女傑
大箸銀葉
第1話
あぁあぁ酔った酔った。ガッサガッサした声が聞こえるぞ! 誰だ! 誰だ! ああ俺か……。ははは。変な声。いつもならもっとキレイなんだ。評判だぞ。「酒林さんの歌を聴くと去年死んだ十姉妹を思い出す」って。おい、君。悪いけど焼酎を持ってきてくれるか。なければ発泡酒でいい。……いややっぱり発泡酒がいい。やっすい酒が飲みたいんだ。俺は酔ってないぞ! 頭がこんなにも冴え渡っている。思考が剃刀のようにピカピカ光ってる。酔っ払ってなんかいないんだ……。
君、そんなことはどうでもいいじゃないか。もう22時をすぎたのにまだ社会革命なんてくだらない話に付き合わせるのか。いいか。君の理想なんて所詮ドン・キホーテだ。夢の病に犯されているのだ。まだ若いから気づいていないだけだ。ふん。偉そうにしてるけど俺も昔はそうだった。社会闘争なんていって授業をサボるのは楽しかったな……。自分がダヴィデになってゴリアテの首を掻っ切るつもりだったんだけどね。いつの間にやら首を切られる側になってるってわけさ。君はユディトにでもなったつもりか? 将軍の首をとるときは袋を広げた老婆を忘れないようにな……。はは。そんなキラキラした目で見つめないでくれよ。悪かった。冗談でも出してはいけない名前だったな。まだジャンヌ・ダルクとかの方がミーハーっぽくてよかったのに。俺はバカだな。
なんにせよその革命ごっこはしばらくにして君は恋の一つでもするといい。夜っていうのはそういう時間なのさ。いつまでも政党政治だの宗教分離だのいってると頭がカチカチになっていけない。君は男を嫌っていたね。でも違うよ。だって俺とこうやって酒を飲み交わしているじゃないか。特別なんかあるもんか。はははは。そんなもんさ。人間って。無理に反論しなくていいよ。俺もわかってない。女ってのは不思議な生き物だからね。男よりもよっぽど近未来に生きてる。男ってのはバカだ。今しか生きていない。なのにほんの一握りだけ、数字に現れないほど小さい数だけ遠い遠い未来に生きてるやつがいる。ミュージシャンとかアーティストとか呼ばれる仕事してるやつら。女ってのはどうもあれに弱いね。嗅覚の鋭いやつはいいが、鈍いやつは悲惨な運命をたどる。バカな女にはなるなよ。
にしても最近男だ女だやかましくてかなわない。ユディトはああいうやつらをどう思うんだ? ……いけない悪い質問をした。さっき散々説教しておいてこの体たらく。この哀れなゴリアテを許してくれ。ユディトよ。君も知ってると思うが俺は女に乾いているんだ。俺を満たしてくれた女はもういない。俺から会いにいかなくちゃならないんだ。天のはるか先で彼女はきっと待っている。生きる目標ってのはそんな簡単なことでいいんだ。きっと、ね。ふふふ。まだ酒を飲むのかい? 本当に大酒飲みだね、君は。ヤマタノオロチもびっくりしそうだ。そうそう。それで思い出した。こんな夢を見てね。たしかあれもヤマタノオロチとユディトが出てくる夢だった。
雨が降っていてね。紫陽花の小さな花粒がぴちゃんぴちゃんと跳ねるんだ。鹿威しがもとに戻るように何回も何回も。それだけで俺の心は洗われるようだった。洗礼を受けてもいいと思ったよ。そういえば君はいつ受けたんだっけ。ああそう。12歳。多感な時期だね。忙しかったの? そう。大変だったんだね。はて、なんの話を……ああそうそう。紫陽花の花に雨が落ちた夢か。あれはよかったよ。そこを通りかかるのが蛇だった。小さい蛇。ちょっと手を前に出してみて。はい、前ならえ! そう、そんぐらいの大きさ。あんまり大きくないね。でもいいんだ。蛇だから。頭が八つあって。尻尾は銀色に鈍く光っていた。きっとあそこに草薙の剣が入っているんだろうね。剣としては忍びないから自刃用の懐刀だね。そいつが草の陰からニョロニョロ這い出してきてね。酒を求めて頭がとんでんばらんに探してる。そこにあらわれたのがユディトだ。髪を短く切って前髪をあげていて、額に汗が滲んでいたよ。それなのになんかきれいでね。少女らしい溌剌とした顔には太陽までもが恥ずかしがって赤くなる。夜はもうすぐそこに。ヤマタノオロチの頭の一つは素早くユディトの勇猛な度量を見抜くと石のように固まってしまってね。驚いて七つの頭がそちらを向いた時にはもう全部の頭が宙を飛んでいた。ああ、うっとうしい蛇ねとでもいう具合に……恐ろしいってこのことをいうんだね。
もう一杯くれないか……もうダメ? ああ、そう。安酒ならもうちょっと‥‥ハイハイわかったよ。君はいつだってまじめだね。その上で情熱が有り余っている。女とは到底思えないなんていったら怒るんだろうね。でも安心して。そんなレベルじゃすまさないよ。僕はね、君のこと宇宙人だと思っているんだよ。今どき女将軍に憧れるなんて不思議でもなんでもないけど、君の見ているところはまだ朝日が昇っていない夜の底なんだよ。もう少し歩いたらなにか見えるんだろうかね……。僕は見えなかったよ。ずいぶんと歩いたんだけど。だから僕は勇ましいユディトに期待しているんだ。
場所を変えよう。ここじゃあんまりにうるさすぎる。もっとしっとり飲み明かそうじゃないか。君は酒臭い雑踏が好きなの? まるで髪の毛を逆立てるみたいにするんじゃない。恐ろしくておしっこが漏れてしまいそうだ。どうせ僕が寝入っても叩き起こして夜通し話し続けるつもりだったのだろう? 君ならそうする。僕が若いときにそっくりだ。いい目をしている。怖いなあ。怖いよ。きっと将来残酷な女騎士は人を殺すことになる。君はきっとそういう話をしにきた。違うかい? はは。僕の感覚は酔うと鋭敏になるからね。体が熱くなってきたよ。目がチカチカする。火が飛び出てしまいそうだ。
ういっ。ありがとう。はーーっ。しみったれた酒が似合うね。……答えはノーだ。犯罪の片棒かつぐのはごめんだね。それにしても直球勝負だね。ただ速い球だけで打ち取れるわけじゃないよ。コントロールも球の伸びも悪い。心にガツンと響かせる力がない。これからの時代は剣で戦うんじゃない。もちろん火炎瓶なんてもってのほかだ。これからは言葉だよ。言葉で反逆するんだ。それもスマートな言葉にありったけの力をこめるんだ。犯罪をしてはならない。正義ってのはそんな単純なものじゃないんだ……なかったんだよ。
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