必勝の献策

 四の月に入るのを待たずして、ヴァラン王国は進軍を開始した。王都から公都エルドリアまでは直線距離で四百キロは離れている。この国の街道の荒れ具合と部隊の規模から考えて、たどり着くのには最低半月はかかると見ている。

 エルドリアは四つの街道が交差する形で発展を遂げてきた。北の銀山に至る短い街道を除いても、アルバレンを抜けて帝国に至る街道、川に沿って王都ザンブルグに至る街道、そして東に向かって王国の東部に至る街道がある。この三つが主に公国の物流を支えてきた。


 王国の軍勢は五万。帝国の動きを鑑みて五万の余力を本国に残してもこれほどの数を動員できるのだから、国力には太刀打ちできない差がある。対してこちらは一万で、そのうち五千は公国騎士団の人間を含めても戦争経験が皆無だ。残りの半分は金で雇った傭兵である。こちらも決して精強とは言えないのが実情だ。兵の質という面を以ってしても不利は否めなかった。


「義父殿、このまま籠城戦に挑めば半年は保ちませぬぞ。軍の空気が悪すぎます」


 国の伝承で崇められているリントヴルムと呼ばれる龍。それが描かれた紋章を胸に携えた一割の公国騎士団の傲慢な態度が起因して一触即発の空気を醸しているというのだ。


「ならば騎士団に指示しましょう」


 アレオンは神妙な面持ちで即断した。


「それでは逆効果かと存じます。この士気低下を招いているのは専ら騎士団の人間でしょう。住み分けの弊害が出ましたな」

「そうはどういう」


 問題は傭兵というより騎士団である。だがアレオンは生まれてこの方支配層に君臨してきた。下々の気持ちなど汲んでいるようで殆ど理解していないのだ。娘であるアルシアナを下層街に近づかないよう配慮していることからも、潜在的な忌避感はあるはずだ。騎士団の連中が原因であると理解していない。むしろ傭兵の方に問題があると考えているはずだ。しかしヘンリック本人が生粋の皇族であったとしても、宮籐稔侍は違う。庶民的な思考を持ち、庶民の立場に立って物事を考えられる。


「この問題を引き起こしているのは騎士団です。権威を傘に来て身分の低い兵を見下している、ということです」

「そのようなことが……」


 無駄にプライドが高いのだ。上層街には寄子の貴族が城下に置いている屋敷の他に、1千の公国騎士団の多くが居を構えている。準男爵の地位を安売りしすぎたのが仇となった。高慢な騎士団の連中が一方的に身分の低い傭兵を詰っているのは容易に想像がつく。

 この様子で王国を追い払うなんて夢のまた夢だ。五万の大軍をグダグダな意思通達のまま跳ね除けられると楽観視していればこのまま滅びを待つだけである。上層部の心は上向きに転じたものの、兵はまた別である。半数ずつ分けて昼夜絶え間なく攻め続けられれば、士気の低下は避けられない。最初からこの調子では拙いのだ。


 傭兵は意固地になっている。こんな奴らが貴族の国に、命をかけて戦えるかと。この世界は国主の威光が必ずしも強いわけではない。市民の貴族に対する忠誠などあってないようなものだし、あったとしてもごく一部だ。だからといって騎士団も、その無駄に高いプライドのせいで馴れ合う気などサラサラない筈だ。俺やアレオンといった支配層の人間が声を上げたところで大した影響はない。


 あるいはアルシアナならと頭に浮かぶ。だがすぐにかぶりを振った。あれほど徹底して突き放しているのだ。今更俺の頼みを聞くとは思えん。アレオンを通じて頼むのも何か違う気がするし、そもそも若い少女の頼みを騎士団や傭兵が真に受けるだろうか。彼女はエルドリアの市民に至っては慕われているが、傭兵も他国の人間だったり、エルドリア以外の都市から来ていたり、下層街の人間だったりと多岐に渡る。彼女を知らない者の方が多いだろう。

 士気を上向きにするには戦いに勝利して団結するしかない。しかし籠城戦で勝利するには時間が必要だ。勝ちの定義も怪しい。すぐに士気を上げるには至らない。


 ならば打って出るしかない。だが相手は五万の大軍だ。正面からぶつかって勝てる道理はない。いかに被害を最小限に抑えて勝利を勝ち得るかが重要となる。

 ザンブルグを出立した王国軍は川を沿った道を確実に進んでくる。東からわざわざ遠回りして進軍することは考えにくい。そう断言できる理由はこの世界の技術レベルに起因する。たとえ王国や帝国の技術力を持ってしても、馬車が容易く行き交える街道を多数整備し続けるのは困難だ。王国や帝国は自国である程度完結できる社会構造ができている。他国に頼ろうなどとは考えていないのだ。故に道路はある程度荒れたままになっている。交易がそれほど盛んではないのは勿論のこと、敵の進軍速度をある程度制限できるというのも理由だ。長年小競り合いを重ねてきた王国と帝国も同様である。


 戦争で最も大事になる要素として、資源の供給は不可欠だ。その中でも、水は第一に重要なものだ。その点、川に沿った道であれば水の補給も容易である。わざわざ格下を相手して遠回りする道理もない。

予めそれを予測できていれば、敵の力を徐々に削ぐことは難しくない。川沿いの街道は広くない。隊列は必然的に狭まってしまう。大軍の進軍にはやや不向きな道なのだ。


「士気を上げ、団結するには戦に勝たねばなりません。少数で敵を圧倒しましょう」


 少数で敵を圧倒する。言葉で言うのは簡単だ。しかし「負けない」ことは辛うじて叶えど、「圧倒する」となれば非常に難しい戦いになるのは必定だ。


「それは野戦で勝利する、ということですかな?しかしそれでは我が軍の消耗は激しく、むしろ結果次第では滅びを早めるだけなのでは」

当然、負ければ公都はいともたやすく陥落してしまうだろう。しかし地の利を生かし、地形を敵に不利な形で使うことができればそれは此方にとって大きなアドバンテージになるのは間違いない。


 つまり、味方の士気を上げるとともに、敵の士気を下げることができれば籠城戦も非常に有利な形で進めることができるはずなのだ。


「なにも正面から愚直に槍を交えることだけが戦ではありません。緻密な謀計を持ってすれば、敵を惑わすなど容易いこと。無論私も五万の大軍を撃破出来るとは一切思っていません。敵に執拗なまでの嫌がらせを致しましょう」


 力押しでかなう相手ではない。権謀術数の限りを尽くし、弱者なりに戦う必要がある。


「嫌がらせ、とは?」


 アレオンは若干身体を前のめりに傾けて尋ねる。


「道全体に障害物を敷き詰めたり、鉄条網を設置したりと、敵が嫌がる策を行います。決して敵を直接仕留めることができるわけではありませんが、罠に嵌った敵に飛び道具を放ったらどうなるでしょう」


 例えば鋭利な木の棒を地面から顔を出すように植え込めば、馬であれば足を怪我してしまう。これらを鉄条網の柵と柵の間に敷き詰める。鉄条網も敵の進路を塞ぐものとしては特に有効だ。処理がひたすら面倒で、馬は触れれば怪我を負ってしまう。棘が出ているため堅い鎧を纏っていてもそれがない部分に当たれば怪我をしてしまうのだ。


「しかし、そのようなものを作る時間などありませぬぞ」

「無論、提案しているのですから作っております。これらが設置されていれば、正面から敵が迫っていても対処するのは難しい。側面から我が私兵隊が横槍を刺せば、敵は大混乱に陥るはずです。自ずと兵の指揮も上がりましょう」


 王国が攻め入ってくることは分かっていたのだ。準備期間はいくらでもあった。私兵隊ではなく、私兵隊を選外になったものを雇い、作らせていたのだ。鉄も安くはなかったが、潤沢なお金があって良かった。


「いやはや恐れ入りましたな。承知致した。ヘンリック殿の策に従いましょう。必ずやこの国を守りましょうぞ」

「ええ、必ずや」


 俺は意気満面に笑みを浮かべた。

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