独裁の継承

博元 裕央

・継承の日

 遂に来るべき時が来てしまったか。


 影武者の仕事を終了する、別の仕事をこれから引き継げという呼び出しを受けた時、独裁者の影武者は覚悟した。


 己が仕える独裁者は不死であると喧伝プロパガンダされていた。だがそんな事、ありはすまいと誰もが思っていた。独裁者の影武者であった彼ですら。


 いや、寧ろ彼だからこそ、か。


 彼の顔は独裁者と同じ顔に整形されていた。ようするにそういう事だろう、不死ではなく、次々と影武者が代替わりし継承しているだけだと影武者は思っていた。


 そして同時に、それが自分が独裁者となる事を意味する訳ではないだろう事も。


(俺は俺でいられるだろうか)


 影武者はぶるりと震えた。ただ単に、側近や軍の長老達の傀儡となるだけならいい。下手な事を考えないよう、頭脳を弄くられ思考能力を破壊されてしまうのではないだろうか。


 だが恐怖しても左右を軍人に固められ同行を促されてはどうこうしようもない。


 この国に自由等存在しないのだ。


 走馬灯めいて過去の人生を回想しながら影武者は歩んだ。


 父母も友人も恋人も……友人に関しては密告を互いに恐れ何処まで友情や愛情が真実だったのかは分からなかったが……不自由を嘆き相互に警戒しあっていた。


 少し変わった石でも拾うようにひょいと影武者に抜擢され整形された自分も、何時も不自由なままであった。


(……元々不自由だったんだ、仮に洗脳されても変わらない、か)


 走馬灯の後、諦めた影武者は。


「な、何だ、ここは」


 奇妙な一室に案内された。壁一面にびっしりとスマートフォンがタイルのように張り付けられた大きな部屋だ。


「これこそが我らの指導者どくさいしゃさ」


 そこで待っていたのは、独裁者の側近の一人だった。


「何、大した事じゃないよ、これの使い方の説明をするだけさ」


 洗脳? 無い無い、と、側近は笑う。


 信じられる訳も無いまま、壁のスマホを呆然と眺めていた影武者は、あっと息を呑んだ。


 それは見慣れた、国民の統制の為に機能を制限された国独自のスマートフォン。正確に言えば不法に輸入したものに不法に改造を施したところが国独自という程の意味だが。


「こ、こんな機能が……」


 その改造はアクセス制限だけではなく通話通信内容の傍受も行っているだろうと国民は思っていた。だから皆、それを使って本音は話さなかった。


 であるのに。


 それら壁一面のスマートフォン達は、国民の全てを映していた。電源を切っていても使っていなくても、周囲の音を受信し、周囲を撮影し続けて。


 その音声と映像を、壁一面のスマートフォン達は受信し続け、この場で再生し続けていた。


 いやそれだけなら単にジョージ・オーウェルのディストピアSF小説『1984』を焼き直したテレビを通じた監視システムであるテレスクリーンの現代版だが、それだけではない。


(はあ、嫌だなあ、辛いなあ。だけど仕方ないか。逮捕されたのはおれじゃないし、先月は辛かったが、貰えるものはあるし、周りも皆同じだ)

(政府のクソめ、けど、逆らうのは怖いからなあ。給料日までの辛抱だ。今月の給料遅配は明日までで済むだろうし、強いていや、ムカつくあいつも同じように給料遅配になってくんねえかなあ)

(しめしめ、横領成功。独裁政府様様だぜ。多少の不満も吹っ飛ぶなあ。他の国じゃこう上手くいかないだろうよ)

(まだぎりぎり食っていける……命がけで抵抗する程じゃない……この間、政府からの発注があった。大体、鬼嫁の方が政府よりムカつく)


「心の声まで傍受している……!?」

「そうだ。脅し用で実際には使わない核兵器を作るふりをした予算を注ぎ込み続ければこの位の新技術は出来るさ。まあスマートフォン本体の改造はごく普通のものだが、その中で動くシステムの中枢となるプログラムは、『1984』に因んで84種とはいかないが種の監視システムを相互監視で競わせた結果が生んだ、半ば偶然の産物に近い物だが。だが、これが人を支配する訳じゃない。これを理由に人を捕まえたりする訳じゃない。そんな事をしてもきりがない。どんな状況でも人間は常に不安を感じているし、感じていなくても他人の言葉に付和雷同するんだから。そこを弁え不満を前提にする、だからこそ我が国の体制は崩される事無く存続している」


 側近はそんなものに頼る事を危険とも思わぬ様子で、驚愕する影武者に技術を讃える笑みを浮かべた。人類の本質的な怠惰の表情。


「人間誰しも、妥協があり打算があり諦めがあり忍耐がある、その範囲を越えた時、人は立ち上がる。ならばこうして人の心を覗き、立ち上がらないラインを見極めてやればいい訳だ」


 人は、民主国家でも独裁国家でも、どっちみち常に大なり小なり政府に不満を抱えている。実質のものであれ煽動によるものであれ。しかし大半の場合結局その不満を行動にはしない。緩い環境であれば投票に行く事も億劫になる。富に満ちていれば独裁でも結局の所反発は鈍る。


 では富に満ちていなければ人は必ず独裁に抵抗するか?それは、独裁に成功する事と独裁下に従う事とどちらが辛いかによるのではないか?


 とどのつまり人間という動物は快不快を怠惰に選択し漫然と対応した後に後から尤もらしい理由をつけるのだ。このシステムはその行動の分岐点を分析する為のものだ。不満の限界手前で抗う事を怠ける程度の飴の必要性を検知するセンサー。


「それに従っていれば誰だって指導者どくさいしゃになれる。これが我が国と我が指導者どくさいしゃが不滅である理由だ。君にはこれから我が国の指導者どくさいしゃになって貰う。何、我らの指導者どくさいしゃが考える必要は無い。ただ、これらの国民の声を漫然と一つに纏めたものが、こちらの専用スマホに転送されてくる。それに従うだけでいい」


 肩をぽんと叩き、国章がカバーに刻まれ国旗が待受画面に設定されたスマートフォンを渡しながら、側近が影武者に、いや、新たな独裁者に告げる。スマートフォンの画面には、あとはタッチすれば承認された事になる政策・法律・命令が表示されていた。求められているのは決済の指だけだ。


「何も考えなくていい。ポチるだけでいい。ただ、不満を程々に受け流す、皆がそいつのせいに出来る人であればいいんだ。大丈夫、皆、結局不満を愚痴る以外何もしないさ。君は哀れな馬鹿どもを見下しながら、そんな相手と思えば気にならない皆のストレスの発散先になるだけで気にしなければ呑気に暮らせる。誰もが程々に不幸で程々に怒れて幸せ、それが我が国さ」

(これは)


 手にした知恵に、そしてそれ以外の疑念に、新たな独裁者は慄いた。


(これは、本当に独裁なんだろうか)


 これは言わば人々の不平不満と妥協の総和だ。それはある意味皮肉にも最も民主的な独裁であると同時に、民衆の最も醜悪で怠惰な側面の全肯定による制度だ。


 ……これを知ってしまっては、苦しみを独裁者のせいには出来はしない。


 我等の苦しみは全て我等が罪。何という、知りたくなかった恐ろしさだろう、と、新たな独裁者は意識を奪われるより激しい苦悶に震えた。

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独裁の継承 博元 裕央 @hiromoto-yuuou

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