魔王軍編

第18話 覚醒

 暗い。


 暗闇だ。


 どこに行ったらいいのか分からない。


 分からないから、目を閉じる。開けても閉じても暗いのなら。もう目を開ける必要なんてない。隅っこに行って、壁に背中を預けて、何も考えずに眠るのだ。


 獣が吠える。獣は何匹も何匹も現れて自分の肉体を食いちぎろうとする。それに身を任せることが、唯一自分にできること。痛みは救いとなり、救いが慣習となる。


 


 


「魔族のハーフの娘と……仲良く……」


 


 


 声が駆け巡る。心臓が滝に打たれたかのように打ち震えて、いても立ってもいられなくなる。


 獣はちょっと殴りつけただけで、すぐに蜘蛛の子を散らして逃げていく。


 痛みと、後悔と、悲しみで涙が止まらなかった。


 滲んだ視界でようやく気づく。


 また、やってしまったと。


 


 


 


  


 


「あ、起きた?」


 聞き覚えのある甘い声。


「サラ、か」


 アベルは上体を起こそうとした。


「ぐっ……!」


 しかし激痛が走っただけだった。


「無理しない方がいいわよ? 体のマナが丸々変わったのだから」


 アベルはベッドにいて、サラは隣に椅子を置いて大衆小説を読んでいた。


「ティアは?」


「死んだわよ」


「……のちにお前は殺す」


「凄いね、もう減らず口叩けるんだ」


 アベルはノヴァに敗れてからの記憶がなかった。しかし、この一瞬でおおよその状況を把握した。


「まさかとは思うが。俺はヴァンパイアにでもなったのか?」


「せいかーい! よく分かったわね」


 ヴァンパイアは血を吸った相手を眷属とする。しかし稀に、吸われた者もまたヴァンパイアと成ることがあるという。眷属の場合、魂は支配され自由に思考できないことからの推測だった。


「…俺をお前らのお仲間にするために、ノヴァが仕組んだものか?」


「せいかいせいかーい! さっすがノヴァ様が認めた男!」


 サラは本を閉じて、ぱちぱちぱちと拍手した。


「俺は……何を求められている」


「ちょっと待っててね。ノヴァ様呼んでくるから」


 サラは部屋を出て行った。見たところ、何の変哲もない狭い部屋だ。窓がないため、地下室のようだった。


 しばらくして、ノヴァとサラが入室して来た。ノヴァは室内であるにも関わらず、例の鎧姿だった。右腕には何も取り付けられていない。


「やあアベル、よく眠れたかい?」


「おかげさまでな。どれぐらい俺は眠っていた」


「今日でちょうど20日だよ」


「ということは、10月22日か……」


 随分と長い眠りについていたものだ。


「さて、早速説明しようか。何故君を襲い、ヴァンパイアにしたのか。結論から言うと、君を僕ら魔王軍の仲間にするためだ」


「魔王軍……?」


 初めて聞く組織名だった。


「簡単に説明すると、魔族が支配する世界を作ろうとしている組織だ。領土はない。あるのは人民と、資本だけ。設立して日は浅いけど、グローバルに世界中で暗躍しているよ」


 ノヴァが言っていることは極めて荒唐無稽である。ほとんどの人間であればそう認識するだろう。しかしアベルは違った。


「アディパティ商会は……」


「その財源確保と実行のために表向きに作ったものだよ。ま、魔王軍の説明はこんなところにして。君を仲間に引き入れた理由は、分かっているとは思うけれど君の実力を見込んでのことだ。ブレイブ王立大学に入学するだけの知能と実力はただのオマケ……本質は飛び抜けた行動力と世界を観る視点、そして影響力だ。君のような人材が魔王軍に加入してくれれば、より僕たちの目的は達成に近づくと確信している」


「……」


「ヴァンパイアにしてしまったことは正直可哀想なところだよ。でも結構合理的なんだよね。まず、人間としてのこれまでの生活は不可能となる。大学にも行けない。人生終わりっていうところだ。ゼロからのスタートなら、こんな組織にもいる甲斐があるってもんだろう? そしてもちろんヴァンパイアは種族として強い。魔族に対しての統率も容易となる」


「……」


「あははは、殺気隠すの上手いねえ。でも無理しすぎると体に毒だよ?」


「……」


「納得できないだろうね。でもこう見えて僕は結構優しいんだ。魔王軍に入ることと、君の目的は矛盾しない。むしろかなり調和するはずだよ」


「どういう意味だ」


「じきに分かるさ。とりあえず僕からの説明はこれぐらいにしておこう。ヴァンパイアの体に慣れるまで時間もかかることだろうし、しばらくはサラともう一人、ヴァンパイアの先輩と一緒に生活してもらおう。落ち着いたらまたこちらから命令を出す。ゆっくり心と身体を休めることだね」


 ノヴァは立ち上がった。


「じゃあサラ、あとは頼んだよ」


「承知しました、ノヴァ様」


 ノヴァが退出した後、サラが笑顔でアベルに話しかける。


「とりあえず食事にしましょうか」


「ああ」


 


 


 


 サラが食事を持って来た。普通のスープだった。コンソメベースで、細かく刻まれたニンジンやタマネギ等が入っている。


「おいしい?」


「普通だ」


「……すごいわね。全然、取り乱さないんだ。ノヴァ様の言った通り」


 アベルはサラ持つスプーンから、スープをすすった。


「ヴァンパイアってのは、血以外も食らうんだな」


「そりゃねー。血が一番効率良い栄養補給法であることに間違いはないけれど、命ある生物であることに変わりはないから。さすがの魔物討伐のプロも、ヴァンパイアは専門外な感じかしら?」


「希少すぎて資料が少ない。この機会に色々教えてもらえると有難いな」


「ええ、もちろん。貴方には教えることが多いわね」


「悪いな、助かる」


 サラのスプーンを持つ手が止まる。


「おい、どうした」


 アベルが急かすと、サラは初めて見る顔をした。


「や……だって、ねえ。普通、そんなこと言えないじゃない。ティアの仇なわけよ? 私」


 ティアを襲っていたハルバード使いと剣士。アベルはそのうちの剣士がサラであることに気がついていた。


「飯食わせてもらってるに対してだけ言っている。お前の存在は全面的に消えて欲しいと思っている。早く手を動かせ……くそ女」


「……ウルリカ」


 透明感のある声で、サラが言った。いつも優美に微笑んでいるブレイブ大学一の美女は、真顔となっていた。


「サラ・シャロンは人間界用での仮の名前。私の本当の名前はウルリカよ。くそ女じゃなくてね」


「もっと持ってこい」


「はいはい。相変わらずよく食べるわね」


 


 


 食事が終わると、アベルは部屋に一人となった。


 肉体は相変わらず満足に動かない。動かないなりに、今までとは何もかもが違うことだけが分かる。


 視覚、聴覚、嗅覚。あらゆる機能が増しており、先ほどから扉の向こうで響く話し声がうるさくて仕方がない。その会話内容まで聞こえて来た。


 


「レプリカが目覚めたか」


「使えるのか?」


「ノヴァ様のご意向だ」


 


 などという自身の噂話を聞いていると、足音が二つ、部屋に近づいて来ていた。一つはウルリカのものと分かったが、もう一つは分からない。


「アベル、ヴァンパイアの先輩を連れて来たわよ。しばらくは彼と私でアベルをサポートすることになるわ」


 銀色の短髪を持つ、目つきが鋭い青年だった。体つきは細さも残しつつ屈強。歳はアベルの少し上ぐらいに見えるが、ヴァンパイアは人間よりも遥かに寿命が長いため、あまり予測がつかない。


「ゾーンだ」


 その一言で、アベルは彼に寡黙な武人肌という印象を抱いた。


「アベル・フェルマーだ。ウルリカもお前もだが、ここの部下は姓を名乗らないものなのか?」


「単にないだけよ。私もゾーンも親がいないからね」


「そうか」


 アベルは痛みに耐えながら、起き上がった。


「ちょ、大丈夫!?」


「段々と慣れてきた……とりあえず話はこの状態で聞こう」


 アベルは上体だけ起こしたまま、ゾーンを見た。自分を噛んだヴァンパイアと同じ、紅い瞳。だがそれよりはやや黒みが強い。


「……ではまず、ヴァンパイアそのものについて説明する」


 ゾーンは椅子に座り、話し始めた。


「ヴァンパイアとは、魔族の上位種族である魔族の一種だ。マナの主要部分を生物の血から吸収する、つまり主食が血ということだ。他に飲み食いもできるが、血だけで生きていける。しばらく吸血を行わなければ発作が起き、錯乱する。程度は個体差に寄るが、一ヶ月も丸々吸血できなければ死に到る」


「俺は20日間吸っていなかったが……」


「成りたてはカウントされないって感じよ。ちなみに吸血衝動っていうのは性欲にリンクして起こることが多いの。どう、アベル? 私の血を吸いたくなったりしていない?」


 ウルリカがワイシャツの一番上のボタンを外した。


「ゾーン、続けてくれ」


「血は分離した物を飲んでも構わないが、直接吸う場合に比べると効果が半減する。吸血対象は人間だろうと魔族だろうとドラゴンだろうと問題ないが、聖職者だけは辞めておいた方が良い。弱点は他の大半の魔族と同じく、光属性だからな。当然、太陽光も苦手とする。しばらく浴びていると肉体が炎上し死に到る。日が当たらないように装備をすれば活動できるが、太陽が出ている時間というだけで能力が落ちる。月光程度なら問題ない」


「ちなみに今は昼か? 夜か?」


「夜中の2時だ」


「ウルリカ、お前はもう寝たらどうだ? 明日学校が休みとはいえ」


「気にしなくていいわよ。記念すべき、ヴァンパイアとしてのアベル覚醒の日だもの」


 彼女がどういう感情でそれを言っているのか、アベルには分からなかった。


「……続けるぞ。睡眠についてだが、他の生物とは大きく異なる。ヴァンパイアは、眠っただけ活動できる。例えばアベルは今日まで20日間眠っていたから、その約3倍、すなわち約60日間は眠らずとも活動できる。もっとも今のアベルの場合、成りたてだからもう少し短くなるだろうが。排泄回数も十分の一ぐらいになり、昼の活動を避ければ疲労もほぼない」


「アンデッドに近い悪魔族と言われるだけあって、人間とは全く異なるもんだな」


「ヴァンパイアは悪魔の中でも上位種だ。魔族と比べてもかなり特異だろう。他にある特徴としては、吸血のための長い牙。これは魔法で普通のものに見せかけることができる。次に、蝙蝠の翼。魔力と合わせて飛行が可能だ。また、闇属性の魔法を得意とする。吸血の際に使える眷属化の魔法などがメジャーだな。対象をヴァンパイアに変える魔法は、生まれながらのヴァンパイアである真祖にしか使えない。俺もお前も真祖カミラ様に吸血され成った、通称『レプリカ』だ。基本的には真祖に近い生物だが、特に魔力において大きな差がある」


「そのカミラ様ってのは、ノヴァの上司なのか?」


「いや、あのお方は魔王軍ではなく、ノヴァ様の協力者にすぎない。良質な血の提供と引き換えに、魔王軍の人員確保のためにヴァンパイア化をしてもらうという取引だ」


「良質な血?」


「ヴァンパイアにとって好まれる、マナに恵まれた血のことだ。ただし、光属性は除く。……何よりも重要なことを伝えておく。お前は絶対に魔法を使うな」


「……俺が光属性だからか」


「そうだ」


 生物には、マナの属性がある。属性は火、水、風、土、光、闇の六つに分けられ、その属性に適した魔法に才能を持ちやすいなどの特徴がある。アベルの属性は光であり、彼自身は光魔法を中心として扱う。


「ヴァンパイアは闇属性。光と闇は相反する。奇跡的にヴァンパイア化することはできたが、お前のマナの属性までは変わらなかった。前のように魔術を使おうとすれば、術式に異常が生じて最悪、死に至る」


「ってことは魔法を用いる飛行も眷属化も俺は使えないわけだ」


 アベルは自重気味に笑った。真祖に大きく劣るレプリカであるどころか、魔術すら使えない。戦力としてみるには失敗作と言わざるを得ないヴァンパイアだ。


「そういうことだ。しかしノヴァ様はお前を魔王軍に引き入れ、後々は指揮官として用いるとおっしゃっている」


「何考えてんだろうな、アイツは」


 


 


 


 魔王軍のアジトは、アディパティ商会が仕事場として表向きに使っているビルの地下にあった。他にも隠れ家がいくつかあるようで、アベルが送り込まれたのはそのうちの一つに過ぎなかった。


 ゾーンとウルリカによってアジトを案内された後、アベルは地下の訓練場でゾーンと戦闘の稽古をしていた。


「強いな」


 1時間ほど行った後、ゾーンがハルバードを下ろし、言った。時刻は早朝の5時を迎えている。


 眠くない。動き足りないぐらいだった。


「お前もな」


 ゾーンの実力はヴァンパイアという種族の性能以上のものがあるとアベルは気づいた。レプリカであることから、彼も元はアベルのように戦闘経験を積んだ人間だったのであろう。


「俺たちのようなレプリカは、真祖から見れば吹けば飛ぶような存在だ」


 ゾーンが言った。


「だからいくら戦闘技能を高めてもやるせないってか?」


 動いたことで、アベルの口は少し軽くなっていた。腹の底にあるずっしりとした殺意は消えることはない。だが、外気との通気口を広げることはできる。深い苦しみを感じた時、アベルはいつもその手順を踏んでいた。


「だが、魔王軍なら違う」


 ノヴァの手先という不愉快そのものである存在が、初めてアベルの間合いに入った。


「ノヴァ様は、世界を変える。個ではなく、種として、必ず魔族を頂点に据える」


「……かもな」


 ゾーンの目が揺れた。


「何故、そう言える」


「言うだけの実力があいつにあるからだ。知略、統率力、そして何より本質を見抜く視点……頭抜けている。俺が知るところ彼に近い人間は一人しか知らない」


「ノヴァ様を憎んでいないのか。俺を憎んでいないのか」


「憎むさ。大嫌いだ。俺が今言ったことはただの事実にすぎないだろ」


 そう言って、アベルは剣を鞘に収めた。


「運動はこのぐらいでいい。もっと教えろ、この組織について」


「……ああ」

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田舎出の一般人だけど王都のエリート大学入って魔族の奴隷少女救う あべたつお @abetatsuo

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