密談
「なんと! 王国軍が敗れたとは真か?!」
ヘンリックから密命を受けたエッカートは、大公国貴族でも最も穏健派の類に入ると言われるセルジオ・リンデル男爵の元を訪れていた。エルドリアに凶報がもたらされる前にいち早く告げるに至ったのは、ヘンリックの迅速な命令とエッカートの夜通しの疾走があってこそである。最初は怪訝そうな態度を隠そうとしなかったものの、ヘンリックの私兵隊の小隊長であることを告げると一定の効果があり、椅子に腰掛けて話を聞く態度に変わった。
リンデル男爵家はヴェルマー男爵家と同様に、元々はエクドール州における有力者であった。アレオンから絶大な信頼を置かれながらも、アレオンを弑するという大罪を犯したアクロンの元に留まっていたのは、セルジオが理知的で虚堂懸鏡な男であるが故である。
ここでヴェルマー男爵を殺したところで、自分が流れるままに大公の地位を襲名されるわけでもない。むしろアルバレンのヘンリックを中心とした正規の大公国軍を破った後、王国がヴェルマー男爵を弑したことを理由に傀儡にするどころか国ごと消滅してしまう恐れもあった。ヴェルマー男爵を殺すことがイコール公国の滅亡に直結するとなれば、軽率な判断は下せない。
故に慎重な行動が求められた。セルジオとて感情的にはアルバレンの正規軍に味方したい。しかし与して敗北した場合、長く続いたリンデル男爵家も取り潰しとなってしまう可能性が極めて高い。御家の存続を第一に、セルジオはある意味非情とも言える決断を下したのである。
「左様にございます。ヘンリック様の獅子奮迅のご活躍により、王国軍は壊滅。総大将グラハム・ロンベルクは討死致しました」
エッカートの口振りには「ヘンリック様が一人で王国軍を撃ち破った」ようなニュアンスが含まれていた。ヘンリックに対する蔑視を防ぐため、鮮やかな戦いぶりとともにその英傑たる才覚をあえて棒大に宣って見せたのだ。
穏健派でアレオンの懐刀だったとはいえ、アルバレンに参じなかった以上、叛心の有無は断定できない。ヘンリックには、今のエルドリアの戦力では対抗できないという事実を突きつける狙いがあった。
「それで、我らに降伏しろと?」
セルジオは遠回しな降伏勧告だと歯噛みした。正規軍に与しなかった時点で何を言っても言い訳にしかならない。王国軍が敗れた今、自分達は「反逆者」に類する存在で、エルドリア城を不当に占拠する不届き者である。どんな条件を出されるのかと戦々恐々としていると、セルジオにとって予想外の言葉が告げられた。
「いえ、今リンデル男爵以外にこの話を知るものはこの国におりませぬ。これはあくまで、内密の話にございます」
確かに降伏勧告ならばわざわざ首謀者であるアクロンを避ける意味は皆無だ。まあその場合でも、勧告を行ったところで素直に首を振るはずもない。自分の身は確実に土の塵と化すのだ。戦国の世は勝てば英雄負ければ賊軍である。強いものが世の中を統べ、弱い者は淘汰される。エクドール=ソルテリィシア大公国がこれまで生き残っていたのも、王国の庇護があったからだ。王国との関係悪化を招いた時点でそのまま関係を断ち切られていれば、王国や帝国にすぐさま滅ぼされていただろう。それなれば銀山は見つからなかった方が幸運だったに違いない。今国が残っているのは幸運なのだ。
「つまるところ、ヴェルマー男爵を内から崩せということか」
セルジオは口髭を摩って思案を始める。
「察しが良いですな。その通りにございます」
この提案に乗れば、セルジオにとっても御家存続が叶う確率が上がる。それなりの罰は覚悟しており、老い先短い自分の命までなら喜んで差し出すつもりでいた。
「貴殿の話が本当ならば、我らはすぐにでも寝返ろう。しかし信じるに足る要素が少なすぎる」
とはいえセルジオはどこまでも思慮深い男である。頑固というほどではないものの、言葉だけでは信憑性が薄い。大公国軍が勝利した、という確固たる証拠が無ければ、この誘いも大公国側の策略であることは否定できない。
そもそもエッカートが言った話を全て信じろ、という方が無理がある。何らかの証拠を提示しなければならなく、エッカートも信じてもらうために戦利品を持参していた。
「これでは足りませぬか?」
そう言って差し出したのは、グラハム・ロンベルクが常に脇に差していた剣であった。
「これは……。ロンベルク公爵の剣?」
セルジオは瞠目して宝石のように光る剣に魅入っている。
「ご名答。これが意味することはもはや明らかでしょう」
セルジオもその剣を目にしたことがあるようだった。公爵家が身につけるに相応しい豪華絢爛な威容を携えており、遠目でも一眼で誰の物か視認できる程の代物だ。その剣が今グラハムの元にないということは、即ちグラハムが死んでいるか、もしくはそれに近い状態にあることを示していた。
実は、グラハムの遺体は未だ見つかっていない。ヘンリックもアルバレンに残った部隊のうちの三割で捜索隊を編成したが、それでも見つかっていない。
しかし死んだというのは確実であると、両軍の将兵は認めている。多くの将兵がグラハムが火の海に飲み込まれる現場を見たからだ。近くに魔法使い等の姿もない。あの状況から生き残れる方が不思議であった。
むしろ遺体は紅蓮の炎によって既に燃え尽きており、湖の底に沈んでいる説が濃厚である。川の流れの速さから鑑みても、見つからないのも不思議ではない。
グラハムはこの剣を川底に突き刺して、急流に抗っていた。グラハム自身は火の勢いと川の流れで下流に姿を消したが、剣は突き刺さったままその場に残ったというわけだ。剣は豪華絢爛だけでなく、名工に作らせていたために、耐久性も折り紙付きだった。
その剣がグラハムの手元にない、という事実はセルジオの重い腰を上げさせるに足る証拠であった。
「……なるほど。もはや疑う余地もありませぬな」
セルジオはようやく決断を下す。もしこれでも陥落しなかった場合、交渉は決裂としてエルドリア奪還後の処遇は保証しないとするという、脅しにも似た手段を取るつもりであった。無論、心証を損ねないためにもその手段は取りたくなかったため、エッカートも胸の内では密かに安堵していた。
「他の信用できる者にも声をかけ、味方に引き入れていただきたい。我らの言葉よりも余程説得力がありましょう」
エッカートの目的には、まず有力者であるセルジオを崩し、他の貴族との顔を繋ぎ、説得する意図があった。
「承知した。大公国のため、力を尽くす所存だ」
セルジオは還暦を間近に控えていながら、往年の若さを想起させるような精悍な面持ちで力強く答えた。
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