突然の追放

 不思議な夢だった。

 経験したわけでもないのに、脳裏に色濃く焼きついてひどく鮮明だ。若干気持ちが悪いのは、夢の中と言えど血生臭い空気に包まれていたからであろう。


 腰を何度か捻った後、身体を勢いよく起こす。見慣れない部屋の風景であった。それでも記憶が混同しているのか、見覚えがあるものに思える。加えて気になったのが、自分以外の感情が今の自分に去来している事だ。胸の騒めきが治らない。自分は何者だ?

 ふと思い立って、窓に映る自分の身体をまじまじとみつめてみた。明らかに自分のものではない。頭痛が断続的に襲ってきた。

自分の記憶と他人の記憶が入り混じり、強く混乱を覚えている。冷静になるには時間が必要だろう。

 一旦、心を落ち着かせて状況を整理してみることにした。すると、記憶がクリアになってくる。他人のものであるはずの記憶が、スッと自然に入ってきた。さっき見た夢は、この身体の持ち主が実際に経験した過去であるのだろう。


 俺・宮籐稔侍くどうねんじは「ヘンリック・レトゥアール」という男に憑依したらしい。荒唐無稽な話だが、事実俺はこうして成り代わっている。認めざるを得ない。自分のものとは思えない感情が奔流する。その中にはドス黒い人間の闇を強く表すものや、逆に内に秘めた正義感も混ざり合っていた。

 しかし意識は俺が保持しており、「俺」の思考が主体となり、行動も「俺」によって自在に変えられる。二重人格というよりは、「俺」が「ヘンリック」の身体を乗っ取ったという感じだろう。知識や感情は頭の中に色濃く残っている。


 この国は世界の覇権を狙う「レトゥアール帝国」の皇宮で、俺はその次期皇帝とされていたのだそうだ。

 過去形なのは、近々ヘンリックは隣国・エクドール=ソルテリィシア大公国に婿入りする予定になっているからである。位置関係では西のレトゥアールから北東に位置する小さな国だ。

 俺はヘンリックの記憶を引き継いでいるようで、流れ込むようにして情報が頭を巡っている。故に、自然と今の状況に関してはある程度理解が伴っていた。


 そもそも次期皇帝というのは便宜上据えられていただけの仮初の地位で、元々皇帝に据えるつもりなどなかったらしい。理由は現皇帝がクーデターによって擁立された皇帝で、ヘンリックは前皇帝の実子だからだ。クーデターによってヘンリック以外の兄弟は打ち首に処され、父である皇帝やその妻、側室も全てが一掃された中で「ヘンリック」だけが残されたのは、国の支配に正当性を持たせるためで、末子でまだ幼いヘンリックだけは生かされ、表向きは次期皇帝となるヘンリックの後見人として国の政治を執り行うというものであった。

 言うなれば戦国時代、徳川家康が「豊臣秀頼が成長するまで政権を預かる」という名目で国を掌握したが、そもそも秀頼に譲る気はなく、息子の秀忠に譲る気であった、というのに近い話である。


 エクドール=ソルテリィシア大公国は立場上ヴァラン王国の属国に過ぎないが、狭小な領土に頻繁に雪嵐が直撃する貧しい領土である。初代当主のアレクシス・ソルテリィシアは、帝国との敗北必至の戦争で大殊勲を挙げ、ヴァランによって大きな裁量権を認められ、半独立国家となっている。エクドール=ソルテリィシア大公国は王国の一部だったエクドール州をそのまま踏襲しており、入部したソルテリィシア家の名を取ってエクドール=ソルテリィシアを名乗ったのが始まりだ。


 しかし先代大公が奢侈に加え、ヴァラン王国との関係悪化を招いてしまうと、一触即発の空気となってしまった。結果、現大公は王国に飲み込まれることを恐れ、帝国に近づく。幸い、エクドールには銀を初めとする鉱物資源があった。これの採掘権を一部譲渡することにより帝国の庇護を受ける苦渋の決断を下し、帝国も俺を送ることにより銀という資源を得たのである。

 ヘンリックは帝国から半ば追放される形でエクドール=ソルテリィシア大公国に追いやられることになったわけだ。帝国にとっても厄介払いができてwin-winということであろう。


「ヘンリック殿下、皇帝陛下がお呼びになっております。早急に宮殿へ」


 思案に耽っていると、部屋の外から簡素な文言が抑揚のない冷淡な物言いで告げられた。これで自分の置かれている状況も理解できるというものだ。部屋も皇族が住まう部屋にしては異様に狭い。十五畳程だろうか。ここは宮殿の離れにある別棟で、旧皇族とその関係者は全てここに隔離されている。


「ああ、すぐ行く」


 俺は現状を憂いながらも気丈に気を保ち、正装らしき格好に着替え身だしなみを整え、足早に宮殿に向かった。






「ヘンリック皇子、お主のエクドール=ソルテリィシア大公国への婿入りが決まった。喜べ」


 クーデターを起こし父や兄、母までをも手にかけた大罪人で、現在は皇帝の座につくゲレオン・レトゥアールが心底からの嘲りに染まった面持ちで鬱屈そうに告げた。隣に控えているクラウス・レトゥアールは皇太子でゲレオンの実子である。このクラウスを次期皇帝に据えるべく、邪魔者となった俺を国外に追いやろうという魂胆だ。苛つきが治まらないのはこの身体の持ち主が疼いているからか、それとも俺自身がこの男の低劣さに呆れ果てているからか。


「はっ、ありがたきお言葉にございます。至急、エクドールへの出立の準備を」


「ああ、いい。それはもう用意した。今日中にでも出立するが良い。これは支度金だ。大事に使えよ」


 ゲレオンは貨幣が擦れ合う布袋を乱雑に投げつけてきた。これを誤って受け取れず、道にばら撒きでもしたら大惨事だ。ゲレオンよりもクラウスの方が俺を罵って蹴り付けてくることだろう。小さなミスを粗探しして責め立ててくる男だ。過去そのような機会は幾度となくあった。

 クラウスはこの親にしてこの子ありと言うべきか、身分が下の者や俺のような次期皇帝の座を引き摺りおろされた「哀れな者」を軽蔑し、時には物理的に手を下す。物理的にとは言ってもこれまでは曲がりなりに「次期皇帝」の名を冠している。服を着たらわからないような箇所を執拗に痛めつけ、一方的な優越感に浸っているのが日常であった。その箇所は今でも青痣として濃く残っている。それはヘンリック以外の者も同様で、使用人や身分の低い下級貴族にも一方的な暴力を振るうのが日常であった。

 しかし皇帝の実子となれば文句を言える者はいない。傲慢な性格に育ったのは、父の行動が地位の低い人間を徹底的に下に見る事を助長するようなものだからだろう。子は親に似ると言う。父の姿があれでは、そうなってしまうのも仕方がない。


 ゲレオンは元々上級貴族・サミナル家の出自であるが、国に叛意を明確に持ち始めたきっかけがヴァラン王国との戦争である。ゲレオンは戦で大きな戦功を挙げながら、それに対する報酬があまりにも少なかったことに激怒した。領地の加増はなく、金子の授与によって濁されてしまった。帝国としても戦功を挙げたゲレオンには領地の加増を行いたかった。サミナル家は国の一翼を担う一大勢力である。しかしこれ以上領地を与えてしまうと、帝国との力関係に綻びが生じる恐れがあった。当時の帝国としても、帝政が揺らぐような情勢を作り出すわけにはいかなかったのだ。

 王国との戦争で得られた土地は皆無で、むしろ土地を失う結果になっていた。戦功も「ゲレオンのおかげで致命的な敗北を喫することなく和平を結ぶことができた」というもので、与えられる土地は残されてなかったのである。膨大な軍事費を注ぎ込み多大な犠牲を払ったにも関わらず得られた土地は皆無。帝国への不信感が募るのも当然の帰結であった。


 以後、サミナル家を筆頭に反帝国派の動きが水面下で活発になるようになり、結果起きたのがクーデターというわけである。サミナル家は元々高貴な家柄であり、皇帝になることに反対する者は少なかった。それがこの現状を生んでおり、国の治安や経済は前皇帝の治世下よりも劣悪なものだ。それはゲレオンが強引に税率を引き上げたり、奴隷の売買を積極的に行ったりなどの策を取り続け、庶民の生活を顧みない強引な政治に舵を切ったのが主な原因である。


 クラウスの加虐嗜好から逃れられるのならば、この婿入りはむしろ喜ぶべきだ。ヘンリックの身体も心なしか安堵に包まれているように感じる。やはりまだ身体は馴染みきっていない。そもそも他人同士の魂が混在しているのだから、こうして正気を保っているだけ良いのかもしれない。

 支度金と称した中身ははした金だった。手切金ということなのだろうが、たったの金貨三枚、金貨一枚が十万円程としたら、ざっと三十万円となる。猶子に近い仮初の縁戚関係とはいえ、これから出立する息子に渡す金としては少なすぎる。

 道中の費用も馬鹿にできない。従者が多ければ尚更だ。そもそも俺についてくる従者がいるのかすら怪しい。溜息が出そうなのをすんでのところで堪えた。


「はっ、大切に使わせていただきます」

「ふっ、気にするな。父としての餞別よ。心から活躍を祈っておる」


 見えすいた軽口を叩く。口角がニヤニヤと歪み切っており、正直不快な思いに駆られる。こんな卑しい空気にヘンリックはこれまで晒されてきたのだ。性格が多少歪んで口が悪くなるのも致し方ないことだろう。「俺」だったら正直三日耐えられたら良い方だと思う。

 受け取った額ははした金に過ぎないが、厄介払いに過ぎないのだから金をくれただけでも良い方かもしれない。


「失礼致します」


 俺は歯を食い縛りながら深くお辞儀をした。この男達に帝国を治めさせていてはいずれ破綻する。世界は戦火に塗れ、国土と民は疲弊する。

 そうならないために、いずれこの帝国に舞い戻らねばならない。俺のために身を賭して帝国を救おうとしたホルガーのためにも、絶対に志を果たして見せる。







 俺がエクドール=ソルテリィシア大公国に向かうための用意は揃えたと言っておきながら、あったのは年季の入った馬車と馬一頭のみだった。

 これでは無事に辿り着けるかどうかすら怪しい。辿り着けようがつけまいがどうでも良いのだろう。俺は苦笑を隠せなかった。

 だが使える金もない。ヘンリックが少しずつ貯めてベッドの下に隠していた銀貨二百四十七枚くらいだ。銀貨一枚の値段が千円くらいだから、二十五万円近くある計算になる。

 

 いきなり人格が変わったことがバレバレの振る舞いを見せれば怪しまれる。一先ずは本物のヘンリックとしてしばらくは傲岸不遜な態度を貫くことにした。幸いなことにこの身体は良く回る口を持っている。平静を装って接しても怪しまれることは無かった。


 俺の従者としてついてくる人間は五人ほどだった。うち一人はホルガーが遺してくれた屈強な戦士で、コンラッドという唯一俺を守る気のある人間だ。コンラッドはホルガーによって命を救われたことがあるという。それの恩返しとして、もし自分が死んだ時には俺にに仕えるよう頼んでいたらしい。

 ホルガーのフバート侯爵家は親皇帝派として告発され、処断こそ免れたものの国外追放されて今はどこにいるか知らない。

 あとは俺の下男として働いていた、これを解雇されたら他に行き場がないという二人のパッとしない下男と一人の下女。


 最後のもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。名前はシャロン・ボンゼル。

 背格好は小柄で細身だが、淡く金色に染められたプラチナブロンドの髪が目を惹いた。開花直後の白百合が如く艶のある肌を持ち、夕焼けを映したような瞳に顔立ちは酷く整っている。俺が知る限りでは、この女以上の美人には出会ったことがないと自信を持って言えるほどに美麗だった。

 なぜ従者として来るのか理由を聞こうと思ったが、やめておいた。俺がこの身体に憑依する前のヘンリックは彼女だけでなくほぼ全ての人間に粗暴な振る舞いをしていた。それはクラウスを馬鹿にできないほどで、ヘンリックは更に酷い。

  その行動の逐一が記憶に焼き付いていた俺は聞くことができなかった。それに彼女の母親がどうやらエクドールの生まれらしい。母親は皇帝に仕えて、しばらく前に病にかかって亡くなっているようだ。これをいい機会だと思っているのかもしれない。

 それにしても年端もいかない少女に罵声を浴びせるなど、本当にヘンリックはクズ野郎だったらしい。彼女の母親が亡くなったことを知りながら、より一層強く当たるようになっていた。

 そんな彼女がなぜ俺についてこようというのか正直理解は不能だが、気にする必要もないだろう。

 

 かくして、俺はこの五人の同行のもと、その日のうちに皇宮を追い出されることとなった。見送りなぞ当然いるはずもない。当初は俺に味方する動きを見せていた貴族達も現皇帝の圧迫に耐えかねて鞍替えしている。この国に味方はそもそもいなかったのだ。一行は帝都から北進した。南は温暖で過ごしやすい気候だが、北に進めば進むほど寒気は強まる。公国はそんな気候の場所に国を構えているのだ。


 そう考えると、エクドールは簡単に商売ができるような立地ではない。月によって差はあるが、基本的に冷気の鋭い気候だ。農業も当然盛んではない。

 帝都からは馬車で十日ほどの距離で、七日目までは行程に全く支障はなかった。エクドール=ソルテリィシア大公国に入るには東に繋がる道を通る必要があるが、馬車が通るのに適した道は一つに限られる。それも南北の山脈に挟まれた狭隘な地形となっている。

 

 迂回ルートもあるにはあるが、南側の荒れた山道を進むことになる。一頭の馬と使い古された馬車が通って、無事に抜けられるかは不透明である。途中で死の危機に迫られる可能性は十分に考えられるだろう。基本的に街道を通る以外に進む手段は無いに等しかった。

 

 レトゥアールから国境を超えると、寒さはより一層厳しくなった。ただ幸いなことに吹雪いてはおらず、比較的視界は良好なことは僥倖だった。

 しかし、現実は甘くない。夕陽が地平線に沈む逢魔時、馬車は刺客に襲われた。時間も絶妙だった。薄暗くなり始めた快晴の空は、徐々に地表の輝きを散失させつつあった。この時間は人間の油断を誘いやすい時間だ。ここは平和な国ではない。権謀術数に汚れた乱世に身を置いているのだ。どこか油断があったのかもしれない。俺は自分の迂闊さを恨んだ。

 

 待ち構えていたのではない。尾行されていたのだ。気づかなかった。もっと早く気づいていれば対処のしようはいくらでもあった。もしかしたら俺が帝国にいた時から敵は俺を標的に定めていたのかもしれない。

 馬を誘導していた下男の一人がどこからか放たれた矢を右肩に受けていた。控えめに血飛沫が舞い、雪に溶け込んでいく。


「止めろ!」


 心中は穏やかならぬ感情に支配されながらも、努めて平静を保ちつつ馬車を止めさせた。


「敵襲のようだ。馬車に待機していろ。用心しろ。コンラッド!」

「はっ!」


 面々は得体のしれない敵襲に体を小刻みに震わせながらも目を丸くしている。俺が少しでも味方を気遣うような言葉を発したのがそんなに珍しいか?


「敵は何人だ」

「十人ほどでしょう。王国の手の者かと思われます。お気をつけを」


 王国?なぜ王国が俺を討とうとする。

 ああ、そうか。帝国はレトゥアール皇家を排除してからますます軍事力を増大させている。王国もそれを脅威に思っていた。協定は王国にとって目障りなのだ。


 だがこれは軽率な行動と言わざるを得ない。結果は安易に予想できる。婿入りするはずだった帝国の皇子を死に追いやったとなれば帝国の思う壺だ。当然協定は破棄され、帝国はこれを好機と見て資源が豊富なエクドール=ソルテリィシアに攻め入ることになるだろう。王国にとってもそれは避けたいはずだ。

 しかし刺客にそれを言ったところで意味は無いだろう。諦めて戦うことにした。刺客は距離が離れていながら正確に弓を射当てたのだ。並大抵の腕ではない。

 

 こちらの戦闘要員は俺を含めて二人だ。コンラッドは優秀な戦闘能力を保持しているものの、身体はヘンリックと言えど俺は平成と令和を股にかけた一介の学生に過ぎない。人と戦った経験など皆無であった。

 俺は己の無力さに打ちのめされそうになる。だがここで投降する事で命が助かるわけでもない。それに易々と下ればこれまで散々大口を叩いて来た俺は馬鹿にされて終わりだ。


 それでもヘンリックの頭は、身体は覚えている。ヘンリックは帝国を再興するために弛まぬ研鑽を重ねてきた。それこそ血の滲むような努力で、孤独に戦ってきたのだ。荒んだ性格が形成されたのは自分を常に追い込む人生を送ってきたからかもしれない。

 俺は堂々と姿を現す。そしておよそ皇族には似つかわしくない威容の剣を構え、腰を落として刺客の攻撃に備えた。

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