終章 20センチのその先は
「これは、勝負あったな」
「うん、私は決めた。みんなは?」
「私は大丈夫」
「うーん、僕も決めたよ」
「俺も多分、同意見だね」
「じゃあ、結果発表やな。美味いと思ったシェカラートを指させ。いくぞ?」
隣で、興味なさそうに、さも俺が勝つと言わんばかりに後ろの台に腰掛け、煙草を吸うりんさんとは対照的に、私はついこの前の二次試験の合格発表の時より緊張している。目を瞑り、手を組み合わせ、天に祈る。
「せーの!」
少しの静寂。それを破ったのはりんさんだった。
「……は?いや、いやいや!ちょっとまて。え?」
「認めろ。この結果を」
動揺したりんさんを、冷酷に突き刺すオーナーの声に私はわずかばかりの期待を乗せて、瞼を開く。
「おめでとう、沙華ちゃん」
「お前の勝ちや。沙華。内海のとこでよく頑張ったな」
私を祝福してくれる楓香さんとオーナーの声と共に、私が作ったシェカラートを指差す、五本の人差し指。
私は、勝ったのだ。本来は勝負ではなかったけど、ただ、あの時のオーナーからの課題をクリアするためだけだったけど、オーナーの鶴の一声で決まったこの勝負。まさか勝てるとは思っていなかった、夢でも見ているのだろうか。私が憧れた人は、珍しく本気で悔しそうな顔で苦々しくタバコを吸っている。
「私、勝ったんですね……、課題だけじゃなくて、りんさんにも勝ったんですね」
「あぁ、沙華のシェカラートの方が美味かった。それだけだよ。内海には聞いてたが、腕を上げたな。……お帰り、沙華」
普段はなかなか人を褒めないオーナーからの称賛に、小さく拳を握る。
「沙華ちゃんの方は、カンパリの癖と、その後の甘さがバランス良かったんだよね。なんか、悩みながら恋する女の子みたいな」
少し面白い例え方の楓香さんの総評に、咲さんや谷川さん、峰浦さんも頷いている。
「そんでな、こっちのシェカラートは風味が弱いってか、ぼやけてんだよな。楓香ちゃんみたいな例え方をしたら、悩んで恋した女の子をはぐらかしてキープする男みたいな」
少し毒がある峰浦さんの総評に、私と楓香さんは特に反応する。
「へぇ、私達の事を適当にはぐらかして振ったのってキープするためだったんだ?」
「ほんまに、最低ですよ。私なんか『釣り合わん!』って振られてるんですから。しかもまだ血縁が分かる前ですよ!それって女として振られてるんですから。『釣り合わん』ってなに!って思いますよ」
「うわ!それ最低じゃん!」
なんて、私と楓香さんは一度は互いに好きになった人をこき下ろして睨みつける。その姿を見て笑い転げるオーナーと谷川さん。
「りんくんダメだなぁ。別れ際は綺麗に終わらせないと」
「は、結局、離婚調停で完敗した人がそんな事言っても説得力ゼロやないか!」
得意げにそう語る谷川さんに少し凹んだ様子のりんさんが食ってかかった。
私が再びこの街に戻って来たように、みんなにも変化があった。その大きな例が谷川さん。私とあった時はまだ調停中だったが、それも終了。結局は慰謝料と養育費をむしられるというあっけない結果で、晴れて正真正銘のバツ2になったらしい。
「そうだよ、谷さん。バツ2がそんな笑い事言っても意味わからんって」
「一度も結婚してない、遊び人の峰くんにそんな事言われたくないわ!あと、そんなにバツ2っていうな!凹むんだけど!」
「あ〜、はいはい、うるさい!ろくでなし男共!せっかく沙華ちゃんが帰ってきたのに!」
「うっさいな!さっさと家帰って愛する旦那さんといちゃついてろ!」
「今は出張でロスにいます〜!だから今日は帰りません!」
結局、いつも通り至る所に火種が引火して、大乱闘のようなてんやわんやの大騒動の店内で、つまらなそうにタバコを吸う冷めた目の気難しい人の横に腰掛けた。
「なんで、戻って来たんだ」
「別に、出された課題が終わってないと、なんかもやもやするだけじゃないですか」
「そうかよ……」
私の回答など興味を示さず、相変わらずの店内をおぼろげに眺めるりんさんの反応は淡白なものだった。だから。少し、煽りたくなってしまうのだ。この冷めてて、気難しくて、自分の仕事にプライドを持つ、変わったこの人の事を。
「まぁ、りんさんにも勝っちゃいましたけどね」
「うっせぇな」
「あれあれ、悔しんですか?後輩に負けて。どうなんですか?依月さん?」
「別に?それより懐かしいなってだけだ。……改めてお帰り。沙華」
「はい!ただいま。……なのかな」
それっきり会話は無かった。2人の距離は二十センチ。
触れそうで触れないそんな距離。母の面影を求めてたどり着いたこの街で、私は、私にとっての月明かり見つけました。母が愛した月は未だに分からないけれど、
偏屈でよく雲間に隠れてなかなか照らしてくれはしないけど。いつだって優しい光を私にくれるそんな月。
その側に付かず離れず寄り添う彼岸花の姿がそこにはあった。
「よし!店閉めるぞ!今日は宴会や!」
オーナーの号令でみんなそれぞれ席に着く。
二年前の冬、止まった時は今日桜が咲くこの街で動き出す。季節外れの彼岸花の匂いをともなって。
☆
唐突に始まった宴会も終わり時刻は午前六時を回ったところ。春の日差しがそろそろ働き出すそんな時刻。
沙華と咲さんと楓香さんは家で二次会。谷川さんと峰浦さんはシメのラーメンを食う!と言って帰って行き、あれほど大騒ぎだった店内も俺とオーナーの二人だけになった時。
「全く、そんなん直接言ってこいや……」
何やら封筒を開いて何かを懐かしむような優しい顔を浮かべているオーナーがそこにはいた。
「なんか言ったか?」
「いや、なんでもねぇよ」
少し気になって聞いてみると、いつも通りの表情に戻り、封筒をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ放り込む。
「悔しいか、りん?」
ふとオーナーに問われる。
「そりゃあな。まぁでも、仕方ねぇよ。でも、あいつどこであんなに上手くなったんだ?」
俺は思っていた疑問をオーナーにぶつける。あんなの常にどこかで作ってないと出来ない味だから。そして、毎日カウンターに立つ俺に勝つとなると、相当の努力をしたことが見える。
「あぁ?あいつの給料渡した時あったろ?あの時に広島時代の仲間の店の住所入れといた。横川駅裏口の方のバーなんだがな。行くか行かないかは分からんかったが、去年の冬に、そこの店主の内海って言う野郎が慌てて電話してきてよ。沙華の事すごいセンスと努力家だって褒めちぎってて、笑ったよ。そっから、たまにカウンター立って練習やらなんやらしてたみたいやからな。そりゃ、お前も食われちまうわ」
いつも通り豪快に笑いながら俺が負けたことの種明かしをしてくれるオーナー。なんだよそりゃ。そんなの俺がやつの噛ませ犬になっただけじゃねぇかよ。と少しばかり陰鬱な気分になっている時だった。
「あ、そうだ、これお前に手紙だよ。お前とよく似た無愛想で冷めて、愛情表現がクソみてぇに下手なやつからよ」
そう言って、オーナーから封の閉じられた茶封筒を投げつけられる。
「あぶねぇだろ。投げてくんな!紙だって切れるんだよ!」
「うっせぇ!てめぇがちゃんと取れば大丈夫だろうが」
なんて、いつも通りの小競り合い。そして受け取った封筒には差出人の名前が無かった。そして、届け先は、栗原依月。俺の名だ。そして乱雑に貼られた84円切手。消印は広島のようだ。
すこし怪訝に思ったが、中身を見ずに捨てるのも憚られると思い。乱雑に封筒を破る。
そして、その手紙をみて笑ってしまうのだ。
『息子である依月へ。娘の沙華を頼む』
たったそれだけ。その一文。
「なんだよそれ」
俺はその手紙と封筒をくしゃくしゃにして、灰皿に投げ込み火をつけた。
ある時突然現れて、突然消える。そんな女の子に俺は愛おしく思っていた。そんなことは言えないけれど。
もし、来世でまた会えたなら。織姫と彦星みたいに会えなくても恋人同士になれることを願って。登ってくる明るい光を放つ恒星達にそう願ったのだった。
付かず離れずカウンターを駆け回る。巧みなスプーンさばきの二人のバーテンダーの姿がそこにはあった。
月の衛星、リコリス・ラジアータ 竹宮千秋 @Chiaki1838
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