荒廃した孤児院

 意外にもこの国には公都エルドリアに限っては戸籍というものが存在する。現代日本の戸籍と比べてしまえば非常にお粗末なものと形容せざるを得ないが、戦争が絶えない社会情勢において人の所在を記録する仕組みがあるのは稀有と言っていい。


 レトゥアールの帝都・ヘンデルバーグの人口は百万の大都市だが、エルドリアはその十分の一以下でしかない。そのため、ある程度行き渡った戸籍管理が行われていた。身分も大公家の下には寄子である貴族が続き、その下に平民が来る。平民の中にも中層街に住む人間と下層街の人間に大きな差別が存在するが、戸籍上は一律である。

その戸籍に目を通して感じた違和感が、親を亡くした孤児がそのまま放置されているということだ。確かに下層街を回った時、道端で蹲っている子供が妙に多かったように感じる。

 国には孤児院というものがあるはずだが、それが一切の役割を果たしていないように思えた。大規模な孤児院は一応国の保護の下運営されているようだ。しかしその運営状況が一切見えてこない。孤児になった子供を孤児院に入れたという記録さえないのだ。

 子供を孤児のまま放っておくわけにはいかないという気持ちは当然ある。感情的な問題も勿論だが、孤児は破落戸になる恐れがあるからだ。幼少から過酷な環境にあれば当然と言える。それよりもまず、子供は将来的な労力になるのだ。孤児院はそんな子供達の受け皿になる義務がある。


 話に聞く限りだと、この国にはある程度の収入がないと入れないような敷居の高い学校以外存在しないらしい。貧しい者が教育を得る事ができなければ、貧富の差はますます広がる。無論、教育は国民を賢くしてしまうため、様々な公共サービスのハードルが上がる恐れもある。だがそんなものは民の生活が豊かになってから考えればいい事なのだ。


 身分の差に関係なく、有能な人材は登用する。それがこの国を更に発展させることになる。世襲制が悪とは言わない。どちらにも利益不利益がある。日本の政治家も未だ世襲によって地位につく場合が五割程度いると言う。企業の社長が世襲の場合も全く珍しくない。

例の如く、シャロンとコンラッドが供として随行し、下層街の一角にある孤児院を訪れた。下層街の中心部から離れた場所に位置しており、人通りも疎らで辺りは静まり返っている。国営とされるだけあって規模だけは大きいものの、建物自体は草臥れて廃墟に近い状態だった。補修費が国から降りてきていないという証拠だろう。

俺は一抹の不穏さを感じながらも、堂々と正面から立ち入った。

中は静まり返っていた。外見同様内面も壁の塗装は剥がれ落ち、天井付近に見えるステンドグラスと思わしきものは無残に床に散らばっている。


 吹き通しになって内部は荒れ果てているから、ここに住める状態ではないのだろう。エクドール=ソルテリィシアは冬の期間が一年の七割を占める国だ。暖房のない環境はさぞ辛いだろう。


「誰かおらぬのか!」


俺は声を張り上げた。勝手に孤児院の中をほっつき回るのも憚られたからである。


「た、ただ今!」


 奥の部屋から震えた声が発せられた。やがてドアが開くと、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「貴様がここの責任者か?」

「は、はい。ここの院長を務めております、ミレアと申します」


 歳は四十といったところか。国の庇護下にありながら、貧窮に喘いでいる。骨が浮かび上がるほどに痩せ細っている。「院長」という立場でありながら、ロクに栄養を摂取できていない。本来ならば国の援助もない孤児院の院長など、個人的感情に則っても子供の世話をできる状態ではない。見捨てたところで文句を言えるはずもないが、国から報酬を受け取らずに孤児への憐みの心だけで自らの良心に従って行動する姿は褒められて然るべきだろう。


「ふん、随分と荒れ果てたものだ」

「それで貴方様はなぜこのような場所へお越しに……」


 目には怯えが孕んでいる。大体は予想がつくが、その程度は尋常ではない。おそらくは長い間貴族に苦しめられてきたのだろう。俺の姿を見て「貴族」だと断定したが、初めて見る姿に困惑が見え隠れしている。


「俺が来て不都合があるか?」

「いえ、そのようなことは……。本日は男爵様はいらっしゃらないのですか?」

「男爵?誰だ」

「ルドワール男爵です」


 俺は舌打ちで不機嫌さを露わにする。

 ルドワールは腐っても貴族だったな。あの俗物はこんな孤児院の財政も無視して懐に貯め込んでいたのか。新しく財務長官に就任した人間もまだ引き継ぎに時間がかかっている。孤児院にまで手を回す余裕はないのだろう。だが事は危急を要する。


「あいつはもうこない。俺がこの手で殺したからな」

「ひっ……」


 恐怖に染まった双眸が俺を虚げに捉える。俺が凶暴な人間に見えるか?まあ見えるだろう。俺は「暴虐の皇子」と呼ばれていた。その気性はその渾名から推して知るべしだ。孤児院にとっての天敵を潰し、自らこの場所に足を運んだ。言動から見ればミレアにとって俺は「男爵よりも恐ろしい貴族」である。

 見下ろす者と見下ろされる者という構図で沈黙は続くかに思えた。しかし、視線の先に猛然と駆け寄ろうとする子供の姿を視認すると、途端に空気が凍りついた。

 手に刃物を持っていたからだ。


「コンラッド、殺すなよ」

「はっ」


 俺の声を聞くまでもなく、コンラッドは動き出していた。そして赤子の手を捻るように一瞬で捉えてしまった。


「はなせ! いんちょうにてをだすな!」


 冬にも関わらず薄着だ。よく見ると怯えたようにこちらを見つめる瞳が無数に覗き込んでいる。服すらもまともに整えられないのは流石に改善が急務だ。この孤児院ももう老朽化が進んで修繕するより新しく作り直した方が良さそうだな。


「やめなさい、ベルク!」


 俺は冷ややかな視線を送る。それに気づいたミレアは青ざめて土下座した。


「申し訳ございません! 全て私の責任です。この子は許してやってください。根はとても優しい子なんです!」


 切羽詰まった答弁は涙声となって虚空を揺らいだ。


「ふん、子供一人が襲い掛かった程度で手を下すほど愚かでないわ」

「あ、ありがとうございます!」

「まあそれはいい。ここは孤児院としての形を果たしておらん。取り壊した方が良いかもしれん」


 俺の言葉に絶望の色を濃くする。孤児院は親を失った子供達にとって唯一の受け皿であり、これを奪われることは即ち死を意味する。


「それだけは! それだけはおやめください! どうか、お願い致します。ここがなくなれば子供たちは路頭に迷ってしまいます。どうか……。どうか!」


 ミレアは土下座で頼み込んでいる。干支2回り程年上の女性にこんな行動を取らせてしまうのは正直心が痛む。それほどまでに追い詰められていたということだろう。

 ルドワールが正しく金を回していれば、この孤児院も健全な運営ができたはずだ。今もなお孤児院にも入れず孤児となって路頭に迷っている子供は無数にいる。孤児院の造営は急務だ。


「安心しろ。俺はルドワールのような卑しい男ではない。多くの孤児が収容できる施設を改めて別の場所に建設してやる」


 こればかりは私財を投じるべきだろう。私財をとは言ってもルドワールが残した財で、本来ならば孤児院に回っているはずだったものだ。下層街のインフラも順次整えていく予定だ。その過程でバラック小屋のような建築基準もクソもない建物は無数にある。これを取り壊して新しく孤児院を建てれば良い。


「本当ですか!?」


 ゆくゆくは学費のかからない学校を建設し、人材を育成したい。こればかりは中長期的な目で見なければならないが、将来のエクドール=ソルテリィシアのためには必要だ。帝国への復讐を見据えれば有能な人材は見出しておきたい。


「子供は労働力になる。それだけだ。貴様らにはこれまで以上に働いてもらう。良いな」


 俺はそう言い捨てて早急に場を後にしようとする。


「はい……。ありがとうございます。この御恩、一生忘れません。最後に名前だけでも……!」

「ヘンリック・レトゥアールだ」


 飄々と立ち去ろうとする背中には、痛いほどの羨望の眼差しが注いでいた。

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