不穏

 王国の接近を受け、公国は隊を率いる貴族を招集し、玉座の間で軍議が始まろうとしていた。しかし静かに瞑目するアレオンを前に、騒然とした空気が漂っている。


「閣下、敵は五万の軍勢。打って出るなど正気の沙汰ではございませんぞ!」


 突如として出陣の旨を告げたのだから当然の帰結である。城から出陣するという文言だけ聞けば、正気を失ったと捉えられても仕方ない言動だ。


「静粛に! 我らは公国存亡の危機に瀕している。我らはすべてにおいて劣っている。これは揺るぎなき事実である。このまま籠城し続けて、兵の質や士気が劣る我らが確実に勝てると自信を持って言えるのか?」


 沈黙が流れる。単純な兵数差だけに限らず、質や士気も明らかに劣っているのだから、反論できる者は少ない。しかし、その中で一人が真っ直ぐな眼差しを以て告げる。


「しかし打って出ればそれこそ徒に兵を失うだけになりましょう」


 アレオンが直前まで伏せていたのは、王国に露見するのを防ぐためであった。どこに刺客が潜んでいるかわからない。ヘンリックとの談義において、自ら兵を率いて戦うことを決意していた。


「愚直に正面から槍を突き合うのが戦争か?答えは否だ。敵を惑わし我らの士気を上げる、戦を知らぬ我らは守り切るのではない、勝たねばならぬのだ!」


 普段らしからぬ危機迫った様子に集まった貴族達は息を呑む。守り切るだけでは今後も王国の脅威に晒される。現実的には厳しいとしても、勝利して敵の領地を攻め取るくらいの気概が無ければ守れるものも守れない。

 

「我自らが出陣する!ヴェルマー男爵、留守は頼むぞ」

「は、はっ!」


 突然名指しされたヴェルマー男爵は目を見開いている。出陣することは納得したものの、大公自ら兵を率いるなど予想にもしていなかったからだ。これが百戦錬磨の勇将ならばまだしも、アレオン自身もまともに戦を経験したことがない素人だ。というより、この国の貴族のほぼ全てが戦を一度も経験したことがない。


「それでは万が一のことあったら取り返しが利きませぬ!」


万一を恐れる者たちは少なくない。保守的な思考が目立つのも相手が相手だけに当然である。しかしアレオンはその者達を一蹴する。


「大公自らが出ることに意味があるのだ。及び腰で城に篭っているだけの大公を誰が支えようと思うだろうか。民もそんな我のために戦おうとは思わぬ。我自ら戦う意志を見せてこその戦だ!」


 アレオンは一世一代の全てをかけて戦う意志であった。国を守るのは自分だと、強い決意をその目に宿していた。








「さて、そろそろ戦が始まってしまいますぞ。早く答えをいただきたい」


 エルドリア城の一室で、貴族としてはやや覇気の薄い男が額に脂汗を浮かべていた。対して正面に座する黒装束を身に纏った男は鋭い眼光を携えて飄々と尋ねている。


「従えば本当に大公になれるのだな?」


 貴族の名はアクロン・ヴェルマー。男爵の地位にあり、古くからエクドール州の盟主的立ち位置にあったヴェルマー家の当主だ。大公アレオンの姉が嫁いだ縁戚の家で、国内ではアルバレンに次ぐ第3の規模を誇る領地を持つ。


 アルバレン家は初代大公の次男がアルバレンを奪取した際に新しく創設した男爵家で、ヴェルマー家はそれまでは名実ともに国内第二の実力者だった。

 そんな国内の実力者であったヴェルマーは、次期大公になるのは自分の息子だと思っていたのだ。アレオンには娘しかいない。アルバレン家も男子が二人いたが、一人が夭折したために大公家に入ればアルバレン家の後継者がいなくなる。一方でアクロンには三人の息子がいる。長男が次期大公として王太子に迎え入れられることを期待していたのだ。


 しかし、そんな考えは易々と打ち砕かれる。あろうことか長年の宿敵である帝国から婿養子を迎え入れた。当然内心は穏やかではない。アレオンは自分を蔑ろにして帝国にすり寄ったのだ。ただでさえ弱腰で近年は王国の圧迫を甘受している。不満を募るのも当然の摂理であった。


 そんなアクロンは、無謀にも出陣を決したアレオンに代わって留守居役を任された。反旗を翻すには絶好の好機である。これまでは何度も王国の手先に唆されながらも、エクドールの貴族という自覚が変心を封じ込めていた。


「ええ、大公国は我が国にとっても非常に重要な国。帝国と手を結んでいる現状、これを覆さねばなりません。義弟に復讐する時ですぞ」


 黒装束の男はロンベルク公爵家グラハムの配下諜報機関の一員で、ヘンリックを襲った集団のリーダーでもある。暗殺に失敗したことでグラハムの強い叱責を受け、青痣を身体の至る所につけていた。そして汚名を返上すべく、この交渉に命を賭す決意を固めている。並々ならぬ激情はアクロンを威圧するばかりだが、この場においてはそれが有効に作用しているのは明瞭だった。

 そしてこの煽りがアレオンへの敵愾心を引き出す。


「承知した。王国に手を貸そう。その代わり約束を違えるでないぞ」

「無論にございます」


 男は悪どい微笑を浮かべた。アクロンもそれを不気味に思いつつも、己の信念を貫くべく力強く立ち上がった。









 俺は理想通りに戦況が動いていることに満悦の表情を浮かべていた。アレオンの鼓舞もあり、一方的に痛めつけるだけの戦いに将兵も気を良くし、士気を徐々に上げている。


 公国戦力一万のうち、公国騎士隊の一千と、貴族の領兵、金で雇われた傭兵など併せて二千五百が攻勢に参加していた。しかし、戦闘が始まって三十分程経った頃、突如として雲行きが変わる。


「何?城に待機している部隊が南下している?」


 俺はどれほど戦況が良くても城で控えているよう固く命じていた筈だ。それが南下しているとはにわかに信じ難い話である。調略の甲斐あって帝国に悪印象を持つ人間もある程度矯正したつもりだ。俺への叛意を示しているとも思えない。


「義父殿に至急これを伝えよ。不測の事態よあもしれん」

「はっ」


 嫌な予感が腹から胸へと這う。俺を無視して戦に参加するメリットが考えつかない。そして嫌な予感はついに現実となる。勢いよく迫っていた公国の部隊がそのままの勢いで突っ込んだのだ。

 後方にはアレオンもいるはずだ。俺の言葉はまだ伝わっていない。程なくして金属音がこだまする。公国軍同士が衝突したのだ。


(まずい、まずいぞ!なぜ味方を攻撃する!)


 俺は理解不能な行動に頭がショートしかけていた。綿密に策を練っていたはずだ。これは敵の兵数を出来るだけ削り、士気の低下を誘う戦いだったはずだ。それがどうだ?味方は阿鼻叫喚にの地獄に晒され、その命を徐々に散らしている。俺の甘さがこの状況を呼んだのだ。

 だが何が問題だったのか。まるで見当がつかない。王国の調略を受けて早々に寝返っていたというのだろうか。


「ご主人様! しっかりなさってください!」


 自責の念に思考を乱していた俺に、シャロンの声がかかった。城で待機していたはずのシャロンがどうしてここのいるのか、それに納得するための思案に至る余裕はなかった。

 俺は錆びた人形が如くぎこちない動きで双眸を見据える。


「……なんだ」

 努めて冷静沈着な仮面を被る。


「王城が、エルドリアが占拠されました」

「なに?!」


 信じ難い文言に耳を疑った。しかしシャロンの真剣な表情から、嘘だとは思えない。エルドリアは堅く守られている。外敵による占拠ではない。やはり王国の内通者がいたということか?


「首謀者は誰だ」

「アクロン・ヴェルマー男爵です」


 ヴェルマーということはアレオンの縁戚だ。アレオンの姉の夫ということになる。ヴェルマー家は昔からエクドール州の貴族の代表的存在だった。この戦いに際して、エルドリアの留守居役を任され、アレオンからの信頼も窺える配役であった。


「奴か」


 覇気のない不気味な男だとは思っていたが、内にとんでもない野心を秘めていたようだ。叛意など全く感じられず、むしろ従順な男と捉えてあまり干渉しなかったが、それが仇になったわけだ。改めて己の迂闊さを呪う。

 大公の姉の夫という立場で国での社会的地位も高いのに、大公の座を他国の人間に譲ったのだ。恨みは募って当然かもしれない。


「そして公女殿下は城の地下に幽閉されました。しかし城は乗っ取られています。逃げるならば西しかありません」


 アルシアナが人質に取られた。その事実に目の前が真っ暗になりそうになる。城にいた将兵の七割が戦闘に参加している。城は今ならば隙があるはずだろう。城を奪還するのは難しくても、アルシアナを救出することはできるかもしれない。


「……公女を救出するぞ」


 俺は絞り出すように告げる。


「危険です。地下牢は間違いなく厳重な警備が敷かれています」


本来は重罪を犯した貴族等を収容する場所だ。当然守りは固いだろう。 


「俺だけが落ち延びることになんの意味がある。公女がいなければ誰も俺を大公とは認めん! 義父殿も命があるか分からぬ現状で、公女を見捨てればこの国に未来はない」


 だが俺は帝国から嫁いできた身だ。大公の娘との婚姻があったからこそ、次期大公として認められたのだ。それがなければ俺はただの帝国皇子に過ぎない。誰も俺の言うことに耳を貸そうとはしないだろう。


「……分かりました。しかし如何しますか」


 シャロンは渋々といった様子で首肯した。危険な行動になるのは必定だ。当然の反応だろう。


「幸い私兵隊は無傷だ。魔法を使える者も多い。シャロン、お前は先にアルバレンに向かえ」


 うちには存在感を極限まで薄めたり、水、氷、炎など多様な魔法を使える者もいる。これだけの精鋭が揃っていればいくら占拠されているといっても可能性は見込める。


「いえ、私も同行します。回復魔法が使えれば何かと役に立ちましょう」


 頑固なのは変わらない。俺は頼もしく感じつつも溜息を吐かずにはいられなかった。


「勝手にしろ。コンラッド!」

「はっ」

「まだ戦いに巻き込まれていない兵をアルバレンに誘導しろ。あの城ならまだ戦えるはずだ」


 元々は帝国からの侵攻を阻止するための城だったが、ようやく本来の役目を果たす時が来た。アルバレンはこの戦いでの敗戦も考えて、出兵は行っていない。アルバレンはエルドリアに次ぐ第二の都市で、三万人の人口を誇る城塞都市だ。動員兵力も限界まで集めれば二千は確保できるだろうか。どれだけ集まるかはわからないが、何もしないよりはいいはずだ。公女を救出した後のことも考えねばならない。


「御意」


 幸いなことに王国の将兵は鉄条網の対処に苦心してまだ前方にいた部隊はほぼ無傷だった。煩雑な戦場だが、コンラッドの指示通りに動いてくれることを祈りながら、俺は移動を開始した。

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