王国の刺客

「王国の刺客よ、帝国を追われ、辺境に送られようとしている哀れな皇子に何の用だ」


 沈黙は変わらない。代わりに弓矢が俺を目掛けて放たれていた。身体が脳の指令を待たずして勝手に動く。気づくと剣は甲高い音で弓矢を弾き飛ばしていた。


「随分なご挨拶だな。なんの力もない皇子を討たねばならぬほど王国は落ちぶれたのか?」

「安い挑発はそこまでにした方が良い。自分の立場を分かっているならば何もしないのが得策だ」

 

 ついに沈黙を破って姿を現した。焦茶色の装束を身に纏い、表情は一切窺えない。当然といえば当然だ。


「何もせずに殺されろと? それはできない相談だ」


 煽るように鼻で笑って返答する。内心はバクバクだ。大粒の汗が一滴、二滴と頬を伝う。矢が飛んでくるなど、現代日本で送る日常生活では体験できないものである。それが現実となって襲っているのだから、動揺は大きかった。


「まあいい。大人しく死んでもらおう」


 男の言葉に従うようにして、刺客の構成員は一斉に襲いかかってきた。コンラッドに目配せする。二人で十人を相手するのだ。コンラッドがいくら精強で、一騎当千の価値を有するとしても、基本的に俺は自分の能力を正しく測量できているわけではなく、相手の力量も不明確なのだ。負担をかけてしまうのは避けられなかった。

 コンラッドはその頑強な肉体と余りある筋力を以って、敵をなぎ倒していく。この調子ならある程度は任せられそうだ。俺は刺客の集団のリーダー格であろう男に狙いを定めた。

 暗くて男の顔ははっきりとは見えないが、その男は他の素破とは違う威圧感を発しており、間違いなく素破たちを率いる長だろうと理解した。

 

 時代劇の戦闘シーンが如く、複数の相手を同時に相手にするのは、命を捨てんばかりの勢いで突っ込んできた一人に身体を固定された時、他の者に背後から斬られるのを防ぎようがない。

 自分と敵に圧倒的な体格の差がある場合にしか戦いたくはない。その点、コンラッドは俺よりも一回り大きく、パワーも優れているため複数の敵を相手にするには最適だった。至近戦かつ闇夜の邂逅においては弓矢のような飛び道具は好んで使われない。神速で戦いを繰り広げる中、狙いを定めるのは至難の技であるからだ。

 まだ幾分か明るいが、弓矢を放ったであろう男も得物を持ち替えていた。

 

 俺はリーダー格の男に斬撃を仕掛けた。しかしすんでのところで避けられる。この男は身軽で素早い動きができるようだ。

 レトゥアールの帝国剣術。帝国がクーデターで崩壊してからは伝えるものがいなくなったが、唯一ヘンリックだけはそれを継承する者だった。帝国剣術は圧倒的な技量を基に相手を下すもので、生半可な努力で習得できるものではない。ヘンリック自身も八年前にクーデターで師を失い教わる機会を失いながらも、必死の自己研鑽が高じて自己流が激しいながらも圧倒的な剣捌きで修得するに至っている。


 「俺」と「ヘンリック」は異なる存在だ。しかし同じ存在でもあった。「俺」は「ヘンリック」の身体、記憶を受け継いでいる。戦えない道理はなかった。

 

 俺は男と数合斬り結ぶ。自分の思い描いた以上の足運びは幸いにも男を捕捉した。右の胴を僅かに抉った感触を得る。更に間合いを詰め、トドメを刺そうと力の限り刃を左の腹に狙いを定める。刹那、鮮血は虹が如く弧を描き、致命傷を負わせたと確信した。


ーーだが、甘かった。


「氷の槍よ、千々に刻め!」


 男は僅かな焦慮を孕んだ声で左手を突き出した。危機を感じて体重を後ろに乗せるも、退避には遠く及ばない。しかし、素早い反応が氷の槍を間一髪のところで掠るだけに留めた。腹の肉を抉った痛みに喘ぐ暇もなく、勢い余って倒れ込んでしまう。


「殿下!」


 耳を劈いたのはコンラッドの声ではなく、甲高い女声だった。再び臨戦態勢を整えようとする俺の視界を乱したのは、馬車から飛び出して俺に駆け寄ろうとするシャロンの姿だった。


「来るな!」


 俺は力一杯叫んだが、シャロンはその足を止めようとはしない。そして目に映ったのは、満身創痍の男が再び立ち上がり、氷の槍を放とうとする姿だった。男は視界が定まっていない。その瞳は俺を映してはいなかった。俺は足に力を込め、咄嗟に男とシャロンの対角線上に覆いかぶさった。直後、至近距離で氷の槍が身体の数か所を容赦なく突き破る。


「ぐ、はっ!」


 俺は力なく膝から崩れ落ちた。喫驚に駆られたシャロンが固まっている。


ーーああ、これは何の報いなのだ。


ーーなぜ俺をこんな奴に憑依させた。


ーー俺も死にたくて死んだわけじゃないんだ。


 走馬灯が見える。前世の終わりも呆気ないものだった。十九歳で重い病気に罹患し、大学を休学して治療するも闘病も虚しく二十二歳で世を去った。洋画を見たりゲームをするのが趣味だったが、至って普通の人生を送ってきたつもりだ。とんでもないハードモードとはいえ、新しい人生を得たというのに結局何も為せずに死んでいくのか。


 人生とは呆気ないものだ。些細なことで死んでしまう。死んでも魂は残って新たな身体に宿る、というのは宗教的な概念だが身を以て体験した。ならばもう少し生きやすい舞台に魂を送ってくれても良かったではないか。どこかにいるであろう「神」という存在を心底恨んだ。


「殿下、しっかりしてください! 殿下!」


 必死な声が耳に響く。腹部を容赦なく貫く激痛に目を覚ました。双眸を開くと、シャロンが俺に何やら魔法を施しているようだった。身体が淡い光に包まれている。


「ふふ、ははは。何をしている。俺なぞ見捨てるべきであっただろう」

「なぜ……! なぜ私を庇ったのですか!普段の殿下なら私なぞ視界にも入れず、ましてや私を守ろうとなど決して」

「ふっ、お前は俺が憎いか?」

「いえ……。そんなことは」


 シャロンは視線を彷徨わせる。先ほどまで一切表情を崩さず冷酷なイメージを貫いていたというのに、この数瞬の間にずいぶんと表情のレパートリーを俺の目蓋に焼き付けたものだ。視界の定まらない中、俺は最後の気力を振り絞って告げる。


「まあどちらでもいい。どうせ死にゆく身体だ。三ヶ月ほど前だったか、貴様は母を亡くしていたな」

「なぜそれを」


 言いたいことはわかる。ヘンリックは帝国の再興と自己の研鑽以外の全てに基本無関心で、使用人を気にかけることなど一度としてなかった。あっても一方的に詰って終わりである。


「俺が貴様らの事情に一切の興味を持たぬ無能でクズだと、そう言いたいのは分かるがな。これを持っていけ」


 俺は懐から金貨を取り出し、シャロンに手渡した。


「こんなの受け取れません!」


 シャロンは袋の中身を見て仰天する。ゲレオンから受け取った際には「はした金」と心中では一蹴したが、一個人が持つ金としては破格の金額である。根が庶民の感性であろうシャロンにとっては、これほどの金貨が一度に集まった姿を見る機会はなかったはずだ。


「こんなクズ一人のために命を捨てる必要もない。貴様の母はエクドールの出自だろう。貧しい国とはいえこれくらいの金が有れば親戚も受け入れてくれる筈だ。元々そのつもりだったのだろう?」


 ヘンリックはどうしようも無いクズだった。俺は殆どヘンリックという人間として生きてはいないが、記憶を分かち合っている以上、俺はヘンリック・レトゥアールその人だ。最低限の仁義は死ぬ間際にでも果たしておくべきだと思った。


「殿下を見捨てて逃げるなんて、私にはできません!殿下、お気を強く持ってください!」


 最後にするべきことはしたと安堵の感情に身を委ね、俺は意識を手放した。

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