第3話

 やあやあ。しばらく。中華そばはまだ置いてるかい? あ、ダメ。そうか。残念。僕はここの中華そばを誰よりもかっているんだよ。でもないなら仕方ない。酒に合うメニューはあるかい? ……そう。じゃあそれ。めっちゃ油っぽくギトギトにして。塩胡椒はひとつまみ。山椒をこっそりと……こうやっていつも頼んでいたね。懐かしいなぁ。朝までもうちょっとあるね。さっきまでずいぶん話しちゃったから、今度は僕が君の話を聞こう。君の夢はなんだ? ……うん……………なるほど…………ほぉ…………ふん……………ちょっとまて。麺が伸びる。食べながら聞いてもいい? そう、ありがとう。それで? …………なるほどね。僕らの時代じゃないんだね。それが今トレンドの思想? それとも未来のトレンド? ああ、答えなくてもいいや。難しいこと聞いてごめんね。君もお食べ。その間僕が考えていたことを話そう。ちょっとだけ聞くとすごく夢のある話に思えるね。ずいぶん耳障りのいい言葉がならんでる。きっと清浄な心がそう言ってるんだろうね。騙す気のないさらさらした、それでいて不純物が混ざるのもいい。作られた言葉じゃなくて発された言葉って感じがするね。


 でもなんでかな。その言葉には君の魅力がなんにもこもっていない。何回も何回も考えて修正した結果、自分というものが消えてしまったんだね。まるで精巧な人工知能が人の賛同を得る目的で作った文章のようだ。裏の見えない怖さがある。見透くことのできない、たぶん発してる本人にもわかっていないところで君は誰かに操られているのかもしれない。君を操作している人間の底知れない怖さがあるんだ。そんな言葉だった。なんなら僕はいらないね。優秀なブレーンがあるみたいじゃないか。僕が君たちに参加するのなら僕は必ずそいつを君から引き剥がす。ユディトがホロフェルネスの首を切ったとき、老婆が袋をもって待っている。ユディトに全責任を押しつけてぬけぬけと生き証人の枠の中に収まって絵画の中にも描かれている。僕は老婆にはならないよ。年を食うにはまだ早い。


 君がどうやって社会革命を起こそうとしたか僕にはなんの興味もない。それに命預けるような事態になるのなら聞いてみたいが、今そんな気持ちも起こらない。だけどこれだけは忠告しておくよ。僕たちは操られていた。僕たちのための聖戦だったのに、その上で踏ん反り返って美味い酒を舌の上で転がしていたやつがいた。空気だ。僕は空気に操られていた。ふん。馬鹿げた話だ。結局日本人に個人主義は似合わないんだよ。いつまで経っても僕らは社会の枠に捕らえられたまま枠の見事な装飾に誇りをもつんだよ。まるで牢獄の設備を自慢する哀れな囚人のようにな! ……すまない。つい声が大きくなった。酒呑の妄言だ。僕はバカだ。年端もいかない若人にこんな話をするなんて。もう僕は酔いすぎたのかもしれない。……はは。もう麺が伸び切ってしまった。まずいね、これは。


 朝はもうすぐそこにある。いっしょに見ようか。君は誰かと一緒に日の出を見たことはあるかい? 富士のご来光には格別の白さがある。しかしこんな雑多な街にも同じ太陽が昇るんだ。僕のおすすめは路地裏さ。ちょうど赤提灯がひしめき合う通りにね。上から真っ赤な光が刺してくるんだ。まるで赤の世界に来たみたいさ。なにもかもが赤に染まるんだ。野良猫も、店のオヤジも、そのはるか先にある国会議事堂も。そんなのどこにもないのに。錯覚の世界はいつだって僕を魅了する。朝が来たって感じがするんだ。さあ、じゃんじゃん呑もう。呑まれるまで呑もう。それで君が満足したらば僕は感無量だよ。


 ……やっとおっかない顔が解けてきたね。うん、そっちの方がずっといい。男だ女だうるさい世の中に乾杯。与党だ野党だうるさい世の中に乾杯。時間時間とうるさい世の中に乾杯。ドロップアウトを許さない世界に盛大な乾杯を。さあ! ここは日本じゃない! 汚いラーメン屋の片隅じゃない! こうやって世界は変わるんだ。僕は変えたぞ。たった今! 次は君の番だ。……そうか。小説。うん。それがいい。うんとかっこいい小説を書きなよ。それで1番に僕に読ませておくれ。君の書いた全てが見たい。言葉の使い方は巧みだから詩も作ってみなよ。世界が君を見なくても、いつでも僕はここにいる。こうやって酒を呑みながらいつまでもここで待っているよ。じゃあな、僕の愛しいユディトよ。

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女傑 大箸銀葉 @ginnyo_ohashi

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