第17話 人生の終幕
夕暮れの中、アベルはティアを馬車停まで送ることとした。
運命の歯車は時として軋みの音を立てる。
今、動き出したのかもしれない。けれど、歯車は常に動いている。
今、それに気づいただけなのだ。
鐘が鳴る。時刻を告げるものとは異なる、警鐘。何度も、何度も、街に響き渡る。
アベルとティアは、剣の柄に手をかけた。
「魔物……!」
それは魔物の襲来時の警鐘だった。
「行こう」
「はい」
二人は鐘の近くへ走り出す。聞き耳を立てると、すぐに悲鳴が聞こえてきた。
少し開けた通りに出ると、人々が逃げ惑っているのが目に入った。
「ヘルハウンドだ」
アベルが言った。黒い犬のような魔物が、人に噛み付いているところだった。アベルの投げナイフは真っ直ぐにヘルハウンドに飛んでいき、その眼球に突き刺さる。ヘルハウンドが怯む。襲われていた男性は、ぐったりとしたまま動かない。
血飛沫が辺りに舞っている。その量、場所は彼のものだけでないことは明らかだった。
ヘルハウンドはアベルの存在に気付き、威嚇の声を上げた。口からはだらだらと血が垂れている。
「ティア、ヘルハウンドとの戦闘経験は」
「ありません。が、討伐方法は理解しています」
「よし。後ろから光魔法を放ってくれ。俺が剣で仕留める」
アベルとティアはそれぞれ剣を抜いた。
アベルは鉄製の、スタンダードな形のロングソード。
ティアは教会の紋章と術式が入った聖剣。
空気が緊張する。臨戦態勢。
しかし、ヘルハウンドは二人から目を逸らし、横にあった通路に入って行った。
「逃げた!?」
「おそらく陽動だ。俺がまず飛び込むから、ティアは召喚者を気にかけつつ、10メートルほど距離を置いてついてきてくれ」
「はい!」
アベルは剣を構えたまま走り出し、ティアも言われた通りに後へ続く。
ヘルハウンドは召喚獣として使われることが多い。召喚獣であるということはすなわち、召喚者が近くにいるということである。
ティアも言われた通り後を続く。
アベルが追いかけると、ヘルハウンドはさらに奥まで逃げているところだった。
アベルは壁を蹴り上がり、屋根へ登った。そして上から、ヘルハウンドが何処へ行くのか観察する。召喚者らしき姿は確認できない。
「探している暇はないか」
アベルはロングソードの切っ先を、走るヘルハウンドへと定めた。剣先が光る。光は収縮し、一本の短い線となって放たれる。それはヘルハウンドに命中し、煙と共にその巨体が宙を舞う。アベルは屋根づたいに走り、ヘルハウンドの元へ降り立った。後ろにはティアの気配がある。アベルは背中を彼女に任せ、ヘルハウンドに向けて手をかざした。ヘルハウンドの首から、魔法陣が浮き出てくる。召喚契約の魔法陣だった。魔力を探り、術者を探る。
「ティア!!」
アベルは叫び、振り返る。ティアが黒いローブを纏った者と、剣を交えているところだった。相手が使っているのは槍で、先端の形状を見るにハルバードであることが分かった。
「ぶち抜いてやるぜ……!」
アベルは剣先の照準をハルバード使いに合わせた。そこで振り返り、存在の予兆がなかった場所へとそれを撃ち出す。
「おっと……まさかバレてしまうとはね」
煙に紛れて、アベルの背後にいた何者かのシルエットが現れ出る。
「ノヴァ・シンギュラリティ……!」
狗型の兜、極彩色の鎧、左足の義足。
その姿は、かつて闇証券取引所で出会ったアディパティ商会の男であった。
唯一アベルの記憶と異なる点は、ないはずの右腕には、長く細いランスが取り付けられている点である。
一歩、一歩。不格好な歩調で、距離を詰めてくる。
「アベル・フェルマー。君は優秀だ。優秀すぎた。もう少し泳がして置きたかったんだけれど……そろそろ待てなくなってしまったよ」
アベルは剣を構える。同時に、その肉体が発光する。彼の皮膚にはいくつもの魔法陣が刻まれており、それが展開されているのだ。
この男相手に、出し惜しみをする余裕は一切ない。
「光の魔刻印か。これは難儀だなあ」
ノヴァはのんびりと言った。
「何故俺を襲う?」
「君が欲しいから」
言葉からの予兆なしに、ランスが虚空に突き刺さる。そこはアベルがいた場所だった。
「おおおッ!」
アベルのロングソードは金色に光り、華やかな軌跡を作る。ノヴァはランスで受け止めた。ランスには魔法陣が浮き出ている。魔法陣による相殺だった。
アベルは後ろに跳んだ。彼のいた地面から、細い槍が数本突き出た。トラップ系の魔術だ。
「ふはははは! 流石だ! これに気付けるとは!」
ノヴァが高笑いしながら、三人になる。幻影魔法だ。アベルはノヴァにかかる僅かな陰の違いで本体を見切り、本体による突きだけを躱した。三人のノヴァはアベルを取り囲む陣形を取り、ランスを振りかざす。アベルが防御しようと構えていると、ノヴァはランスを振るうのをやめて、腰から何かを取り出し、それをアベルへ向けた。
「な……」
バン! という炸裂音が響いた。次の瞬間、アベルの腹部に激痛が走っていた。
「がっ……!?」
腹に違和感がある。何かが突き刺さっている。
(まさか、銃?)
しかしアベルの知る銃は片手で扱えて、隠せるようほど小さくはない。拳大の銃、言うなれば拳銃なるものを用いたということだろうか。
アベルは腹部を押さえながら、ノヴァの左手にある物体を凝視する。
「がはぁっ!」
後ろでティアの悲鳴が聞こえた。しかしそれに反応するほどの余裕は、アベルになかった。
「彼女をどうする気だ」
「彼女はおまけさ。せっかくだし、君と同じように扱いたいところだけど」
アベルは会話をしながら、己の剣に映る景色で背後の様子を確認していた。今まさに、ティアが止めを刺されようとするところであった。アベルは用意していた投げナイフを、後ろに投げた。次の瞬間、ノヴァのランスが襲いかかる。肩をかすめ血が出たが構わない。ティアの元へ走る。そこにはハルバード使いだけでなく、同じく黒いローブを纏った剣士も増えていた。
「おおおおおおおっ!!」
アベルの剣技が、二人を圧倒する。魔術を使わせる暇もないほどの剣速。煙幕を投げて、白い煙が一気に広がる。
「ティア……!」
壁によりかかりぐったりとしているティアの肩を支える。
「アベル……私は置いて……逃げ……」
アベルはティアを抱えて、路地裏へと走る。
「すまない……相手の技量が、想像していたよりもずっと上だった……!」
その時、アベルの右足に激痛が走った。思わずティアを落としてしまう。
「無駄だよ。僕は眼が良いんだ」
ノヴァの声だった。痛みからして、拳銃によるものだった。
「逃げろ、ティア!」
ノヴァのランスが向かってくる。アベルはティアを庇うように立ち塞がったが、目の前のそれは幻影だった。本物は壁を蹴ってアベルを飛び越え、ティアに刺突した。彼女は立ち上がり迎えうとうとしたが、ランスは彼女の握る聖剣をすり抜けた。ティアが驚く暇もなく、本物のランスが腹部を貫いた。
「……かはっ」
貫通した背と腹の周囲からじわじわと血が滲み、ティアのワンピースを赤黒く染めた。
ノヴァがランスを引き抜くと、ティアはがくりと膝をついた。
「ティア……!!」
かける言葉が見つからなかった。何も発することができなかった。何かを言えば、目の前のノヴァが、間違いなくどちらかを仕留める。
「アベル……」
口元から血を流しながら、弱々しい声でティアは言った。
「やられた……ごめん……ラシェル様に……伝えて……職務を全うできなくて申し訳ございませ……がはっ!」
ティアは訓練でのランニングの時とは比にならない量の血を吐いた。
「しゃべるな!!」
アベルはティアを抱き抱え、腹部に回復魔法をかける。しかし血は止まらない。
「そ、して……ありがとう、と、こんな私を……助けてくれて……認めてくれて……ありがとうと……」
ティアの目の焦点は合っていない。
「いくらでも伝えてやる! だからもうしゃべるな!!」
アベルは回復魔法をかけながら、ノヴァを睨んだ。彼は不気味なほどに沈黙を貫いている。アベルはその意図について推測し、対抗策を考えられるほど冷静になれなかった。
「生きろ! 生きるんだ! 誰が教会の孤児たちを助ける! 誰がラシェルを支える! お前は生きなきゃならないんだ! 諦めるな!!」
アベルの叫びで、一瞬、ティアの瞳に光が戻った。気がした。
「…………あべる…………あなたが」
「何を……」
ティアの顔つきが優しくなる。まるで子供をあやすシスターのように。
「あの……魔族ハーフの娘と……仲良く……」
「え……」
それはどういうことだと、問いたかった。しかしこの状態の彼女を、無駄に喋らせるわけにはいかなかった。だがそんな心配は杞憂であった。彼女はそれ以上喋ることはなかったのだから。
「あ……ああ……あ……」
脳が激しく揺さぶられる。それを気合いで押さえて、ノヴァの方を向き直る。
「ふ……ふふ……」
兜から空気の音が漏れてくる。
「ふっ……フハッ! フハハハハハハハ! フハッフハッフハハハアハアハアハハアハ!!」
ノヴァを身体を三日月のように仰け反らし、身体の全てを使って感情を表現した。
「ハハハハハハハハ!! 素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい〜〜〜!! 美麗! 高潔! 無上!! ティア・サントメール!! なんと上質な人間なんだあぁぁああっはははァ!!」
アベルはティアを横たわらせて、ゆらりと立ち上がった。
「あ……う……あああ……あ」
怒りに顔を歪め、上機嫌な鎧の男を睨む。その視線で喰らわんとするほどに。
「あ……あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「気が触れた作戦かい? いや、実際ショックは激しいように見える。しかしそれを全力で押さえ、かつ、押さえられていない演技をしている。美しいぐらいみっともない足掻きだ」
ノヴァはランスを構えた。
「君の精神力に応えて、こちらも全力の剣技でお受けしよう」
次の瞬間、アベルの投げナイフとノヴァの拳銃から放たれる弾がぶつかり合った。
ノヴァが飛びかかる。ノヴァのいた場所から、矢が飛んできた。矢と、ノヴァによるランス攻撃。両方を捌く体力は、もうアベルには残っていなかった。矢を胸に受けたまま、ノヴァのランスを受ける。
「ぐあ……」
胸の周りの感覚がなくなっていく。毒だった。治癒魔法をかける暇すらない。ノヴァを距離をとった。アベルが胸を押さえていると、コツ、コツと聞き慣れない足音が近づいてくるのが聞こえた。
「お願いいたします、カミラ様」
「こんな姑息で貧弱な男に目をかけるとは、さすが自身がドミネーターズ最弱だけあるな? ノヴァ」
女性の声だった。
「やはりシンパシーを感じるんでしょうね」
飄々とノヴァが言う。
「ふん……」
カミラと呼ばれた女性は、アベルの服の襟元を掴んで持ち上げる。そして首筋に牙を突き立てた。血液が彼女の口内に流れていく。
「あっ……がッ……!」
アベルの身体が痙攣する。
「ちっ。光臭いやつじゃ」
どさりとアベルを地面に落とし、カミラは口元を拭った。不気味なほどに白い肌、黒く長い髪、鮮血のように紅い瞳。ドレスを戦闘用に改造したような奇妙な服装。そして冷たく、異様な雰囲気。魔物でも人でもない。
悪魔種・ヴァンパイア。
カミラは倒れているアベルを転がし、その顔を拝んだ。
「まさか此奴がカインやドレイクのような存在になるとも思えん。ノヴァ、骨折り損じゃったな」
「ありゃりゃ? そうかなあ」
「あとお前は煩すぎる」
「ふははっ」
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