こんにちは。
大学の教授に、自分が人生もしくは問題の最後まで関われないのであれば、人を助けるのはエゴだ。もし、心から人を助けたいのであれば仕事にしなさいと言われたことを思い出しました。
若い頃って、自分の無力感に絶望して罪の意識に陥ってしまうものなのですかね。で、周りから聞こえてくる声に耳をふさいで生きていく。
自分は万能ではないと気づいたときから、自分のできる範囲で周りを幸せにしようと思えるのでしょうか。それが大人というものなのでしょうか。
作者からの返信
こんにちは。読んでくださってありがとうございます。
親鸞も少し似たようなことを言っていましたね。浄土から帰ってきたような人間にしか、他人を助けることはできない、と。
大人の分別はわかりませんが、人を助けようとしない社会なら、そんなものは滅んでしまった方がいいんじゃないかと、分別なく考えたりしてしまいます。極端すぎますが。
深い。死は罰ではなく、『ほろ苦い賜物』とは名言ですね。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。その文は、書き進めていくうちに自然に思い浮かびました。罰ではないと、作者も信じています。なにかこころに触れるものがあったなら、嬉しいです。