傀儡
「ヴェルマー男爵、此度の御助力感謝する。貴殿らの英断がなければ我が軍は更に多くの兵を無駄に失うことになっていた」
グラハムは感謝を述べるものの、内心ははらわたが煮え繰り返るほどに怒りを覚えていた。この戦いは勝利が確定している戦いであり、グラハム自身も「どのように勝つか」以外の考えは備えていなかった。それが公国が練った策にまんまと嵌ってしまったのだ。本来ならば圧倒的な武力と士気を以って最小限の犠牲で勝利するつもりで、大公が討って出てきたのはむしろ僥倖だとほくそ笑んでいた。
しかし、結果は戦力の一割を失う結果になってしまっている。本心では目の前のアクロンを口汚く罵りたい気持ちをひた隠していた。
「頭をお上げくだされ、ロンベルク将軍。我らも長年の宿敵であった帝国と手を結ぶ公家には辟易しておりました故」
エルドリアに王国軍を迎え入れてしまった以上、アクロンの立場は王国の援助なしには立ち行かない状況になっている。次期大公に据える代わりに提示される条件にも、ある程度譲歩が求められるのだろうと覚悟していた。
一方で、エクドール=ソルテリィシア大公国が王国領土の時代に自分達よりも下の地位にありながら、大戦の勲功を以って逆転していた立場がついに“正常な状態”に戻ったことにグラハムは安堵にも似た感情を覚えていた。少なくない被害を出したものの、結果的には理想的な状態で事は収まっている。
「しかし拘留した公女を逃すという失態を犯してしまい申した。これが国の混乱を引き起こしてしまった。誠にお恥ずかしい限りにございます」
現在、エルドリアの王城は未曾有の混乱に包まれている。
エクドール=ソルテリィシア大公国の礎を築き、公家を中心とするソルテリィシア派閥と、ソルテリィシア家のエクドール入部前からエクドール州を治めてきたヴェルマー男爵派閥に二分しているのだ。アルバレンに撤退し後がない公家と、国を転覆したものの、王国という抗いようのない絶対的権力を後盾に構えるヴェルマー家。貴族の間でも揺れ動いている現状だ。
この原因というのも、ヴェルマー男爵が捕縛していた公女が脱走していたのが大きい。公女アルシアナの死をでっちあげれば、公家は簡単に崩壊するはずだった。アレオンの生死も不明である現在、依然公家に大きな影響力があるのは避けられない。大公が死に絶えた事実を証明できれば貴族の心も動くだろうが、死体を発見することはついにできなかった。どこかに逃された可能性も高く、それがあらゆる混乱を招いていた。
「過ぎたことを悔いても仕方ござらん。アルバレンに籠った数千の敗残兵を叩けばいいだけのこと。我らの立場を盤石にすべく、共に戦いましょうぞ」
グラハムは気の良さそうな笑みを浮かべてアクロンに告げる。本心とはかけ離れた所作を見せる様子に一切の異変を感じとることもなく、アクロンはホッとした表情で対応した。
(ふん、貴様は我らの傀儡に過ぎぬ。くれぐれも余計なことはしてくれるなよ)
エルドリアを陥落させたグラハムにとって、もはやアクロンの存在は重要ではなく、むしろ邪魔者として排除したいのが本音であった。
ここで殺してもグラハムの計画に支障はあまりないものの、それでは国内の掌握になんらかの悪影響を齎らす恐れも少なからずある。アクロンの処理は一先ず置いておき、まずは邪魔な大公家を打倒することを最優先に考えていた。
「アルバレンは城塞都市と聞いた。どれほど堅固かご存知か?」
グラハムはエルドリアを訪れたのも人生で初めてだったが、エルドリア城を攻める為どのような城なのかは熟知していた。しかし大公国軍は戦場を離脱し西部の都市アルバレンに逃げ込んだ。この後に及んでまだ抵抗するのは愚かだと断じながらも、帝国の技術が基幹となっている城塞都市を警戒するのも当然であった。
「私はあいにくアルバレンに行ったことはござらぬ故詳しくは存じておりませぬが、元々帝国の領土であったこともあり、その中心にあった城塞は帝国の技術を踏襲し堅固に整備されていると聞き及んでおります」
グラハムは内心で舌打ちする。エクドールの貴族ならば知っていて当然のはずだと踏んでいたが、期待外れの結果に溜息を吐きそうになった。
エクドール=ソルテリィシア大公国は東京都と埼玉県を足した程度の小国だが、西北部を源流とし、ある地点で東に大きく蛇行しエルドリアの南西で再び南に蛇行している河川が流れている。エルドリアの南西で折れた先は王国の首都・ザンブルグの北西にある湖に流れ出る。南の国境はエルドリアの西部ほぼ全域が川に沿っているが、例外的にアルバレンは川の西に孤立している。元々アルバレンは帝国の土地であったが、王国が攻めとった地なのだ。結局帝国は有用性が皆無だと判断し、無駄な出兵を嫌った。実際には降雪量は国内で比較的少なく住みやすい土地だが、帝国の帝都・ヘンデルバーグからのアクセスが非常に悪いことが原因であった。
王国にとってもそこまで有用な土地ではなく、隣接するソルテリィシア家が戦功によってこの地を得たのである。
「ふむ」
(内部に刺客を忍ばせるのはかえって悪手になりかねぬ。アルバレンの連中も警戒を強めている筈だ)
それに戦力差の大きい現状を知ってなお大公家に与するような貴族には調略は通じにくい。下手に接触すれば手の内を明かしかねない。一大決戦で大敗を喫してなお大公家への忠義を貫く貴族を内心で嘲笑いながらも、頭の中で戦略を練る。
「兵を大きく減らして追い込まれた公家が、再び打って出るような真似をするとは思えぬ。長期戦は避けられぬだろう。この国の冬は長い。雪が降るまでに戦を終わらせる必要があるな」
「左様ですな」
グラハムとて、冬場の城攻めの過酷さは想定している。冬は兵糧の消費も倍に増え、将兵は寒さに震えることになる。
アルバレン城塞を攻めてもし長期戦になれば、冬の間も戦わなくてはならない。それは避ける必要があった。
「ならば悠長に構えている暇はないな。すぐにでもエルドリアを出立せねばならぬ」
「我らは如何いたしましょう」
王国の指揮官に追従しようとする様子は、王国の支援でその地位に至ったといえど、一国の主としては愚か極まりないと、扱いやすい性格で都合が良いとは思いつつもグラハムは優越感に浸る。
「大公国の将兵は互いに疑心暗鬼になっている。故に大公家に刃を向けるのを躊躇う者も少なくない筈。此度は城を守って頂きたい。念のため5千の兵をエルドリアに残しましょう」
「承知致しました」
本心ならば大公国の兵を矢面に立たせて戦力を削り、公国を更なる傀儡化に導きたい。しかし貴族の中でもアクロンに表向きには従いつつも、内心では機を見て寝返るような面従腹背の輩がいるのは把握している。王国の力を危惧しつつも、公然と大きな態度を取る背後のグラハムら王侯貴族に反抗的な見方をするのも当然の帰結であった。そんな敵か味方かわからない大公国軍をグラハムが信用するはずもない。
エルドリアに五千の兵を残したのは、そんな面従腹背の輩を牽制してのことである。折角落としたエルドリアを空けたくはない。それにアルバレンは堅城とはいえ、四万の兵にそれほど長く持ち堪えられるわけもないと、楽観的な見方が重きを占めていた。
大公国が自分の意のままになる日も近く、汚名を返上する日を脳裏に輝かせ、悠然と立ち上がった。
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