第20話 ただいまと困惑と
見慣れた場所でも、そこに誰かがいると随分と違って見えるものだ。
言い表せぬ感慨深さに浸りながら、アーサーはそう述懐する。
視線の先にあるのは、ウォルヌリーチの街並みに溶け込む乙女の姿。
何度も夢想したはずの光景。
いつかの日か彼女に、自分が暮らす街を訪れてもらいたい。
──それは、彼の密かな夢であった。
明朝早く列車へと乗り込んだ甲斐があってか、
ふたりは昼前には無事ウォルヌリーチへと到着できた。
「まぁ、ここがアーサーの育ったところなのね」
一列に並んだ赤レンガの壁は、鈍色の煙が街中を漂う中も視界に鮮やかに映る。
乙女は弾んだ声を上げながら、街の中心部にある豪壮な白黒のハーフティンバー様式の建物を仰ぎ見ていた。
「ええ、はい。
フォトニッヘと比べたら古臭い街ですけどね」
「そんなこと言わないの。
充分に素敵な場所ではなくて?」
思わず地元を卑下するような言葉を発したアーサーへ、乙女のやわらかい叱責が飛ぶ。
アーサーはくすぐったい気持ちに包まれながら「すみません」と謝罪の言葉を零した。
ウォルヌリーチは、一昔前の街並みを現代にまで留めていることで有名な街だ。
「歴史的で荘厳な風格が漂う」と言えば聞こえはいいものの、その実態はただの古臭い街である。
なにせ首都であるのに「まるで時が止まったかのようだ」と揶揄されるぐらいだ。
フォトニッヘを経由した後ではがっかりされないかなどと、
内心余計な心配をしていたが、杞憂に終わったようであった。
「……うん、本当に素敵な場所ね。
わたし、一番好きだわ。この街」
乙女はどこか懐かしむような、遠くを見るような眼差しでウォルヌリーチを見渡し、ささやく。
それはあまりに小さな声で。
側にいるはずのアーサーですら、そのささやきを捉えることは叶わなかった。
かつてクロックマン一族は、人知を超えた存在である乙女をかくまうため、
彼らは人目に触れぬ、そして人をも避けるような場所に引きこもり暮らしていた。
しかし、人の立ち入らぬ場所での暮らしなど、到底成り立つものではない。
そこで彼らは一族の中から「乙女と共に森で暮らす者」別名「番人」を1名選び、
その者の生活を全面的に援助する、というルールを設けた。
言うなればそれは、白羽の矢のようなものである。
その「番人」はかつてはアーサーの祖父であった。
元は祖父の弟がその役目を担うことになっていたが、
不慮の事故で命を落としたために、急遽その役割は彼へと移ったのである。
長子であるアーサーは一刻も早く結婚し、次世代に血を残さねばならない。
だがまだアーサーが恋人すら作っていない内に、祖父は旅立ってしまった。
「どうしたの?
苦虫を千匹ぐらい嚙み潰したようなかおをして」
「いや、なんでもありません」
そして今。末裔であり次期当主を引き継ぐアーサーは、
なぜか守り隠すべき存在の乙女を連れてウォルヌリーチにいた。
それがどれ程の重罪か、改めて口にするのも馬鹿らしいことは、重々承知の上であった。
祖父が亡くなったという報せが届くと、
アーサーはすぐさま家を経ち、ハイロの村へと向かった。
それは彼の両親も了承済みである。
本来であれば祖父の訃報を確認したのち、
次の番人が来るまで乙女を見守るのがアーサーの役目であった。
だが幾ら安息の地であっても、いつかは消えてなくなるものだ。
生家を久々に訪れた彼は、屋敷の損傷の激しさと劣化ぶりに危機感を抱いた。
「このままでは次の番人が訪れるまで持たない」
そう判断した彼は、己の判断のみで突発的に乙女を森の家から連れ出してしまった。
森の家で隠れ住んでいる筈の乙女。
そんな彼女の姿を見れば両親、もとい母・ヨランダがどんなに怒るかなど、想像するだに恐ろしい。
承知の上であった。覚悟の上であった。そのつもりであった。
だがしかし、いざ目前に迫ると人は容易く決断を鈍らせるものだ。
アーサーはここに来て、二の足を踏みまくっていた。
「……お嬢さん。
……一旦、宿を取ろうと思うのですが」
「どうして?
ここ、アーサーの家があるのよね?」
小さな首をコクリとかしげ、乙女はアーサーをじっと見つめる。
「自宅に戻ればいいのではなくて?」と言いたげな眼差しで。
そんな目で見られては、アーサーはもう言い逃れのしようもなく。
「ハイ」と諦めたように呟いて、自宅へと続く石畳の道を歩き出した。
アーサーの予想に反し、ヨランダは拍子抜けするほど普通そのものな態度で、アーサーと乙女を出迎えた。
「おかえり、帰って来るとは思ってなかったわ。
帰って来るなら電報くらい寄こしなさいよ、もう。
……あら?」
「お久しぶりね、ヨランダ。
息災だった?」
そう無邪気に呼びかける少女の出現にヨランダの顔色がサッと変わった。
「あ、アーサー……」
母の顔色はみるみる悪くなり、手は震えていた。口を開け、必死に言葉を紡ごうとしているがそれも叶わない。そしてアーサーには聞かなくても続きの言葉がわかった。
(アーサー、貴方なんてことをしてくれたの……!)
恐る恐るといった具合で、アーサーはヨランダに声をかけようとした。
しかし、それも叶わず、廊下からこちらへやってくる人影をみとめた。
アーサーは思わず反射的にそちらを見る。
そこには、紳士然とした男性──アーサーの父が年配の女給を従えて立っていた。
「帰ってきたのかいアーサー
……おや?その子は?」
ゆったりとした足取りで玄関へと入ってきた男性は、穏やかな眼差しを乙女へと向ける。
ヨランダはやっとのことで、言葉を発した。
「お客様よ、
ヨランダのただならぬ表情にアーサーの父であるエクターは全てを察したようだった。
「……入りなさい、アーサー。
君もだ、森の姫」
そう言って談話室へ二人は招き入れられた。
これまでの楽しい旅程を乙女はゆっくりと反芻していた。
そこにはもう二度と戻れない気がして乙女はアーサーを見上げた。
アーサーは自らの優柔不断さを振り払うかのように乙女の手を握り、ゴブラン織りのソファへ乙女を導いた。
重々しい空気を纏って両親は二人の前に座った。
長い間、氷漬けにされていた生贄の少女とクロックマン一族の
不老不死系ヒロインの呪いを解くために、一緒に旅に出ることになりました。 kirinboshi @kirinboshi
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