第16話 アベルとティア

「……何ですかこれは」


「さあ……」


 私服のアベルとティアは、向かい合って座っている。テーブルにはジュースの入った大きめのグラスが一つだけ置かれている。特徴的なのはストローで、途中で枝分かれして、飲み口が二つ出来ている。


 アベルは店員の方を見る。店員はにこにこと営業スマイルを浮かべる。


「ごゆっくりどうぞ」


 もう一度ジュースに向き直る。飲め、と言うのか。このストローで。


「二人分……頼んだんだけどなあ……」


「しかし、周りもこれしか頼んでいないように見えます」


 他の客も、若い男女の二人連れであり、二人同時にストローを使って同じジュースを飲んでいる。


「俺らもやるか」


「しかし……あれはおそらく、男女の関係にある者同士しかやらないことであって……」


「同じ鍋をつつき合うようなもんだろ。気にした方が恥ずかしいもんだ。多分」


 そう言ってアベルはかがみ込み、ストローを使ってジュースを吸った。


「確かに……そうかもしれませんね」


 ティアもおそるおそるストローに口をつける。二人が想像していたよりも、二人の顔の距離が近づく。


「うまいな」


「ですね……じゃなくて! どうしてこんなことになっているんですか!」


 ばん! とティアは机を叩いた。


「だから、いいじゃないか。同級生同士、学外で交流を深めるっていうのも……」


 という名目にしているが、事実は少し異なる。アベルはスレイアと街を散策しており、その帰り道、偶然ティアとすれ違った。


 


 


「こんなところで奇遇ですね」


 ティアは既に見慣れ始めている、学生服ではない子綺麗な私服を纏っていた。


「あ、ああ」


「……デートというやつですか?」


 ティアはジト目でスレイアに目をやる。


「いや、デートというか、この娘は……」


「……ふうん……凄く、綺麗な方ですね。立ち振る舞いから、相当な実力者とお見受けします」


 アベルは内心、いかにティアをスレイアから遠ざけるかを考えていた。ティアは教会騎士を目指す者。スレイアが魔族とのハーフであることに気づけば、間違いなく敵とみなし襲ってくる。スレイアは魔族の特徴である角を魔術で消してこそいるが、一流の魔法使いは見ただけで魔術を使用していることが分かる。身体に魔族の特徴も少なからずある。付き纏われると危険だった。


 アベルはティアの手をとっていた。


「少しお茶でもしないか?」


「へ?」


 驚くティアを尻目に、スレイアにアイコンタクトを送る。


「あの、道案内して頂きありがとうございました。もうこの辺りで私は大丈夫ですので」


 スレイアは、分断の必要が生じた際に放つよう示し合わせていたセリフを一言一句違わず言って、家へ帰って行った。


「ええ、またきっとお会いしましょう!」


 アベルは手を振って、ティアへ向き直る。


「さあ、行こうか」


「なる程、そう言う……しかし何故私と?」


 


 


 半ば強引に、近所にある喫茶店にティアを連れ込んだまでは良かったが、奇怪なジュースを出されたりなどとあってティアはかなり状況に納得できていない様子であった。


「……野営訓練の時さ」


 その単語を聞いた瞬間、ぼっと火がついたようにティアの顔が赤くなる。


「嬉しかったんだ、正直な話。だからお前のことをもっと知りたいと思った。それじゃあ理由にならないか?」


「あの言葉に特別な意味はありません……! 勘違いされては困ります」


 ティアはグラスを持ち、自分の膝上で占有したままストローから吸った。


「俺だって特別な意味はないさ。それ抜きに、俺はお前に対して凄く好感を持ってるんだよ」


「う……」


 あまりに真っ直ぐなアベルの言葉に、ティアはどう返すこともできなかった。


「お前の剣は……ラシェルやバサスのものとは違うんだ」


 アベルは自分の掌を見つめた。


「努力の剣。無量大数回剣を振って見つけ出した剣技だ。ラシェルとバサスは……最初の一振りから逸出していると分かる剣」


「……普通は、そうでしょう」


「それでブレイブ大学教会騎士科Aクラスに入り、そのトップを走るラシェルについて行けるって時点で普通じゃない。剣だけじゃない……心も限界まで鍛錬しないととっくにリタイアだ。たぶん俺には無理。なあ、どうしてそこまで頑張れるんだ?」


「長くなりますよ」


「いくらでも聞くさ」


 ティアは覚悟を決めたのか、目の色が変わった。そしてゆっくりと話し始めた。


「……スオフ町という村を知っていますか」


「西にある港町だな。漁業が盛んなところ」


「さすが同じ田舎者同士、詳しいですね」


 ティアはいたずらっぽく笑う。


「田舎者関係ねーだろ」


「私の故郷です。私の両親はそこで教会の司祭を任せられていました。小さな教会でしたが、街に親しまれて、当事者の私が言うのもなんですが、良い教会でした。種族問わず孤児を集めて……大切に育てていく。教育も、遊びも教えるんです。海風に聞こえる下、シスターである母の弾くピアノに合わせて、貴族の真似事のような稚拙な踊りを皆でした時のことは、今でも覚えています」


「それ、凄くいいな」


 アベルは微笑んだ。種族問わず、と言うのはおそらく獣人のような亜人やエルフなどのことのみを指しているのだろう。しかしその種族分け隔てない考えは、アベルの大いに好むところであった。


「ええ、本当に素敵な時間でした……しかし、昨今の教会は純血の人間以外に対しての処遇が厳しくなり……亜人を保有するを禁ずるという通達がスオフ教会にも届きました。でも私は……あの子たちが、あの時間が大好きでした。だから、失いたくなかった。対抗するには、スオフ教会の権威を上げるほかない。そのために今は家柄と金の取得のために躍起になっていますが、当時の私は教会騎士を目指しました。もともとなるつもりでしたが、普通では足りない。ブレイブ王立大学を出れば、教会騎士団の幹部候補生になれることは確実。教会騎士団長の意向も強く国政に反映されますから、目指さない手はありませんでした。私は王都の予備校で寮生活をしながら勉強しました。そんな時、ユースティティア家が従者を募集していました。教会騎士として頂点にあるユースティティア家に取り入ることができれば、亜人の扱いも改善できるかもしれない……そんな思いで採用試験に望み、そこで直接ラシェル様から採用して頂き、従者として生活することが決まりました。そんな中、私はラシェル様にある日、その思いをお伝えしたのです。ラシェル様は亜人たちも教会において良いと取り計らってくださいました。あの子たちは今も、教会で笑顔で暮らしています。いつまでもラシェル様に甘えるわけにもいきませんし、情勢は亜人迫害の一途を辿っていますから、気を抜くことはできませんが……本当に深く、深く感謝しています」


「ラシェルが、そんなことを……」


「ラシェル様には、いくら返しても返しきれない恩があるんです。だから、いくら嘔吐しようとも、失禁しようとも、過呼吸になって倒れようとも、ラシェル様にはついていく」


「やっぱランニングの時のことちょっと恨んでるだろ?」


「恨んでませーん」


「やれやれ……」


 アベルは苦笑し、ストローに口をつけた。ティアも同じようにした。


 アベルは初めて彼女を見た時から、好感を持っていた。その理由が今ようやく分かった。


 ティアはアベルと似ていた。境遇、能力、感性とあらゆる点において。もっとも、勤勉さについてはティアに軍配が上がっているようであったが。


「頑張れよ、教会のみんなのために、これからも」


「当然です。さて、私の方も全く同じことを聞き返してもよろしいですか?」


「え?」


「貴方の剣と、目からは強い覚悟を感じます。どうしてそんなに頑張るのですか?」


 さすが似た者同士。少しどきりとするが、アベルは用意していた言葉を話し出す。


「俺の場合は、詳しくは言うことはできないが……」


 しかし、話し始めてから、自分の様子がおかしいことに気づく。


(俺は……話したいと思っている。魔族を助けたいという思い、全てを)


 王都で生きていく以上、時として誤魔化しは必須だった。しかし今はそれを使いたくなかった。ティアの想い、おそらく本音であると思われるその全てを聞いてしまったのが原因であることに間違いはなさそうだった。


「……お前と、似たようなもんだ……」


 絞り出した答えがそれだった。ティアは残念がるだろうか。おそるおそる彼女を見ると、またいたずらっぽく微笑んでいた。田舎の少女のような気さくで、それでいて聖職者のような優しさもある微笑みだった。


「ま、いつか話してもらいますよ。それについては。私が貴族と結婚しようとしたりしているのと同じように貴方も街で色々やっている様子。話せることばかりではないことぐらい、承知してます。だからそんな顔しないでくださいよ」


「……俺、どんな顔してた?」


「子供っぽい顔です」


「なんだそりゃ……」


 ティアはけらけらと笑って、またストローに口をつけた。ずごご、と飲み終わりの水音が響いた。

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