9(ちひろ視点)

「まだ早いし、オレの家でゲームやんない?」


 予定よりかなり早くなってしまったし、このもやもやした気分を変えたかった。

 今日はみつきを振り回している自覚はあるけど、あいつが嫌って言わないことも分かってる。

 振り返ること無く言うと、後ろを歩いていたみつきが案の定、上機嫌に答える声が聞こえた。


「うん。楽しみ!」


「よし。決まり」


 家に到着すると、お姉ちゃんの彼氏の靴がまだあった。

 ぼろぼろのスニーカーで、ビンテージっていう風でもない。ただただ無頓着の産物って感じの汚さだ。あいつはガサツで無神経で、男臭くてすごく苦手なタイプだ。


 あーあ。お姉ちゃんはなんであんなのが良いんだろうな。


「先にオレの部屋いってて。飲み物持ってくるよ」


 みつきが頷いて玄関横の二階への階段を登っていくのを横目に、キッチンへと向かう廊下の途中で、立ち止まる。


 洗面所とその先にあるお風呂場のドアの前だ。

 くぐもった声が聞こえた。

 お姉ちゃんの声だった。絡まるように男の低い声が響いている。


 心臓がどくんと跳ねた。

 艶っぽい声は、本当に、違う人の声みたいで、けれどはっきりとお姉ちゃんの声だった。

 なんて言っているかは分からない。言葉がほつれて意味を失って、音だけが頭の中で鳴っている。


 男の声と女の声がねっとりと絡まって、動物みたいに鳴いている。

 気持ち悪い。

 息を吸った。なんども吸っては吐いた。呼吸音だけが妙に大きい。


「みつき」


 気づいたら、みつきの名前を呼んでいて、部屋まで戻っていた。


「あ、ちひろ。勝手にゲームはじめてたよ」


 みつきが四つん這いになってゲーム機に手を伸ばしかけた格好のまま、顔だけをこちらに向けている。


 もやもやする。あいつ、殺してやりたいな。なんで家でやるんだよ。

 どす黒い感情が湧いてきて、足に絡まって動けない。

 入り口に立ちすくんで、みつきがゲーム機の準備をするのを見つめていた。


「入らないの? ちひろ」

 

 みつきが、入り口に立ちすくんでいるオレを、不思議そうに見上げる。

 小首をかしげて、元々大きな目で、きょとんとオレを見つめるその動作。


 親友の贔屓目を抜きにしても、とても整った顔をしていると思う。

 外出用におしゃれして、女の子の塊みたいな存在が目の前にいる。


 この目、好きじゃないな。オレのことを正しいって信じ切ってる目だ。

 オレはこんなに汚いのに。


「みつきは、オレのこと好き?」


「うん。大好きだよ」


「そう」


 胸に手をやった。掻きむしりたいほどの、嫉妬だとか怒りだとか、そういう衝動が渦巻いている。

 きっとこれが好きってことだ。

 こうやって独占欲と嫉妬にまみれて、頭がおかしくなりそうなぐらい胸が痛くなる。

 オレにとって好きっていうのは、とても汚い感情みたいだった。


「みつきはさ、」


「なあに?」


 みつきは、オレにこんな感情を抱いてくれないだろうな。

 だってオレもみつきにこんな感情は抱かないだろうから。

 

「みつき、しよう」

 

 冷たい声がまるで自分の声じゃないみたいに響く。


「え?」


 彼女の唇に乱暴に覆いかぶさる。

 はじめてしたあの日以来、セックスはしていなかった。


 みつきに性的に興奮して、勃起するのは、ただの性欲だって知っている。

 自分だって、お姉ちゃんの彼氏と変わらない、ただの男だって思い知らされる。

 

 性欲って気持ち悪い。

 気持ち悪い、気持ち悪い。だってこんなの、ただの動物の行為だ。好きとかじゃない。

 こんなの自慰と何が違うんだよ。

 女の格好をして女に興奮しているオレは、さぞかし滑稽だし、いっそ醜い。


 それなのに、どうしてオレはみつきに友達が出来るのは嫌で、お姉ちゃんが他人に取られるのも嫌なんだ。どっちが本当の好きなのか、もうわからない。

  

「好きだよ、みつき」


 乱暴に脱がして、手で柔らかい部分に無造作に触れていく。

 みつきの顔が苦痛に歪んだ。


「わ、わたしも、すき」


 前回はじめてしたときも、すごく痛がっていることは分かっていた。

 今も、腕の中で我慢してくれているのが分かる。


「みつきはさ、オレが友達付き合いやめろって言ったら、やめてくれる?」


 彼女がはっと息を呑んで、少し沈黙した。だけど、すぐに彼女は小さく頷く。


「うん」


「そっか」


 オレがどんどんこいつをだめにしていっている。いじめられっ子だった彼が彼女になって、女として、今真っ当につかもうとしている幸せだって、オレは妬ましくて仕方ない。

 どうして本物の女になったのがこいつなんだよ。


 なんでお姉ちゃんは彼氏を作ったんだよ。

 なんでみつきは、ちゃんと前に進もうとしようとしてるんだよ。

 みつきは、オレが居ないと生きられない。

 そうじゃないと不安で仕方がないことに、ようやく今気づいてしまった。


「ちひろ、すき」


「オレも、好きだよ」


 ずっと考えていたことがあった。

 そもそもオレが声をかけなくても、きっとみつきを助けてくれる人は必ず現れたはずだ。

 だってこいつは、すごく可愛い。


 可愛いっていうのは呪いみたいなもので、放っておいても否応なしに、好意だの悪意だの誰かに関わってこられるものだろう。

 それが、たまたまオレだったってだけだ。


 今この瞬間。

 オレじゃない誰かに変わっても、みつきは気づかないような気がした。


「ちひろ。ずっとわたしを好きで居てね」


「みつき。明日もしようよ。明後日も、その後も、毎日」


「部活があるんじゃ……?」


「いいよ、もう。いいよ。ずっと一緒にいよう」


「わたしは、いいけど」


「みつきはさ、オレが人殺したいって言ったら手伝ってくれる? なんつって」


 裸で抱き合いながら、鼻と鼻をくっつけて言う。


「うん。いいよ」


 みつきの目がどこまでもまっすぐ刺さった。冗談で答えたようには見えなかった。

 きっと本気で言っているんだろう。


 みつきなら、一緒にどこまでも、だめになってくれる。

 もう一度強く抱きしめて、始めた。

 夕方、お母さんたちが帰ってくるまでし続けた。

 残ったのは、頭の奥までじんじんする痛みと、体のけだるさだけだった。お互いどろどろで、体はまだ熱いままなのに、胸が空っぽになって冷えている。


 明日も、その次の日も、ずっとずっと、そうやって日々を潰していけばいけばいい。

 中学を卒業して、高校になって、大学を出て、おとなになって、みつきの日々を潰していけば少なくても、オレは寂しくない。

 オレは、みつきのことなんて好きじゃない。こいつだって、守ってくれるなら誰だって良いはずだ。

 だけど、さ。


「ねえ、みつき」


「なあに?」


「別れようか、オレ達」


 耐えらんねえよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

TS少女と女装少年の話 日向たなか @hinata_tanaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ