抗戦の決意と和解
「ヘンリック様、如何なさるおつもりで?」
城塞都市アルバレンに到着した俺は、コンラッドの誘導でなんとか戦場を脱した1千とともにたどり着いた指揮官を集めた。セレス・アルバレン男爵の声に他の指揮官の目が俺に向く。
「まずは貴殿らの戦う意志を確認したい。我らはヴェルマー男爵の裏切りで大敗を喫した。我が父アレオンの生死も定かではない現状だ。俺はあの裏切り者を許さぬ」
忸怩たる思いを吐露する。俺の策が及ばなかったとはいえ、身内であるはずのヴェルマー男爵が裏切らなければ、戦況はむしろ公国有利に進んでいたはずなのだ。後悔先に立たずだが、悔やんでも悔やみきれない。しかし終わったことを後悔しても仕方がない。俺は努めて前を見据えることにした。
「だが俺の考えが浅かったのもまた事実。大公を死地に追いやったのは俺が献策し、それを受け入れたからだ。もう二度と過ちは犯さぬ。俺を信用できぬ者は出て行って構わない」
大公を裏で操っていたと言えば聞こえは悪いが、そのような側面があったこともまた事実。事ここに至って嘘を吐くつもりはもはやなかった。
俺は所詮余所者に過ぎない。ルドワール男爵が着服した金をそのまま賄賂として横流しし、仮初の信用は得られたが、ただそれだけだ。一度敗北した人間を無条件で信じられる人間はいない。口だけの男についていこうというお人好し又は余程の馬鹿はここにはいないのだ。ましてや俺のように20にも満たない若者ならば尚更だ。
事実、一部は声には出さぬものの瞳孔を忙しなく揺らし逡巡する者も見える。俺とて、貴重な戦力に出ていっても構わない、とは言いたくはない。しかし公国は窮地に瀕している。最低限の信頼関係は構築したかった。俺は続けて心に訴えかける。
「王国は我らの土地、民を蹂躙しようとしている。左様な愚行をどうして許せようか。必ずや再び陽の目を見るのだ。この未熟な俺に力を貸して欲しい。頼む」
人心を掴まなければ劣勢の現状は覆せない。地位の高い者の行動として効果的なのは、自分より下の地位の者に寄り添う事だ。
俺のような余所者でありながら偉そうな物言いを常に行ってきた存在が頭を下げたらどうなるか。無論、打算ということもあるが、心は大きく揺れる。ここで公族として相応しき姿を持ってして諸将を鼓舞するのも一手だろう。しかし、それでは結局上下関係を利用したものに過ぎない。
「無論にございます。某も公国を守るため、命を賭す所存ですぞ」
セレスが真っ先に声を上げる。諸将を集める前に根回しをしておいたおかげだ。男爵は基本的に俺を慕ってくれ、理解を示してくれる。それにこの場で俺に次いで権力があり、かつ城に控える兵はアルバレン頼りの構成だ。逆にセレスが反対すれば俺につくものなどいない。積み上げてきた信頼の差もあるが、そうなっては困る。
流石にセレスの賛意を見た指揮官が、反対する気など起こすはずもない。セレスの決断を見た諸将は顔を見合わせる。
そして武闘派の貴族から「おおう!」という熱意の篭った野太い声が響くと、他の指揮官もポツポツと首肯していった。
「うむ、皆の忠義に感謝する。元は帝国の皇族だったとはいえ、今は公族としての自覚がある。しかし義父殿の生死が分からぬ今、俺が大公として振る舞うわけにはいかぬ」
アレオンの生死が不明であるという現実は、貴族たちに重しとなってのしかかる。弱腰で他国の庇護下に甘んじたとはいえ、「大公」として十余年この国を治めてきた男だ。そんな存在がいないとなれば、国の統制は立ち行かなくなる。
「我らはヘンリック様を急拵えの大公にすることに異論ございませぬ。むしろ大公として振舞った方が上手く立ち行きましょう」
セレスの一声が良く作用した。臨時の大公として仰ぐことに異論を挟む者が出てくることはなく、俺はこの国を一時的に全身で背負うことになった。
◆
充てられた自室に戻ると、大きく息を吐いた。窓の外を眺めるが、雪は降っておらず季節の移り変わりを感じさせる。アルバレンが比較的降雪量が少ないこともあるが、四の月に入ると雪の日はめっぽう減った。
不安がないわけではない。むしろ心中は良くない考えが巡って不快感に苛まれている。だが気丈に振る舞うのをやめるつもりはない。一時的とはいえ大公の地位についた。俺の不安は国の不安に繋がる。本当はこの身に降りかかった理不尽に怒りをぶつけたい。だが感情的になったところで意味はないことも良く分かっていた。
そんな思案に耽っていると、ドアがノックされる。コンラッドかと思い「ああ」と短く反応を示すと、意外な人物が姿を現した。
「あの、ヘンリック様。お話しがあるのだけど」
アルシアナは視線を彷徨わせている。正直俺も気まずい部分がある。気まずいというより羞恥心だろうか。
「なんだ」
虚像を失った姿を無様にも晒してしまった以上、もはや邪険にしていても仕方がない。アルバレンへの逃避の道中で感情的になった姿を見せてしまったのだ。あの時は精神的に余裕がなかった。仮縫いの仮面を被って応対する。
「これまでごめんなさい。あなたのことを良く知ろうとせず、一方的に罵ってしまった」
「いや……」
一度も見なかったしおらしい態度にしどろもどろになりかけるが、すんでのところで口を真一文字に結んだ。そもそも俺が遠ざけていただけで、アルシアナに何の落ち度もない。むしろ謝るべきは俺だろう。キャラ崩壊を招くので絶対にしないが。
「シャロンに全て聞いたわ。あなたの過去も、全て」
以前からそのような傾向があったが、主君の秘密を口外するのには頭を悩まされる。聞いたということは、俺が前皇帝の実子であることなど諸々が露見したことになる。溜息を吐きそうなのをすんでのところで堪えた。
「……」
「ずっと気を張り詰めてきたのでしょう?肩の力を抜いた方が良いわ」
こいつは俺をディスっているのか?確かにこの態度はヘンリックを模している。だが苦痛に感じたことは一度もない。この身体に馴染んでいるということだろう。ヘンリック本人に引っ張られて、寧ろこちらの方が気楽なまである。
「余計なお世話だ」
俺がそういって顔を背けると、アルシアナ何を思ったのか距離を詰めてくる。そして右手をギュッと握りしめた。意図せず心臓が跳ね上がるのを感じた。
「私は政略結婚だったとしても貴方の妻よ。私は正義を求めて生きてきたつもりだった。でもそれは空虚で、価値の薄いものだと気づいた。下層街の光景は遠目からしか見たことが無かったから。私は口だけで、実際に動いたことは一度もなかった」
シャロンによって下層街に早急にインフラを整備しようとしたこととともに、その現実についても耳にしたのだろう。表情には影が落ちている。アルシアナが言っていることは否定できない。
彼女は優しい。しかし力がないのだ。地位は高くとも、権限は少ない。実際に行動したことは殆どなかった。
「貴方は頑張ってる。月並みな言葉だけど、そう思った。でも延々と肩肘張ってたらいつか壊れてしまうわ」
そう言うと、掴んだ腕を自らの胸の近くまで持っていくと、祈るような体勢でそのまま瞑目した。
「私は貴方の妻として共に歩む。何があってもついていく。都合が良いかもしれないけど、信頼して欲しい。私は貴方を裏切らない」
吸い込まれるような瞳孔にあてられた。思わず宮籐稔侍の素が出そうになる。ヘンリックを信じる気持ちを受け入れて、抱きしめたくなった。
「元々……貴様のことは信用している。貴様の行動を見ていれば愚直にも正義に生きていることは見て取れるからな」
「え、あの」
柄にも無いことを宣ったからか、アルシアナは俺の言葉に目を丸くし、顔を赤らめた。この言葉は本心だ。影からアルシアナの行動を眺めてきたが、基本的に自分の「良心」に従って行動している。そして民のことを良く考え、この国を良くしようと思い悩んでいる。そして悪事を糾弾できる心の強さも持っている。
宮籐稔侍としてアルシアナ・ソルテリィシアを尊敬している。このような正義感にあふれた少女はなかなかお目にかかれない。
「どうした」
「いえ、その、今日はこれくらいで失礼するわ」
いたたまれなくなったのか、顔を僅かに俯かせると踵を返し、早足で去っていった。俺もらしく無いことを言ってしまったと今更ながら後悔していた。
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