大公
「改めましてヘンリック皇子、ようこそおいでくださいました。私がエクドール=ソルテリィシア大公国現大公、アレオン・ソルテリィシアと申しまする」
俺がエルドリアに到着すると、夜更けが近いというのに歓待の宴が催された。アレオンは質素な服装を身に纏っている。銀で資産を積み上げた国の指導者とはとても思えない。顔色を伺うようにして額を湿らせている。やはり気弱で軟弱な大公であるというのは虚偽ではないのだろう。大公という地位にありながら威厳というものが微塵も感じられない。
「ヘンリック・レトゥアールです」
「こちらが娘のアルシアナ・ソルテリィシアにございます。ほらアル、皇子にご挨拶を」
アルシアナというアレオンの一人娘は、隣に座っている母と思わしき人物に似て見た目は麗しく、金の糸を編んだような綺麗な金髪を持ち、切れ目は気が強そうな雰囲気を醸している。愛称はアルと言うらしい。
「アルシアナと申します。これからよろしくお願い致します」
礼節を弁えた所作に見えるが、実際は俺のことを睨んでいるようにも見える。俺との婚姻に喜びは一切感じさせない。逆の立場だったら俺も嬉しいとは思わないか。それに俺としても、婿養子としてアレオンを父と仰ぐことになるが、ビジネスライクな関係で構わないと思っている。俺はこの国をいずれ反帝国の旗頭に据えようとしているのだ。そんな思惑を心中に置きながらアルシアナを心の底から妻と思えるわけがない。
「ああ。よろしく頼む」
俺は目を合わせることなく簡潔に返答する。アルシアナの眉が僅かに動くが、一切気に留めることはなかった。
「それで皇子、婚礼についてですが」
「はい。それを含めてお話しすることがあります。人払いをしていただきたい」
俺の一言にアレオンは怪訝そうに顔を顰めたが、深く追求することは避けたようだ。やがて使用人に指示を出し、部屋の中にいる人間すべてに退出するよう命じさせた。俺のそばで控えていたシャロンは恨めしそうに視線を向け、アルシアナも同様に睨み付けている。嫌われるように振る舞った自覚はあるけど、なかなか精神的にくるものがある。
そして俺とアレオン二人の静寂な空間が創出され、改まり話を切り出した。
「アレオン殿、いや、義父殿。今のこの国の現状をどう捉えていますか」
俺はなるべく言葉に配慮して尋ねる。敬語は慣れていないのか、言葉を繰り出すまで若干のラグがあったが、こればかりは矯正していくしかない。
「なんとも唐突ですな。しかし皇子はゆくゆくはこの国を背負うお方。お話ししましょう」
アレオンは一切の嫌味のない苦笑いで応対した。そして少しキリッとした表情に映り変わったと思うと、言葉が出てこないのか、それとも言葉を選んでいるのか時間が空く。その沈黙に耐えかねたと言うわけでは決してないが、俺は単刀直入に問うた。
「本当に私を次期大公にするおつもりか?」
「それはどういう……」
俺の鋭い切り込みに困惑した表情を浮かべている。意図が理解できないというより、こいつは突然何をトチ狂った事を言っているんだという心情が正しいだろう。俺も脈絡のない発言だと自覚している。ただ躱し躱しの問答では拉致があかない。
「帝国は長らく王国と、ソルテリィシア家と刃を交えてきた。私はそんな帝国の次期皇帝候補だった男です。そんな人間に国を任せるなど正気の沙汰ではござらん」
「そう仰られても、我が国は近年の王国との関係悪化でいつ崩壊してもおかしくありませぬ」
アレオンの申すことも真実だ。元はヴァラン王国の支配下にあったエクドール=ソルテリィシア大公国が、宗主国に逆らって独力で対抗できるはずもない。全軍で国を三方から攻められれば国は一ヶ月と保たないだろう。しかしそれができない現実が国を助けている。王国は帝国という宿敵と国境を隣接し、長年睨み合いを続け、時に争い、時に和を結んできた。帝国の存在が全軍での攻勢は不可能にしているのだ。
その帝国と半従属同盟を結んでしまった以上、今後は帝国の影響を大きく受ける恐れがある。とりあえずは銀の三割の採掘量で満足しており手を出す気配はないものの、そのうち再び財政難に陥れば圧力をかけて譲渡の割合を増やす交渉が始まってしまうだろう。
「銀が国を揺るがす火種になっている。俺が帝国側の立場ならば、大公の地位を世襲した後、銀山の採掘権すべてを帝国に移譲します。帝国が欲しいのは銀ただ一つ。エクドールの民、国土に一切の価値は見いだしてはおりませぬ。そして銀を失った国がどうなるかは、義父殿もお分かりでしょう」
目を見開いて狼狽を隠そうとしない。アレオンは暗愚ではないが弱小国家の指導者としては知謀が圧倒的に足りない。
この国の現状はひどく暗い。まず長年宿敵であるはずだった帝国の庇護を受けようという時点で拙いのだ。帝国の指手が伸びるのを助長するだけである。帝国は先の大戦でソルテリィシア家によって煮え湯を飲まされた。帝国は少なからず憎しみを秘めているのは必定であろう。たとえ先代大公が王国との関係悪化を招き勢威も減退の一途を辿り、王国の無茶な要求を飲まされようとしてもだ。帝国と手を結ぶべきではなかった。
それを今言ったところで後の祭りだ。まずは帝国や王国の侵攻に耐えうる国を作る必要がある。
「し、しかし皇子。それを認めるわけには参りませぬぞ」
アレオンも国を守るため、苦渋の決断だったであろうことは想像に易い。だが現実は銀を譲渡して終わり、では済まされないのだ。
「では私を国に追い返しますか?」
「い、いや」
アレオンはあからさまに吃る。頭に浮かんだのだろう。俺を追放すれば帝国との関係は断ち切れる。しかしそうなれば王国だけでなく帝国とも関係を悪くすることになり、それこそ国の滅びを助長するだけになる。無論、元々心で考えるだけで実際に行うつもりは毛頭なかったようだが。
「一度結んだ協定は国が滅ぶまで付き纏います。もし私を追い返すようなことがあれば帝国は反逆と見做し、嬉々としてこの国を攻めるでしょう。そうなればもう取り返しがつきません」
「……ですが皇子。それを私に話してよろしいので? 殺さずに傀儡として祀り上げることは容易でしょう。ここに皇子の味方はおりませぬ故」
やはりアレオンは暗愚ではない。多少頭は切れるようだ。弱腰なのが玉に瑕だが、及第点と言っていいだろう。アレオンの言うとおり、俺はお付きの人間を数人しか連れてきていない。実際は信望の無さから連れてこれなかったというのが正しいが、俺を陽の入らない地下牢に軟禁し、実際の国家運営を行うのはこれまで通りアレオンや公国貴族というのもできるだろう。
公国に婿入りするにあたって、監視役等も一切つけられていない。小国に送ったところでどうしようもないと嘲っているのだろう。迂闊と言わざるを得ない。その油断が命取りになると、ゲレオンに教えなければならない。
「そもそも『仮定』の話にございます。私は帝国側の人間だとは一言も申しておりませぬ」
「どういうことですかな?」
俺の言葉にアレオンははっきりと困惑を発露する。帝国の皇太子にも関わらず、帝国側の人間ではない。聞く限りだと完全に矛盾した文言だ。
「帝国はクーデターによって転覆した。無論ご存知ですね?」
「え、ええ」
「私が前皇帝の第四皇子であると言えば分かりますか?」
「ま、まさか。現皇帝の血を受け継がない正統な帝国の後継だ、と?」
俺が前皇帝の子ながら生かされてきたのは、国内の混乱を抑えるためだ。クーデターを決行したゲレオン・レトゥアールは国内の安定を図るため、俺を猶子として『政権をしばらくの間預かる』という名目の下クーデターを正当化した。これによって国内の貴族達からの反発はある程度抑えられたと聞いている。元々水面下での交渉があって反発というほどの反発は無かったようだが。
帝国はクーデター後、徹底的な情報統制を行った。俺が「前皇帝の子」であると言う事実も隠匿され、現皇帝の子として養育されることとなった。他国は俺を現皇帝の子だと思っている。
クーデターでの混乱を見越して、王国は帝国に攻め入った。しかし失敗し、逆に返り討ちにされ領土の一部を失うという憂き目を見ている。ソルテリィシア大公家も関係悪化から派兵しなかった。だからこそ、王国は強引にでも銀山を手に入れて、帝国を再び打ち破ろうと画策したのだろう。
「そう。私は帝国側どころか、逆に帝国を憎む人間。私はこの地が帝国の手に渡らぬよう、そして王国に負けぬよう全力を挙げる所存にございます。義父殿にはその助力を頼みたい」
俺は不敵に口角を吊り上げ、そう告げた。
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