王国の挙兵

「大公閣下、危急の報せにございます!」


 それは昼餉を済ませた後の昼下がりの時だった。弛緩した空気を途端に引き締める切迫した声に、俺を含めた面々は焦眉の急を察し表情を強張らせた。もっとも、俺は眉を僅かに動かす程度ではあったが。ヘンリックという他人の身体に憑依していることで、内心の感情の起伏が表に上手く出なかったり、意図せずとも他者に高圧的な接し方をしてしまうのは未だヘンリック自身の抵抗を受けているからかもしれない。


「如何した」

 

 本質が弱腰なアレオンだったが、事前に近く王国が攻め込んでくると知っていたため、それを察したのか落ち着き払った様子で尋ねた。


「それが……。王国が、王国が」 


 その先がうまく発せられない。動揺がありありと浮かんでいる。


「もしや王国が攻め入ってくるというのか?!」


アレオンではない、軍の指揮官らしき男が喫驚した。なんと!という声があちこちから上がる。顔を青白く染め、両手で覆うものもいる。


「左様でございまする。文書とともに宣戦布告の使者が参りました」


 予見していたこととはいえ、この絶望感に瀕する面々を見ると、俺もとんでもない状況なのだと実感してしまう。

 ヴァラン王国はエクドール=ソルテリィシアにとって宗主国であり、主権を大公に委ねながらも一定以上の干渉を続けてきた。前述の通り、前大公が銀山の発見を契機に奢侈を重ねた結果、ヴァラン王国は土地を没収するために戦によって吸収を画策する。

 しかし、運悪く帝国が攻め入ってきた。この戦争で王国は多大な被害を出し、どころでは無くなってしまう。ソルテリィシアは当然ながら帝国との戦争に派兵しておらず、無傷のままであった。エクドール=ソルテリィシアが辛うじて独立を守っていたのは、王国と帝国の終わりなき戦いあってこそなのである。


「して、その内容は?」

「はっ。エクドール=ソルテリィシア大公国はヴァラン王国に属し、友好的な関係を約束されながら、度々反逆の姿勢を顕著にし、此度はあまつさえ帝国に与するなどという行動に出た。貴国とは永劫の友好を誓っていた我ら王国にとって、これは許されざる行いである。よって、帝国の支配下から解放するために戦を行う、と」


 白々しい文書だが、筋は通っている。ヴァラン王国からすれば我らは反逆者だ。元々属国の立場であり、王国から領土を下賜されたに過ぎなかった。それが援軍派遣を拒否するだけでなく、あまつさえ帝国と手を結ぶという断固許し難い行動をしている。王国にとっても目の上のたん瘤だ。手切の直接的な原因となったのは王国側の無茶な要求であったが、そもそもの関係悪化には此方にも大きな原因がある。一方的に王国を非難することはできない。


「くっ、そもそも銀の採掘権の半分などという我らを舐め腐り、尊厳を踏みにじるような条件を出した王国が悪いのではないか!」


 一部から王国を非難する声が上がる。当然の不満だ。王国が銀の採掘権の半分を譲渡せよという命令紛いの一方的な交渉を行った。それまでは険悪ながらも軍事的な不穏を起こすことは一度としてなかった。王国としても帝国を隣に控えて徒らに敵を増やすのは避けたかったからだ。なぜこのような要求をしてきたのか、真意を知りたいものだ。

 ただ、俺もここまで早いとは思っていなかった。まだ三の月下旬だ。氷点下を下回るような日は無くなったものの、十度を超える日は少ない。シュフィアンの樹液もようやく採集が始まり、砂糖の生産が進んでいる。もう少し遅くても良かったとは思うが、帝国の動きを警戒し、焦りを覚えたのだろう。可及的速やかに公国を再び手中に収めたいのだ。


 冬の間これを見越して兵を召集していた筈だ。王国にも一定以上の兵を残した状態で、エクドール=ソルテリィシア大公国とも戦うつもりである。いよいよ公国にとって危ない状況がやってきた。王国の動きを警戒していなかったわけではあるまい。おそらくは分かっていて、なおも現実を受け入れたくないのだ。


「て、帝国から援軍を!」


 そんな声も当然上がる。こんな時に支援がなければ、なんのために銀山の採掘量の3割を譲渡したのかと随所から批判が舞ってしまう。王国と相対しても対抗しうる後ろ盾として、帝国の援助という駒を得たのだ。ただ早急な判断は死を呼ぶことになる。俺は冷や水をかけるよう冷静沈着な声音で発した。


「帝国の援軍を呼んでどうなる」

「はっ? それは如何なる意味で」

「王国は体の良いことを言っているが所詮は銀が狙いだ。帝国もそれは同様。帝国軍を国に入れれば生殺与奪の権を握るのは帝国となる。もし王国の侵攻を防いでも、帝国軍がそのまま駐留し対価として銀山の全てを要求し、承諾するまで立ち退かないと言われればどうするつもりだ」


 帝国も銀という鉱山資源がなければ決して同盟を組もうとはしなかった。帝国は元々ソルテリィシア家の活躍によって煮え湯を飲まされた過去がある。逆にそれが無ければ、現在世界の覇権を握っていたのは帝国だったと誰もが認めるところだ。故にこの国は帝国にとって仇であるとも言える。真意は定かではないが、足元を見て銀の3割を分取るような真似をしている。援軍の要請があれば王国の侵攻を機にエクドールに入部し、そのまま実効支配してしまうという魂胆を秘めているはずだ。

 帝国にとっても俺という一応は帝国側に属する人間がいれば、多少強引ではあるものの支配の大義名分にすることも難しくない。


「しかし、帝国がヘンリック王太子が婿入りした国に左様な不利な条件を突きつけましょうか?」


 俺は現皇帝ゲレオン・レトゥアールの実子ではない。それをこの国で知る者はコンラッドと義父のアレオンぐらいだ。シャロンには俺の口から伝えたことは一度もないが、知っているような口ぶりで話すことが度々ある。もし皇帝が俺に対し好意的な男であれば、人の弱みにつけ込むような真似はしなかったであろう。


「この好機をみすみす逃すはずがない。俺は帝国の連中の性格をよく理解している。たとえ帝国の元皇子たる俺がいようとな。それともこの俺が嘘偽りを述べていると?」

「い、いえっ! 決してそのようなつもりはなく」


 俺が帝国へ叛意を持っていると思われるわけにはいかない。この場でも誰が帝国や王国に通じているか分からないのだ。


「嘘だと思うなら帝国の援軍を要請すれば良い。その場合責任を取るのは誰になるか分かっているであろうがな」

「ぐっ……」


 なまじ権力を持つ者は『責任』という言葉に弱い。誰しもが責任など取りたくはないのだ。もし失敗して権威を失うことは否が応でも防ぎたい。故に不平を述べる者はいなかった。俺の剣幕に圧されたということもあるだろうが、目を逸らして大事な決定に関わりたくないという意思が見える。


「ですが、帝国の援軍なしで王国の侵攻を退ける術などありませぬぞ」

「弱小国家が強大な王国に勝ち目がないなどと、誰がそんなことを決めた。この国は守るには適した国だ。夏の間耐え凌ぐことができれば敵は撤退せざるを得ない。雪が積もれば敵の動きは鈍くなる。食糧も余計に必要だ。こちらの長所を認識していれば優位に進められる可能性は十分にある」

「……」


 面々は呆然と言った様子である。この様子だと、皆勝ち目はないと断定していたのだろう。そもそもこの国に敵を引き入れて戦った歴史がない。王国の左腕として帝国との戦いに兵を送っていたに過ぎないのだ。経験不足は決め付けを助長する。こうなるのも致し方ない。

 かつては大量の兵糧を消費してまで攻め取る旨味は無い土地だった。故に帝国の魔の手が伸びることはなかった。兵の練度の低さは問題だな。


「王太子の申す通り、負けると決まったわけではない。袂を分かった王国に屈するわけにはいかない、そうだろう?皆の者!」


 おおう!その通りだ!と随所から賛意の声が上がる。上層部の意識改善は最低限為すことができたようだ。王国への敗北は滅亡と同義である。負けることの許されない戦いが、今始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る