王国軍の進発

 四の月中旬。エルドリアに逗留していた王国軍四万は城を進発した。馬車で急げば十時間程度で着く距離だが、大軍での移動となれば二日近くはかかる。王国軍の動向を諜報員に逐一監視させていた俺は、それを知るや否やすぐに諸将を集めた。


「王国がここアルバレンに向かって進軍を始めた」


 卓がにわかに騒ついた。諸将は顔を見合わせて困惑の色を強く示している。


「早いですな。折角獲ったエルドリアの掌握もままならないはずかと愚考しましたが」


 セレスが顎髭に中指を添えて険しい表情をのぞかせている。セレスの考えは正しい。エルドリアは誰がなんと言おうとエクドール最大の都市であり、大公の威光が強く、また意向が強く反映される土地である。粗が多いとはいえ、戸籍によって人民が社会保障の仕組みを享受している。俺がこの国に婿入りしてから下層街の人間の心証を良くする努力を行なってきたし、また中層街の人間もアルシアナの地道な献身で大公家に対して悪い印象は持っていない。


 突然として攻め入ってきた王国軍の統治を潔く認めるかどうか、怪しいところだ。王国軍の入都によってエルドリアの治安は急速に悪化しているらしい。四万五千もの王国軍が狼藉を働き、王国の指揮官もそれを見て見ぬ振りをしている。軍紀がままならないのも致し方ない。ここが王国領内ならまだしも、王国軍の将兵にとって他国であるのだ。遠慮より欲が先に立つ。ここは自分たちの町なのだと、一兵卒までもが偉そうに闊歩する様子は容易に想像できる。

 事実、王国軍の逸脱した行為に辟易した人民が一定数アルバレンに流出している。王国軍の行動は現在の公国内部にも不信感を招いているだろう。俺に代わって次期大公の地位を約束されたヴェルマー男爵も、口には出さずとも内心では憤慨しているに違いない。

 もはや完全な傀儡国家である。王国軍を討ち果たし、再びエルドリアに凱旋しない限りはこの国は完全に王国の領土と化す。アルバレンだけでも残すため、帝国にすり寄る手段も確かにある、だがそれこそ帝国の傀儡に成り下がり、やがて銀山を巡った代理戦争が勃発するのは目に見えている。

 

「此度は王国軍を必ずや打ち破らねばならぬ。だが籠城戦を戦うべきではない。王国は八割の兵力で西進している。長期戦にするつもりはなく、昼夜問わず激しい攻勢が予想される。そうなれば五千に満たない我らに五ヶ月の間凌ぎ切る力はない」


 諸将の顔に影が落ちる。無論、わざわざ士気を下げるために言っているわけではない。


「しかし、兵数で圧倒的な差のある現状、籠城戦以外戦う術はございませぬぞ」


 籠城戦が唯一の勝機である現在、城に篭って敵の攻撃を凌ぎ切るのが最も安全かつ確率の高い策だ。しかしアルバレンを守りきったところで、厳しい状況は依然続くことになる。


「それにこの戦いを乗り切って、かつ王国軍をこの国から完全に排斥するのが勝利条件だ。籠城戦で敵を撤退させるだけでは今の状況を打破することは難しい」


 ヴェルマー男爵を傀儡君主として、ロンベルク公爵がそのままエルドリアに逗留し、国内政治を意のままにするようになれば、こちらから手出しをすることはいよいよ難しくなってしまう。

 銀山もエルドリア北部の銀山から産出されるもので、アルバレンには目立った資源はない。金銭的な面でも戦いを続けるのは負担が大きすぎる。

 それこそ帝国から援軍を借りて攻め入るしか無くなる。そうなれば相応の、いや、足元を見てとんでもない対価を要求してくる可能性もある。


「ですが、我らは野戦を挑んだのが裏目に出て、王国に敗北を喫した。まさか再び野戦でも挑むおつもりで?」


 西部に領を構える子爵家の当主が脂汗を滲ませながら告げる。


「そのまさかだ、と言ったら?」


 俺は不敵に笑って双眸を射抜いた。


「それでは王国の思う壺なのではございませぬか? エルドリアの際よりも窮地に立たされている今、一つの間違いが戦局を揺るがしかねませぬ」


 一度でも大敗を知った人間は、二度目が起こることを極端に恐れて失敗した方法を避ける傾向がある。


「突けるとすれば敵の慢心だ。”同じ策を二度とするわけがない“と思い込んでいる。貴殿らも一度失敗した野戦をもう一度やる勇気はないだろう。正直に言えば俺も危難は被りたくない。しかし弱い者は知恵を働かさねば勝てぬ。殻にこもっているだけでは敵を打倒することはできぬのだ」


 合理的に考えれば、籠城することこそが勝利に一番近い道だ。しかし、前述した通りそれは本当の「勝利」とは言いがたい。我らは再びエルドリアの自治権を奪還すべく、王国軍を完全に追い出さなければならないのだ。俺は続ける。


「無論、無策では敗北は必定だろう。まずはエルドリアでの戦いでも用いた鉄条網と撒菱を街道に設置する」

「王国も二度同じ罠にかかるような愚は犯さぬのではありませぬか?」

「だが一定以上の効果は見込める。敵の足止めくらいにはなるはずだ。野戦とは言っても過日のように正面から攻撃するのも限界がある。4万もの兵を幾らか減らしたところで、籠城戦となれば大した意味は持たないからだ。となれば余計な危機を避ける意味でも、下手に手を出さず城に篭っていた方が良い」


 撒菱は触れただけで患部が麻痺に陥る強力な毒を仕込んで進化もさせている。セレスの申す通り、鉄条網や撒菱は対策が練られているだろう。例えば城門を破壊するために用いる破城槌を先頭に、強引にでも鉄条網を突破したりもできる。


 エルドリアでの戦いではエルドリア城さえ守れれば勝ちだった。しかし現在は状況は変わっている。アルバレンを守り切り、かつエルドリアを奪還しなくてはならないという条件がある以上、敵の根幹を覆す程の策を弄す必要がある。

 この鉄条網や撒菱は敵の意識を前だけに向けさせるためのカモフラージュに過ぎない。

 故に進路を塞ぎ、鉄条網に対応する前方の兵を撹乱する兵の配置はある程度必要になってくる。


「ならば野戦で勝利するのは尚更難しいのではありませぬか?」


 当然の疑問だ。俺の話す内容はどこか煮えきらず、どうするべきなのか言及していない。勿体ぶるつもりもないので、俺は結論を淡々と告げた。


「敵大将を討てばいい」

「……なるほど」


 セレスは納得して二度首肯した。一部は絶句しているが、それほど意外な策でもない。寡戦において、大将を討つことが最も勝利に近い一方で、大きなリスクもある作戦である。戦国時代の桶狭間の戦いでも、敵大将の今川義元を討つことにより、織田信長は勝利を手にした。義元を失った今川家は瞬く間に瓦解していき、徳川や武田の圧迫に耐えかねて滅亡に至っている。


 王国軍大将のグラハム・ロンベルクは王国において傑出した権威を持っており、コルベ、ヴェリンガーと同等以上の力を持ちながら、軍部で将軍を務め、三大公爵の均衡を保つ存在であった。この一角を崩すことができれば、王国の足場は揺らぐ。実質的な権力を失っている王家の復権も現実味を帯びてきて、王国と友好的な関係を築きつつ、これまでの属国的立場ではない完全に独立した国になることもできるかもしれない。

 だがもはや失敗は許されない。俺はそのロンベルク将軍を討つための、乾坤一擲の策を粛々と諸将に話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る