勇者が悪者な世界の話
カタル97
勇者が悪者な世界の話
近代都市トーキョー。
その街は、夜だと言うのに、常に明るさで満ち溢れている。
喧騒。街は人で溢れ返り、祭りのように賑やかで、何処も彼処も楽しそうな笑い声が響く。暑苦しい中、道を行き交う人々の雑踏が、小さな風のせせらぎを消し去る。
そんなトーキョーのとある飲食店。店内はサラリーマンらしき男達や家族連れで溢れ、外にまで行列が伸びている。料理を運ぶのは、アルバイトらしき若い店員だ。
「お待たせしました。こちら、特性ピラフです」
店員が料理を運んだのは、黒髪黒目の少女が座る卓。少女の前に、こんもり盛られたピラフが、置かれる。
変わった風情の少女だ。艶のある黒髪ロングに、黒曜石のように黒く鋭い瞳。その顔貌は至って一般的なものだが、どこか冷たい目をしている。
暑い季節だと言うのに、フード付きの黒いコートを羽織っており、手には手袋を嵌めている。席の隣に、ギターケースのような怪しい袋を立てかけていて、怪しいオーラを放っている。
少女の名は臥稔(ふしみの) アリサ。何処にでも居る平凡な高校生だ。
「では、ごゆっくりどうぞ」
店員は、いわゆる営業スマイルというやつを浮かべると、お盆を持って去っていく。出来たてホヤホヤで、熱気を放つピラフに、アリサは表情を緩める。
アリサがスプーンを手に取り、ピラフを口に運ぼうとしたその時──────
アリサの背後で、耳をつんざくような爆発音が響き渡った。店の窓ガラスがガタガタと揺れ、開いている扉からは強い風が押し寄せる。
アリサは手を止めると、チラリと背後に視線をやる。もくもくと上がる黒煙。燃え盛る炎の中に立つ人影。
「ヒャッハッ!! お前ら、逃げ惑え!! 勇者様が来たぞぉ!!」
奇声を発しながら、赤い剣を振り回す男。耳や鼻にピアスを入れていて、いかにも素行の悪そうな男だ。
「勇者だ!!」
「聖剣管理局の人間は何処に居る!!」
突如巻き起こった業火に、人々は悲鳴を上げて、逃げ惑う。しかし、獲物を喰らい尽くすかのように、炎はそんな人々を包み込んでいく。
まさに地獄絵図。言葉通りの状況に、アリサは席を立った。もちろん隣の席にかけてある袋を手に取って。
「会社? 上司? クソ喰らえだ! 全部燃えちまえばいいんだよ! 全部な!!」
男は暴走したように、剣を振り回す。それに呼応するように、炎は畝り、奔走し、周囲の景観を破壊していく。暗闇の中を、真っ赤な火炎が、龍のように駆け回る。
「今の俺には聖剣がある!! さぁ、ゴミ共、俺に焼かれろぉぉぉ!!」
高らかに笑う男。男を守るように、炎は鎧となって、まとわりつく。アリサはフードを被ると、袋の紐を解きながら、男へとゆっくり近付いて行く。
アリサのポケットで、スマホが勢いよく鳴り出した。アリサは、面倒臭そうにスマホを取り出すと、画面をタップして耳に当てる。
「はい。臥稔です」
『アリサ君、渋谷に勇者が出現した。急いで向かってくれ』
「もう向かってます」
『早っ!?』
「たまたま近くに居たので。切りますね」
『あっ、ちょっと待っ──────』
スマホをポケットに入れ直すと、爆炎から逃れる人々に逆流し、アリサは炎の壁の中へと突っ込んでいく。
その表情には恐れなど一切なく、むしろ狩りを楽しむ猟犬のように、黒い瞳は笑っている。アリサが男への距離を縮める中、
「うっ・・・・・・」
荒れ狂う男の前に、幼い少年が一人倒れ込んだ。躓いてコケたのか、膝が擦り切れていて、目に涙を浮かべている。男はそんな少年の姿を見ると、嬉しそうに口角を上げる。
「何だぁ、クソガキィ?」
コツコツと靴の音を響かせながら、少年に近付いて行く男。引きづられる赤い剣が、地面との間に摩擦を起こし、火花を散らせる。
少年は体を震わせると、尻もちをついたまま、後ずさっていく。しかし、そんな少年の行く手を阻むように、炎が少年の背後に回り込んだ。
「焼いちゃうぞぉ! 焼いちゃうぞぉぉぉ!!」
男はにんまりと不気味な笑みを浮かべて、剣を振り上げた。火の粉が弾け、空気が爆ぜる。暴れ回る炎がその矛先を少年に向け、畝りながら突撃する。
男の表情が愉悦に浸った笑みを浮かべ、少年の目から涙が漏れ出す。炎の渦が少年を飲み込み、頬を伝った涙が地面で弾ける直前──────
少年はバネのように、その場から飛び退いた。
「なっ!?」
驚愕する男の前に、アリサが立ち塞がる。アリサの左脇には、小さな少年が抱えられており、その右手には、闇夜のように真っ黒な剣が握られている。
魔剣黒印の
その刀身から放たれる禍々しいオーラに、男は気圧されて狼狽える。
まさに『死』を体現したような魔剣。薄らと笑みを浮かべるアリサは、まるで死神のようだ。
「大丈夫?」
少年をソッと地面に下ろすと、優しく笑いかけるアリサ。少年は、アリサの問い掛けに頷くと、涙を拭う。アリサは勇気付けるように、少年の肩をぽんぽんと叩き、火の少ない場所を指さす。
「大丈夫なら向こうに走って。分かった?」
「うんっ・・・・・・」
走り去っていく少年を後目に、アリサは男と向き合う。男は悔しそうに肩を震わせると、アリサを睨みつけた。
私欲と私恨に満ちた顔。その醜い顔貌を、アリサは見下すように眺める。アリサの冷笑するような視線が気に食わないのか、男は歯ぎしりして、目を血走らせる。
「クソガキがッ・・・・・・!!」
男は赤い剣を強く握り、地面に打ち付けた。瞬間、先程までとは比べ物にならない獄炎が巻き起こり、熱風を巻き起こす。
アリサは脱げそうになるフードを、気だるげに押さえる。黒いコートが風にはためき、コウモリのようにバサッと広がる。
フードの中、黒い瞳が捕らえるのは、男の手に握られた赤い剣だ。
「聖剣管理局の人間だな!」
「そうよ」
「何しに来やがった!!」
「生憎、あんたらみたいなと戦うよう、上には命じられているの」
「俺は『炎』の勇者だぞ! 凄いんだぞ!! 選ばれたんだ!! なのにてめぇ・・・! てめぇ・・・・・・!!」
男の剣にまとわりつくように、次々と炎が収束していき、やがて一つの大きな刃を形作る。発狂する男に、アリサも軽く剣を構えた。その瞬間、男の剣が空気を薙ぐ。
猛烈な爆風と共に押し寄せる炎の剣。しかし、アリサは全く動じずに、その場から動こうとしない。
「死ねぇぇぇぇぇえええええええええ!!」
男が咆哮に近い叫び声を上げる。炎の剣の切っ先が、アリサに迫り触れるその瞬間、アリサは軽く地面を蹴って横に跳ぶ。
迫り来る炎を、体操選手のような身のこなしで、体を捻って避け、地面に着地する。それと同時に、アリサはコンクリートの地面を強く踏んだ。
一瞬。男が握る赤い剣から、放たれる炎のその隙間を潜り抜け、アリサは男に急接近する。勝利を確信していたような男の顔が歪んだ。
「なっ!?」
次の瞬間、アリサに向かって振り下ろされた男の剣。力一杯振り下ろされた男の炎刀。爆ぜる炎が刃にまとわりつき、アリサに襲いかかる。
しかし、アリサは姿勢を低くすると、男の刃を弾き返した。瞬間、吹き飛ぶ炎。男の握る赤い剣に、ピキピキと亀裂が入る。
魔剣は聖剣と相反する力。故に聖剣を弾き、その力を無効化し、その刃を破壊する事ができる。
「終わりね」
アリサは一言、ボソリと呟きながら、魔剣を振り上げると、男の剣を叩き割った。ガラスの割れるような音が響き渡り、真っ赤な刀身は粉々に砕け散る。
傍に落ちてある袋に魔剣をしまうアリサ。顔に驚愕の面を貼り付け、男は力無く膝をついた。男の手に残っていた剣の柄が零れ落ち、地面にガチャンと落ちる。
無いものを求めるように、男の手は宙を彷徨う。目をかっ開いたまま、男はその場にドサリと倒れた。
「何で・・・・・・? 俺の聖剣が・・・・・・?」
アリサは魔剣をしまった袋を担ぐと、ポケットに手を突っ込んで、男の前に仁王立ちする。忌々しそうに睨みつけてくる男を、アリサは心底憐れむように、見下した。
この世のゴミを見るような目で。人間ではない異物でも眺めるかのような瞳で。
「あなたは勇者なんかじゃない」
アリサは静かに言い放つ。男は歯を食いしばりながら、アリサの言葉に耳を傾ける。
「ただのイカれた犯罪者よ」
そう言い残すと、アリサはスタスタと元居た店の中に戻っていく。遠方から聞こえるサイレンの音は、アリサを心地よくさせる。事態の終息を意味するノイズだ。
再び席に着くと、アリサはピラフを口に運んだ。温かかったピラフは、すっかり冷めていて、しんなりとしている。しかし、口の中に広がる塩っけに、アリサはフッと笑った。
ポケットの中で、再び鳴り出すスマホを気にも留めず、アリサは呟く。
「やっぱり美味しい・・・・・・」
アリサは何処にでも居る平凡な高校生。何の変哲もないただの少女だ。だがしかし、この街に完全な平凡など無い事を忘れてはいけない。
ここはトーキョー。勇者と聖剣と犯罪が溢れ返る街。
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