城塞都市アルバレン

 アルバレンはエクドール=ソルテリィシア大公国で唯一の城塞都市で、古くから帝国の侵攻から公国を守る役割を果たしてきた。しかし実際は殆ど戦乱に巻き込まれたことはない。制圧したところで旨味の少ない土地だからだ。寒冷で農作物もろくに育たず、産業も少ない。銀山が見つかったおかげでかつての貧困は鳴りを潜めたが、帝国と比べると見劣りする。ただ、アルバレンも軍事侵攻に備えて城塞の規模を拡張しているようで、国防意識の高さは窺えた。


 ヘンリック一行がアルバレンに到着すると、地元の領主のセレス・アルバレンによって歓迎を受けた。一行が乗っているみずぼらしい馬車を見て、最初はセレスに皇子である事実を疑われそうになった。ヘンリック自身は意識を失っているから尚更のことである。幸いなことにヘンリックの所持していた脇差はレトゥアール皇室の紋章の入った品であり、ヘンリックが唯一持っていた自分が皇子だと証明する証でもあったため、辛うじて難は逃れた。


 到着してから3日が経過した。陽は天高く上る途上にあった。規則正しい寝息が響いている。充てられた部屋はアルバレン城塞で最も広い部屋で、現在大公の婿養子なのだ。帝国での扱いがどうであれ、当然の待遇と言っていい。

 ヘンリック・レトゥアールはこの日になってようやく長い眠りに終止符を打った。


(ここは……?)


 見慣れぬ天井に違和感を覚え身体を起こすと、腹部に鋭い痛みが走った。


「いっ……」


(ああ、そうだ。俺は昨日刺客に襲われて……。死ななかったのか?)


 風穴が空いていたわけではないが、ヘンリックは氷の槍を真正面から受けた。魔法が使える者ならまだしも、ヘンリックは魔法を使えない。あるのは剣術と名ばかりの権威だけだ。自分でも致命傷だとかぶりを振ったのに、どうして生きているのかと思わず頬を抓った。夢ではない。


 俺はまだ生きているという現実に否定的な心情を隠せずにいた。この国は山間部が7割を占め、人々が生活を営める場所は残りの3割に満たない。立派な城館を構える町に運ぶのにも一苦労だというのに、おまけに生きてこうして頭を回している。奇跡でも起きなければ俺は命を失っていたはずだった。

 脳内をめぐる疑問に駆られていると、部屋のドアが音を立てて開いた。


「殿下、お目覚めですか」


 姿を現したのはシャロンであった。痛覚によって気が緩み、微睡みに心を委ねていた俺は気を引き締めて虚像を構築する。


「ああ、ここは?」


「ここはアルバレン城塞になります」


 アルバレン城塞と聞いてヘンリックは驚いた。自分は生きてエクドール=ソルテリィシア大公国に入ることができたのだと、浮遊感を感じずにはいられない。

 アルバレンはエクドール=ソルテリィシア大公国の西端に位置する国内2番目の都市である。襲撃を受けた場所から街道をそのまま進めばたどり着くが、距離はだいぶあった。即死には至らなかったものの、かなりの深手を負った記憶がある。氷の槍に貫かれた生々しい熱い感覚は脳裏に焼き付いている。あの失血だと生きてここに辿り着くのは至難の業だろう。


「この傷を塞いだのは貴様か?」


「はい」


 真っ直ぐな双眸で答えた。その目に嘘偽りは一切含まれていない。

 理由づけをするには「回復魔法」以外の手段が考え付かなかった。となればシャロンが魔法を用いてこの傷を塞いだとしか思えない。魔法使いとは本来異質な存在で、使える人間はごく限られている。帝国貴族でも使える者は少なく、魔法使いは兵士として重用される傾向にある存在だ。魔法は戦争で常に活躍してきた歴史がある。優れた魔法使いを多く持つ者が強いと言われるほどであった。


 ただその分魔法使いは破格の報酬を手にすることができ、魔法の才能を持って生まれた者は将来の成功を約束されていると断言できるほど恵まれた存在だ。それ故に魔法使いの多くは成長の過程で貴族による教育を施される。魔法の才能を持った子供を生んだ親も裕福な生活を送ることができるため、子どもを貴族の元に送り出すのを拒否する家庭は少ないという。

 ましてやこの戦乱の世では生活の安定は何物にも代えがたい幸福だ。逆に拒否する理由が見つからない。

 だから今どの貴族にも属さず、魔法を使えることを秘匿している人間など滅多に聞かない。ある意味では俺に属していると言えるかもしれないが、ヘンリックの記憶を辿る限りではシャロンが魔法を使えるという事実を知らない。


 自分が魔法を使えることを隠すメリットはそう多くない。裕福な生活を送りたいならば迷わずそれをアピールするべきなのだ。ましてや回復魔法など引く手数多の才能だ。報酬が破格故に危険な任務を任されることも少なくない魔法使いの中でも、後方で兵士の治療に当たるのが主な責務となるため命を失う心配は殆ど皆無だ。


「はぁ……」


 俺は大きく溜息を吐いた。年下の少女に命を救われてしまった。


「なぜ魔法を使えることを隠していた」


「魔法は濫用するものではないと母が言っておりました。貴族の意のままに操られることを母は嫌っていましたから」


 そういえばシャロンの母はゲレオンの側室だった。かなり強引な手口だったと聞いている。貴族皇族への悪感情はこれが原因か。権力を振りかざして思いのままにされる。これを嫌悪するのも当然の理だろう。納得はできる。だが人生の幸福を捨てるにはあまりにも勿体無い理由だ。


「俺は貴様が魔法使いであることを知った。俺の命令で貴様を意のままに操ることもできる。どんな心変わりをしたのか知らんが、悪手だったな」


 言葉通り意のままに操るつもりは毛頭ないが、このまま放っておくわけにもいかない。


「後悔はしていません。殿下は私を庇って深手を負われたのですから、人として当然の行動だと思います」


 ああ、咄嗟に身体が動いてしまったが、シャロンから見れば庇ったということになるのか。変なところに律儀だ。俺のことを確実に嫌っているであろう人間が相手でも、自分が助けられたとあれば見捨てるのは良心が痛んだのだろう。


「ひとまず礼は言っておく。だが俺はあのとき逃げろと命じたはずだ。命令に反した責は理解しているだろうな?」


 俺は鋭い眼光で責め立てた。素直に感謝を述べられず、一言余計に言葉を発してしまうのはヘンリックの性格が災いしたものだろう。俺は走馬灯を見て人生を諦めていた。失ったはずの命を再び拾ったのだ。本来ならば頭を下げてありがとうと言うべき立場だろう。まあヘンリックがそんな殊勝な行動を取るのも気味が悪いし、これでちょうど良いのかもしれない。


「お言葉ですが、私たちは殿下に付き従い、ここまでやって参りました。雇い主が死んだら私たちは路頭に迷います」


「しばらく暮らしていけるだけの金貨を渡したはずだが、もういい。埒が明かん」


 シャロンは「素直じゃないんですから」と聞こえない程度の声量で呟いた。


「それで、領主は何と言っている」


 俺は口論は平行線を辿るだけで何の生産性もないと一刀両断し、話題を180度移す。アルバレン男爵家の統治するこの城塞都市は、部屋の模様を見ても裕福さが窺える。エクドール=ソルテリィシア大公国に婿入りする重要人物となれば、無碍にすることはないだろう。


「回復されるまでここに滞在して構わないと申しておりました」


 俺はその言葉を聞くや否や、鈍痛に顔が歪むのを堪え立ち上がった。


「もう回復した。すぐにエルドリアに向かうぞ」


「殿下、まだ傷が塞がっておりません。しばらくは安静にしておくべきかと」


 シャロンが鈍痛に顔を歪める俺の表情に気づかぬわけもなく、諫めるように眉を顰めている。


「このままアルバレンに留まっていても徒に婿入りを先延ばしするだけだ」


 俺は旅路を急ぐ判断を下した。









 エクドール=ソルテリィシア大公国は長く王国の右腕として大車輪の活躍を見せ、今のように半独立国家を築くまでに名を挙げた。その経緯は今も王国でも語り継がれているわけだが、元々エクドール=ソルテリィシア大公国の大公家はソルテリィシア家という王国の侯爵家が、帝国との戦での多大な功を以てエクドール州と呼ばれる北の広大な土地に入部したのが始まりだ。エクドールの名が冠にあるのはそういった事情があった。


 しかし先代大公が奢侈に次ぐ奢侈を重ね、内政を怠る。急速な勢威減退に伴って一時は王国に吸収される瀬戸際に瀕したが、そんな時領内で銀山が見つかった。大陸でも類を見ない規模を誇り、帝国や王国は目をつけた。

 王国は弱気な現大公の弱みにつけ込んで、銀山の採掘権の一部を強引に譲渡させようとした。権力を傘にきた手法が反感を呼び、一触即発の空気になったのだ。

 そこに介入したのが帝国であった。エクドール=ソルテリィシアはヴァラン王国の属国に過ぎず、直接的な接触はなるべく避けてきた。帝国は王国の圧迫を受けるこの国を「救済する」という名目で手を差し伸べたのだ。


 実際は軍事力の増大に伴い、経済的な圧迫は避けられない国内情勢から、帝国は多額の金銀を欲していた。対価として国内で産出する銀の3割を帝国に譲渡することが求められ、期限も定められていないため大変不利な協定と言わざるを得ない。

 日本の石見銀山も戦国時代には戦いの原因になり続け、所有者は幾度となく移り変わっている。何の旨味もない土地に銀山が現れたことがどれほどの幸運で、どれほどの不運なのかは推して知るべきだろう。その銀が王国に流れるのは、帝国にとってなんとしても避けたいことであった。


 帝国と王国は200余年にわたって争いを続けている。当初は帝国の力が上回り各地で連勝を重ねていたが、初代大公が劣勢を覆す奮戦ぶりを見せてからは、戦力は常に拮抗してきた。

 近年、クーデターをきっかけに帝国は軍備拡大を推し進めている。次に王国と帝国が刃を交えたとき、劣勢に立たされるのは王国だ。


 最悪の場合、この国を巡って帝国と王国が戦争を引き起こす恐れがある。王国が刺客を俺に向けてきたということは、近々軍事行動に移る可能性がある。不透明な行く末に、徒らに時間を消費するのは避けたかった。

 怪我を押してでもエクドール=ソルテリィシア大公国の首都・エルドリアにたどり着きたかったのはそんな焦りも呼び水となっている。


 俺の指示に従い、馬車は一路エルドリアに出発した。領内でみくびられることのないよう、アルバレンの威信をかけた豪華絢爛な馬車が用意されていた。銀山の恩恵を受けている、ということか。

 加えてアルバレンの騎士隊が随行することで、国内での安全を得ることができた。


 アルバレンからエルドリアは8時間程の距離で、到着した時には既に日は沈み、闇夜は静寂を生み出していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る