 昼から数時間も放心していたようだ。

 夕焼けの朱色が時間の経過を認識させてくれた。

 周りを見渡すと村上さん、五郎丸と婦長さんが居る。

 やはり現実だ。

 夢であって欲しかった。


 肇、お前ならどうする。

 ま、無事に脱出して思い出話として肇に話してやるのを目標にするかな。


 〈ドゴーン〉天井の間仕切りから石川さんが落ちて来た。

 イテテテテテ〜テ〜、おい見つけたぞ!

 抜け道だ!

 ダクトの先に病院の外に繋がっているルートを見つけたぞ!

 ちょっとその前に瞬きしてみろ。

 村上さんが石川さんに迫る。

 皆んなも石川さんの瞳に注目する。

 瞬きした。

 瞼は上から下りた。

 人間だ!

 ヨシ、皆んな石川さんに案内してもらおう。

 石川さん先頭に五郎丸さん、婦長、俺、村上さんの順番でダクトに入る。

 ベッドを寄せ集めて天井まで積み上げてダクトに向かう。

 ダクトは採光用のアクリル板が等間隔に嵌めてあり思いの他暗くない。

 石川さんが四つん這いでどんどん進んでいく。

 分岐が幾つか出てくるが迷わず石川さんは進む。

 順調に進んでいるかに思えたが急に石川さんが止まる。

 皆んな前方に精神を集中して石川さんの動きを待つ。

 イカン!逃げろ、バックだバック!

 戻れ戻れ。

 バックだって身体の向きを変えれる広さはない。

 後ろ向きに後ずさるしかない。

 どうしたんだ石川さん!

 奴らが前方からこちらに向かってくる。

 ウエエエ〜パニックとなる。

 後退りが加速するが後ろ向きだと進みは遅い。

 ヒエエエエ〜五郎丸さんの悲鳴。

 石川さんが奴らに捕まって引きずられている。

 もうー駄目だ!

 助けて助けて!

 村上さんが叫ぶ。

 諦めるな。

 婦長さんは泣きながら逃げるのよ!と叫ぶ。

 俺も必死で後退りする。

 〈ガゴーン〉ダクトが外れた。

 村上さんの方にダクトが傾く。

 うわーダクトが滑り台のようになる。

 俺らは滑り落ちた。


 身体の節々が痛む。

 どれ位滑り落ちたのだろうか。

 村上さん、婦長、五郎丸さんと俺、団子状態で固まっている。

 石川さんは居ない。

 暗い部屋に目が慣れて来た。

 大きな機械がある。

 非常灯の緑のランプが少し離れた先に見える。

 ここは地下室?ボイラー室か?と村上さんが声を出す。

 水が足首まで溜まっている。

 何処からか水が漏れているようだ。

 おいあいつらが来たら袋の鼠だぞ。

 皆んなで出口を探そう!


 やはり地下室のようだ。

 緑の非常灯の下にドアがある。

 大きな機械が鈍い音で鳴動している。

 足首までだった水が脛まで増えている。

 非常灯の反対側に大きな亀裂が走っていてそこから水…海水が噴き出している。

 ドアしかないだろう。

 村上さんがドアノブをそっと回す。

 鍵は掛かっていなくドアがスーッと開く。

 途端にあの滑り顔が幾つも現れる。

 ギャーと渾身の力でドアを閉める。

 駄目だ。

 バケモノで一杯だ!


 村上さんはドアノブが回されるのを必死で抑えている。

 村上さんが力尽きるのも時間の問題だ。

 おい、機械の上に登れ!

 機械はボイラだろう。

 真上にダクトが繋がっている。

 その横に点検用の小さな握り手の梯子が付いている。

 俺は婦長さんを機械に押し上げて村上さんの所に戻ろうとした。

 村上さんが叫ぶ。

 来るな!

 そのまま機械の上に伏せて隠れろ。

 俺は奴らと闘う。

 いいか、決して機械の上から動かずに隠れていろ!


 俺は村上さんの必死さを受けて従う事にする。


 五郎丸さんは?


 村上さんの側に立っていた。

 大人の男子の役目を果たさなきゃな。

 手には大きなスパナを握っている。

 村上さんと目配せをして苦笑いする。


 さ、行くぞ!

 ドアを開け放つ。

 うおーりゃ!舐めるな〜と怒号とともにぶちゃぶちゃと気持ちの悪い音と共に生臭い臭いが充満する。


 暫くして静寂が訪れる。

 息を殺して気配を探る。


 婦長さんがそっと機械にへばり付いていた身体を起こして下を覗いた。


 君、居ない!わよ、大丈夫よ。

 と俺の方に首を回した瞬間、婦長さんの向う側に魚類の顔が幾つも浮かび上がった。

 婦長さん!後ろ後ろ!早く逃げて!


 ハッと振り向いた婦長さんの肩に魚類が手を掛ける。

 あわわわっわ、君!きみ逃げるのよ!

 婦長さんは魚類の待つ機械の下に引きづり込まれた。


 俺は必死で階段に手をかけて天井付近まで登り詰める。

 でももうその先に梯子はなく…手が届かない先の天井にダクトの四角い穴が空いている。


 〈ブク、ブクブク、ブクブクブクぶぶぶぶぶ〉と亀裂から海水が噴き出して水位が上がり始める。

 海水が溜まっている水面が急に盛り上がり始める。

 それはどんどん大きくなりお坊さんのような人型になる。

 お坊さんは杖をついて盛り上がった水面に立っている。


「我が眠りし彼の地を穢すとは不届き、ましてや人の子に手を掛けるとは海座頭の怒りを知れ、許すまじ」

 ゆ る す ま じ 〜

 と大音響と共に海水が押し寄せて来た。

 俺はドンドン上に押し上げられてダクトの中に海水に押し上げられながら気を失う。


 気がつくと自分の病室のダクトの下に海水にまみれて倒れていた。


 ここに居てはいけない!


 意を決して身の回りのものをリュックに詰めて窓際に行く。

 外はもう夜明けのようで明るくなって来ている。

 好都合だ、雨樋のパイプに躊躇なく飛び移る。

 もう怖いとか言ってる場合じゃない。


 飛び移るとスルスルと地面まで降りれた。

 近くにあった自転車で一目散に家まで突っ走る。

 朝の陽光の中、家に着くと二階の自分の部屋に入る。

 高揚した気持ちで眠気も疲れも感じない。

 出来事を整理するように四日目のページに書き記す。


 もう8時だ。

 階段を降りてリビングに行くと親父と姉貴が座っていた。

 お袋は台所だろう。

 俺も自分の席に座ってやおら出来事を話そうと親父に話しかける。

 振り向いた親父の瞼が下から上がる…。


 肇、会いたかった…。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 岬から遠望する木漏れ日病院は今は自衛隊が封鎖していて近づけない。

 圭吾の自宅も警察が立ち入り禁止のテープを張り巡らしてありやはり近ずけない。


 岬から木漏れ日病院を遠望しながら僕はちるなさんを捜そうと思った。


                                  完

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