下層街の長

 義父・アレオンとの対談で、俺は公国の庇護下である程度自由に動ける権限を得た。まずはこの国を大きく変える必要がある。かつては貧しい土地に人口も少なかったが、銀山の発見が急速な発展を呼んだ。逆にこの国の強みは銀しかないのである。

 しかし産出量の三割を帝国に渡す条件を飲んでしまった。王国に迫られて焦ったのは分かる。それでも愚行と言わざるを得ない。本来ならば一割程度でも多いくらいだ。追い込まれた者はどうしても脇が甘くなる。とはいえ、取り決めたことを破るわけにもいかない。それこそ破滅が待っているのは明らかだ。

 そろそろ王国に暗殺失敗の報が届いた頃だろうか。帝国だけでなく王国の動向も注視する必要がある。

 幸い金はそれなりにある。できることは多い。俺は現代日本で培った知識がある。それは農林水産業や商業、建築、家政など多岐に渡る。まずは街に出て改善点を洗い出す必要があるな。


「おや、殿下。お出かけですか?」


 俺は庶民の服を身に纏ってお忍びで街に出ることにした。すると、何かを察知したのかシャロンが俺の元へとやってきた。


「もう俺は帝国の皇子ではない。気安くその名前で呼ぶな」


 次期大公であることに間違いはないが、名目上は王国の傘下にあるソルテリィシア大公家の家督を得るということだ。大公国はその名の通り「公」が主体となって王国に自治権を認められている有力貴族というのが実際の立ち位置である。まあ今回の件で王国と手切れを表明したのと同義になる。帝国と王国がこの地を巡って戦争を起こす可能性だってあるのだ。帝国と王国が戦争を起こしてくれた方がむしろありがたい。そうすればどさくさに紛れて国の発展に注力できるからな。とはいえそれは現実的ではない。期待して待ちつづけるつもりもない。

王国が攻め入ってくる前に地盤を固めておく必要がある。今後の目標設定のためにも一度街を見ておく必要があると思った。


「これは失礼しました。ではご主人様と、そう呼ばせていただきます」


ご主人だと?ここはメイド喫茶でもなければ、奴隷と主人の関係でもない。気恥ずかしいから殿下のままが良かったが、別の呼び名で呼べと暗に命じたのは俺だ。一度口に出した言葉を取り消すのは貴族としてはあるまじきである。綸言汗の如しという慣用句がある。中国発祥の格言だが、これは主君が一度発した言葉は取り消すことがあってはならないという意味である。発した言葉を頻繁に否定するような君主は、自らの言葉の重みを失っている。一言一句に気を配る必要があるわけだが、ここは公の場ではない。そこまで気に留める必要もないか。俺は渋々了承する。


「勝手にすればいい」


 俺は露骨に溜息を漏らして不機嫌さをアピールした。せめてもの抵抗といったところだが、それでもシャロンの仮面は崩れない。しかし鉄仮面と呼ぶほど固くない。なぜか物腰も柔らかくなっているように感じる。しかし気のせいかと自分を戒めた。


「それでご主人様、私も付いていってよろしいでしょうか」

「……ふん。好きにしろ」


 わざわざ俺の後をついてくる意味があるかと言われれば首を傾げたいところだが、だからといって断る理由もない。やましい事があるわけでもないのだ。これから向かおうとしていたのは所得の低い層が住んでいる下層街だが、ここの治安は正直良くないと聞いている。戦闘になる恐れもある。

 一対一ならば負ける道理はないが、突然武器を持った男の集団に襲われるようなことがあれば、さすがのヘンリックの剣術を以ってしても荷が勝ちすぎる。傷を負った時に回復魔法があれば便利だ。シャロンはそういった時に役立つ。まあそうならないのが一番だから、屈強な味方は必要だろう。万が一に備えてコンラッドも連れて行くことにした。


「では少々お待ちを。すぐに用意して参ります」

「服装には気を付けろ。あくまでお忍びだ。万一にもヘンリック・レトゥアールとその従者とバレるわけにはいかん」

「承知しました」


 心なしか僅かに声が弾んでいるように聞こえる。これまで帝国で辛い日々を送ってきた。その圧迫がなくなって、気が楽になったのだろうか。

 王城は前大公の趣味か、豪華絢爛な作りになっている。莫大な費用をかけただけあり、堅牢で他国の侵攻をある程度抑えられると踏んだ。てっきりアルバレン要塞が詰めの城で、エルドリアの王城は居城であって敵国から守る機能は無いと勝手に思っていたがそうではないらしい。

 城壁が王城を囲うように幾重にも聳え立っており、城の外に形成された街も更に城壁によって囲まれている。規模でいえばアルバレンを遥かに凌ぐ威容と言えるだろう。区画ごとに上層街、中層街、下層街とある程度の生活水準で完全に区切られている。国柄か、かなり閉鎖的だ。金があると言っても上層街、中層街までは行き渡っているインフラが下層街に行き渡っておらず、荒れ果てている。


 こればかりは現大公が悪いというより、前大公の浪費と圧政が原因だろう。一朝一夕で変えられるものではない。代替わりを経ても王国への対応に苦慮し、民の生活を改善するための行動に出ることができなかった。しかし、表面上は改善が見えるものの、一部の区画に至っては犯罪が横行し、糞尿の悪臭で汚染された掃き溜めのような状況になっていた。

 俺はあえてその区画に立ち入った。明らかに視線の質が異なっている。ここでは異物は異端者なのだろう。横目に入っているシャロンも眉を顰めて居心地が悪そうだ。そして案の定、立ち入ってすぐガタイの良い男に道を塞がれた。少し離れた位置にいるコンラッドなど視界に入っていない様子だ。


「おい、兄ちゃん。この先になんか用でもあるのか?ここはガキが来る場所じゃないぜ」


ニヤニヤと悪どい笑みを浮かべ、距離を詰めて来る。


「コンラッド」

「はっ」


コンラッドは剣を抜いてすぐさま男に奇襲をかけた。


「ぐはっ……。お前、なにしやがる! 俺を誰だと」


そんな問いに答えるはずもなく、追撃の拳を見舞う。コンラッドは帝国でも随一の精強な戦士。男一人に苦戦するほどヤワじゃない。王国の刺客10人のうち、ほぼ全員を一人で相手している。八方から注ぐ視線の主を全員相手しても無傷で圧倒するだろう。


「お前、なんのつもりだ」

「それはこちらの台詞だ。俺に敵対の意思はなかったんだがな。手を出したのは貴様だろう。責められる道理はないな。ああ、この現場を見ているお前らにも忠告しておこう。この男は王国で百人の敵を屠った悪魔だ。何、危害を加えるつもりはない」


 誇張したがコンラッドの戦いぶりをその目で見た後だ。否が応でも信じた方が身のためだ。


「……何が目的だ」


 男は観念したようで、拘束に対する抵抗をやめる。それを見て、俺は膝をついて神妙に問うた。


「一つ取引がしたい」

「……聞いてやる」


 ムスッとした感じで視線を背けているが、聞く姿勢はあるようだ。


「ここでは拙い。場所を変えるぞ。それとこの区画を牛耳る長に会いたい」

「それなら俺だ」


 俺たちを襲った男がその人だったらしい。まあ実力主義というか、力こそが第一に重要視されるような柄の悪い連中の中で、相手の力量もロクに測らず率先して手を出そうとしたのだから、たとえ阿呆であっても腕っ節には自信があるという事だ。ここで一番の権力者である予想もつけていた。


「自らお出ましとは、話が早くて助かる」


俺は柔和に微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る