優勢

 ヴァラン王国の王都・ザンブルグとエクドール=ソルテリィシア大公国の公都・エルドリアを繋ぐ街道。北に進めば進むほど雪が深まることから雪の道と称されるこの街道に、五万の大軍が所狭しと並んで北上していた。

 四月を間近に控えたヴァラン王国はすでに温暖な気候が顔を見せつつあるが、それも大公国領に入ると一気に景色は移り変わる。雪こそ降っていないものの、王国と比べれば鋭い寒気は徐々に将兵の体力を蝕んでいく。足元には大量の雪が残ったままであるという事実も、行軍の速度を鈍らせた。


 総勢五万を後方から指揮するのはグラハム・ロンベルクという公爵の名を冠した高貴な将軍であった。ヴァラン王国は三大公爵であるロンベルク、コルベ、ヴェリンガーの三家がとりわけ強い権威を誇っている。王国は国王の下にこの三者が権力を拮抗させることによって国家体制を維持してきた。つまり、皇帝が圧倒的な権力を持つ帝国とは違い、国王は名ばかりで三大公爵の方がむしろ強いという状況である。公爵家の力が無ければ政が円滑に行えず、国の統治が揺らいでしまうため、王家が三大公爵の為すことに口を挟むことは極力抑えられてきた。


 まだ王家が正当な力を持ち、武力によって国を支配していた時代。当時は三大公爵の力が王家を凌ぐことはなく、王家による健全な統治が恙無く行われていた。

 そんな時代、侯爵の地位にソルテリィシア家という三大公爵に次ぐ実力者がいた。エクドール=ソルテリィシア大公国の前身となる貴族である。初代大公アレクシス・ソルテリィシアは元々侯爵の地位にあったが、帝国との戦争で大殊勲を挙げ、当時の国王の独断によって多大な裁量権を認められるとともに、公爵を通り越して大公の地位を与えられてしまった。大公という地位はかつて無く、アレクシスの武功に応える形で半ば新設された地位である。「大公」の地位は小国を治める最高権力者を意味し、当時の三大公爵も当然不満は大きかった。しかし、ソルテリィシアの活躍が無ければ敗北し、国は滅んでいた可能性がある。その戦功を認めないわけにもいかない。まだ国王権力が健在だった当時は不満を表に出す事はなく、比較的反発は少なかった。


 しかし当時の国王もその不満は察しており、転封という形で不満を和らげる。土地の広さは五倍以上になるものの、北部の貧しい土地に移った。ソルテリィシア家が元々治めていた土地は比較的肥沃であったことから、思惑通り不満は和らぐことになる。

 その地はエクドール州と呼ばれ、現在の寄子となる男爵以下の貴族達が治めていた。しかし貴族でありながら生活は貧しく、ソルテリィシア家が寄親になることを歓迎する。ソルテリィシア家は領地を移し、侯爵から大公に大きく格上げとなった。同時に大公として一国の主になったわけだが、エクドールの名を失することに好意的な貴族は少なく、結果的にエクドールが国名に残る形で「エクドール=ソルテリィシア」となったわけだ。

 アレクシスは領民に親しまれる名君であった。農作物もロクに育たず、住める区域も限られている中で、精一杯の統治に励んでいる。旧ソルテリィシア領からもアレクシスを慕ってわざわざ貧しい土地に移住する者も少なくなかったという。


 以後エクドール=ソルテリィシア大公国は「王国の右腕」として国を支えていくことになる。アレクシスを中心に強力な軍隊を背景に、暫くは平穏な時が続く。しかし、蜜月な関係も長くは続かず、先代大公が奢侈で自らの力を大きく削いでしまった。右腕を失った王家は不満を募らせていた三大公爵に立場を覆され、国家の舵取りが専ら三大公爵によるものになってしまったのだ。現王国が敵対しているのも、元はといえば大公国が原因である。しかし三大公爵によって国の舵を失ってもなお、アレオンが大公の地位を世襲してからも、国との関係悪化とは別に大公家と王家の関係自体は比較的良好であった。

 それを疎んだ三大公爵が王家とソルテリィシア家の繋がりを断つべく、王家の名を用いてソルテリィシア家に銀の採掘権の半分を譲渡するよう命令した。これが両者の良好な関係に修復不可能なまでの亀裂を生む。その交渉を行った人物が「王家の人間」であったことが致命的だった。王家といっても一枚岩ではなく、中には三大公爵に味方する者もおり、兄弟間での争いが絶えないのが実情である。中でも最も三大公爵寄りだった王族に自ら足を運ばせ、王家と大公家の関係を切り裂くような交渉を持ちかけたわけだ。


 三大侯爵側も断ることを前提で、断れば戦争を始める良い材料にできると踏んでいた。そして“期待通り”ソルテリィシア家は激怒する。王国によって自治権が認められているにも関わらず、越権行為と言わざるを得ない王族の行動があった。


 当然反発は大きかったものの、これに危機感を覚えたアレオンが帝国に婚姻同盟を申し出た。同盟と言っても半従属的なもので、以前のヴァラン王国との関係よりも遥かに不利なものだ。銀の採掘量の3割を渡すというのは信じがたい話だ。せいぜい1割が限度だろう。五割という公国が到底受け入れ難い条件を提示したのが裏目に出た形になり、面々は一様に臍を噛んだ。

 そして帝国と公国が手を繋ぐことを恐れたグラハムは、ヘンリックの暗殺に踏み切った。結果は失敗に終わり、グラハムは失態を晒すことになる。故にグラハムのエクドール=ソルテリィシア大公国に対する憎悪は輪にかけて深いものがあった。


 ただ、当然ながら三大公爵はソルテリィシア家を見下している。この戦争も圧倒的な戦力を示して一捻りで終わるだろうと楽観視していた。グラハム自身もこの戦いで敵をなす術なく叩き潰すことで、汚名返上を狙っていた。


「なんだ? なぜ進まぬ。雪崩か?」


 グラハムは突如として止まった行軍に眉を顰めた。馬に乗った側近が前方から駆けてくるのが視界に映る。そしてグラハムのもとへ着くと気難しそうな表情で告げた。


「それが、斥候によると進路を阻むように鉄の柵が立っているとのことです」

「鉄の柵?ふん、公国も無駄な足掻きをするものだ。気にせず強引に突破しろ。鉄の柵など取るに足らぬわ」


 グラハムは一蹴する。公国が設置した柵など悪足掻きでしかなく、脆くただの障害物でしかないと先入観が先んじていたからだ。

 しかし無駄な足掻きと断ずるのも当然である。王国軍は五万を数える大軍で、多少の障害物は容易に突破できるのが目に見えているからだ。


「しょ、承知致しました!」


 側近は手綱を引いて再び戻っていった。その刹那、慟哭のような痛みに震える声が前方から響いた。目を見張ると、鉄条網の奥から飛び道具を放つ敵兵の姿を視認する。

 

「拙い!このままだと一網打尽にされかねぬ。無理矢理にでも鉄の柵を打ち破れ!」


 グラハムは鮮やかに、兵を大きく損耗せず勝利しなくてはならない。心は焦りに震えていた。グラハムの声に従って前方の部隊は鉄の柵を壊そうと躍起になっている。しかし時間がかかる。鉄柵は迂闊に触れれば怪我をする。故に得物で壊すしか無かった。


「ぐわぁぁぁ!!!!!」


 再び悲痛な叫びがグラハムの耳を劈く。幾重にも並んだ鉄条網の隙間に毒を塗られた撒菱が散りばめられていたのだ。それを踏み抜いた将兵は痛みを超えた呻き声に苦しむ。

 しかし、公国の優勢が長く続くことはなかった。突如として敵の隊列が崩れ始めたのだ。ようやく決心したか、とグラハムは口角を吊り上げた。

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