公女との確執

 エクドール=ソルテリィシア大公国の大公であるアレオン・ソルテリィシアの一人娘として生を受けたアルシアナは、鬱屈した心境で婚礼を迎えた。

 目下の悩みの種は帝国から婿としてやってきた「ヘンリック・レトゥアール」という男だ。

 初めて顔を合わせた日、私を視界に入れようともせず、ひたすら大公の父を見据えるばかりであった。まるで興味がないような反応に、アルシアナはひどく落胆した。その後行われた婚礼でも一切の興味を示してはいなかった。


(公国にとって、私は次期大公の子を生むための道具でしかないのだわ)


 そう思ってしまうのも無理はない。思春期の女子として、多少のロマンは胸に秘めていた。しかしそれが粉々に打ち砕かれたのだ。現実という鋭い刃によって。無論色恋沙汰という意味からではない。現実はそんな生易しいものではなかった。


 ヘンリック・レトゥアールの身辺について探りを入れてみた。帝国での渾名は「暴虐の皇子」。探れば探るほど、否定的な結果しかもたらさない。人当たりは冷酷無惨で人としての感情が欠如している人格破綻者という印象しか持てなくなっていた。

 一縷の望みを懸けて何度か話しかけた。だが対応は一環して「今忙しく構っている暇はない。用があるならそこの使用人を通せ」というものだった。一瞥もくれず平坦な声音で告げられ、流石のアルシアナも心が折れかけた。


(なによ。公国に来て早速忙しいですって?父上が帝国の要人に婚礼を経ずに働かせるはずがないわ。忙しいというのは方便で、私をわざと遠ざけようとしている)


 そんな最中であった。ルドワール財務長官が退陣した事を聞き及んだのは。建前上は重い病に罹られ、病気の療養が必要だと言うことだったが、全く腑に落ちない。代々世襲制を重んじる公国では、高官の跡継ぎはその息子が選ばれるのが慣例だ。しかし、今回の退陣にとって新たに擁立された財務長官は全く新しい財務官が就任した。父の側近であり、自分の教育係として全幅の信頼を置いていたライデンという初老の老紳士に問いただしたところ、衝撃的な事実が浮かび上がった。


 ルドワール財務長官はヘンリック皇子によって処刑されたというのだ。これは緘口令が敷かれており、決して漏らしてはならぬというアレオンの厳命を無視したライデンの独断だったが、この事実にアルシアナは深く傷ついた。結局その後の処刑された理由は耳に入ってこず、絶望に苛まれたまま場を後にした。


 ヘンリックという存在を必死に美化して虚像を作ることで心の安定を図ろうとするが、もはやそれで収束させられるほど落ち着いてはいられなかった。


「ヘンリック皇子、私は貴方を認めません!」


 溢れ出る憤怒を抑えきれず、ヘンリックの自室に殴り込んだのは皆が寝静まった時であった。


「こんな夜更に何の用だ」


 ヘンリックは不機嫌そうに眉間に幾重にも皺を重ねていた。


「単刀直入にお聞きするわ。ルドワール財務長官の処刑を命じたのは貴方ね?」

「だったらどうする」


 ドスの効いた声にアルシアナは怯んだ。

 ヘンリックは不正に銀を着服するだけに飽き足らず、他国に銀を流すという大罪を犯したルドワール財務長官の摘発をアレオンに持ちかけ、内外に広めることを避けさせた。理由はルドワールが不正を働いたことが世に知れ渡れば、それを放置していた大公に監督不行届きの責が及ぶ危険があるというのが一つの理由だ。この国は周りを敵国に囲まれ、背後は山脈が聳え立ち退路はない。故に一つの失態が大公権力の失墜を招き、国が崩壊しかねないのだ。


 そしてルドワールの処刑が世に知れれば、当然それに与した下層街の連中に不要な詮索が及ぶ。ヘンリックは下層街の長と話をつけ、「銀を横領した罪には問わない」と約束した。所詮は口約束に過ぎないが、綸言汗の如しという。君主が約束を違えることはあってはならない。他の高官が下手な詮索を行って下層街の連中を糾弾するようなことがあれば約束を反故にしたことと同意である。

 それにこのことを秘匿すればヘンリック自身の懐にも入るだろうという打算もあった。


 だからアルシアナの第一声に警戒を示した。ヘンリックとアレオンの他、アレオンの側近らとヘンリックの側近ーーつまりシャロンとコンラッド以外は知り得るはずのない情報だからだ。決して外には漏らさぬよう厳命しろと固く言っておいたはずが、ヘンリックの思惑は外れてしまった。つまるところ、心底焦っていたのだ。完全な緘口令など実現できはしないのに、ルドワールの処刑を隠蔽しようとした。これが間違っていたのだと後悔に駆られていたのである。そんな複雑な感情が絡みあっての、ドスの効いた声だった。


「この国は帝国のものではない。帝国の指示で国を乗っ取ろうとしているのならば容赦しないわ。私は貴方を夫としては認めない」

「ふん、元々認めてもらおうなんて思っちゃいない。所詮は政略結婚の駒に過ぎぬ。だがどうしようもない。ここで俺を殺すか?」

「そのような浅慮な行いはしないわ。ここで殺せば帝国の思う壺よ」


 アルシアナもまだ初々しい類の年齢に位置する淑女だが、彼女は大公家の一人娘である。人一倍の教育を施され、優秀な人間であった。故に浅慮な行動を慎む思慮深さも持ち合わせていた。


「ふん、よく分かっておるではないか。俺を殺せば帝国が攻め入ってくる。そうなれば公国は終わりだ。ならどうする」


 アルシアナは歯を食いしばって視線を落とした。


(分かってる。私にできることなんてない。この愚皇子に危害を加えれば、民が皆苦しむことになる。どうすればいいの?)


 感傷的になり、自らの拳を振り上げるところまでいったが、それがヘンリックに向けられる事はない。目尻に涙を浮かべ口を噤む。罵倒の文言すら紡がれることはなかった。

 ヘンリックの見下す視線に柳眉を逆立てて精一杯の抵抗を見せるアルシアナも、やがて力なく視線を落とす。


「俺の邪魔をするな。公国はそれで安泰となる」

「……ッ!」


 アルシアナは耐えきれず、無言のまま踵を返した。その背中にヘンリックは声をかけない。ひたすら冷酷に視線を向けるだけだった。





「いいのですか?」


 特段外に漏れ出るような声量でのやり取りではなかったはずだが、何か異変を感じ取ったシャロンがいつの間にか隣に控えていた。隠密性能も兼ね備えているらしい。油断していたら寝首をかかれそうだ。


「何がだ」


 一瞬の動揺も見せまいと飄々と返す。


「公女殿下、確実に勘違いされておられますよ」

「それでいい」

「なぜ……」


 その『なぜ』には悲哀や困惑、焦燥が混ざりあっているようにヘンリックは感じた。シャロンとて、慕う主君が傷つくのを見て喜ぶ趣味はない。心中に置いている思いとは裏腹な行動を取るヘンリックに疑問を覚えずにはいられなかった。


「俺は公国の発展を足がかりに帝国を滅ぼす。公国は復讐のための道具に過ぎない。そこに愛なぞいらぬ。ゲレオンも公国に帝国の血を入れたいなどとは思っておらん」


 もしヘンリックとアルシアナの間に子を授かったとする。ゲレオンは先代皇帝の血を後世に残したいと思うだろうか?答えは否だ。生まれたと分かるや否や暗殺を企てるに違いない。どちらにしても不幸な結末しか生まないのだ。


「そんな……。ですがご主人様はいつも民のことを思っておられたはずでは」

「それこそ貴様の勘違いだ。俺は一度も民草のことなど考えて行動はしていない。全ては帝国を滅ぼすためだ」


 ヘンリックが復讐のみに突き動かされて策を巡らせているわけでない事は、シャロンが一番よく理解している。ヘンリックがしてきたことは全て民のためになる行動で、不利益を殆ど及ぼさない完璧な政策に思える。


 シャロンはその事実を知ってなお、ヘンリックに対する好意的な見方はなおも色褪せない。決して盲目的ではない、正当な評価だとシャロンは内心胸を張る。


「しかしいずれも民を安んじることが念頭に置かれた行動でしょう。私はご主人様、ヘンリック様に命を救われました。ご主人様が冷酷無比な人間ならば、ただの使用人に過ぎない私を庇った説明がつきません」


 ヘンリックが復讐に囚われているのは事実だろう。でもシャロンは知っている。ヘンリックがどれだけ他人のことを思いやっているかを。自分は命を救われた。何の思い入れもない一介の使用人を庇うはずがないのだ。本心に突き動かされてした行動だとしたら、誰よりも嬋媛な心を備えていると断言できる。


「それとこれとは話が別だ。それに貴様を救ってやったのは貴様が有用な人間だと見抜いたからにすぎない」

「私はこの目で見ています。民のためを思い徹夜で対策を熱心に練る姿を。孤児院の子供たちに私を介さずに物資を授けていることも。知っていますか?あまりにも熱中し過ぎたご主人様はたまにその内心を漏らしているんです」

「……幻聴だろう。医者に見てもらうべきだ」


 返答に窮したヘンリックの顔は歪んだ。答弁のキレに翳りが見える。


「私の耳は誤魔化せません。嘘だとは言わせませんよ」


(クソっ。ボロが出たか。しかしどう切り抜ける)


 ヘンリックは焦燥に支配されていた。


「何を言われようと俺の帝国への復讐心は揺るがぬ。下手に関係を構築して情に絆され、帝国の復讐心を忘れるわけにはいかない」

「それは……。帝国の民を圧政から救うためですか?」

「なぜそれを……!」


 ヘンリックの目が驚嘆に染まった。一度も口に出した覚えが無いのに、いとも容易く言い当てられたからだ。ヘンリックは自らの迂闊さを呪う。実際はアルバレンへの道中で夢にうなされていたヘンリックが漏らした言葉を拾っただけなのだが、ヘンリックの平静を乱すには十分すぎるものだった。


「ですから、私は耳がいいんです。一言一句忘れません。観念してください」

「……はぁ。俺はこの国に戦乱を引き込む悪魔だ。何を言われようと公女と馴れ合うつもりはない。誤解はむしろ好都合だ。だが勘のいい貴様から逃れられるとも思えん。だから……俺が復讐心を忘れそうになったら引き止めろ。俺は帝国の正統なる皇位継承者だ。必ず帝国に渦巻く悪はこの手でなぎ払う。それでも構わぬなら、黙って俺についてこい」

「……はい!」


 ヘンリックにとっても苦渋の決断だったが、こうして2人の絆は深まった。コンラッドの他に信用が置ける存在がいるのも悪くはない、と判断したのだ。シャロンもヘンリックに対して心から尊敬の念を秘め、そして愛を向ける存在として、死の運命に襲われようとも決して最期まで離れないという決意を固めるのだった。

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