逃げ延びた先から

「セス君! 無事だったのかい!」

 先に逃げていた本隊……いや、もう避難民の一団と言った方がいいか。そちらに追いつくと声を掛けられた。

 聞き覚えがある女性の声だった。



「……デビーさん!」

 長身にしっかりとした体格、浅黒い肌と濃い茶髪がしっかりとマッチしている。白衣を着ていなければ、間違いなく女戦士と見られるだろう。

 付いていた人の治療を一通り済ませた後、こちらに駆け寄ってきてくれる。よく見ると白衣は泥と血に汚れ、顔色からも疲労を見て取れた。


 ……きっと、いや、間違いなく首都からここまで医者として腕を振るい続けていたんだろう。



「ああ、無事だったんだね! 本当に良かったよ。フィルミナお嬢さんは……」

「怪我はありません。ただ、またしばらくは寝ていると思います」

 今も腕の中にいる女の子は、微かに寝息を立てているだけだ。

 変わらないのは夜空の髪と新雪のような肌で、妖しい紅蓮の瞳は閉じられているため見えない。


「……そうかい。セスくんは? 怪我はないかい? あんたら二人はすぐ無茶するからね」

「自分は平気です。デビーさんもご無事で何よりです」

 思えば王国からこっち、ずっと医師として診てくれていた。自分やフィルミナはもちろん、ゴーレムだったアランさんのことを……。


「ちょっと! エイドさん! セス君が戻ってきたよ!」

 デビーさんの呼びかけた方に目を向けると、鬼の視力がその姿をいち早く捉えた。

 普段の立ち振る舞いや姿だと、戦に関係のない老紳士にしか見えないが……今は違う。しっかりと軽装に身を包んで、あちらへこちらへと指示を出しているようだ。


「……セスくん! 戻りましたか!」

 こちらと目が合うと、また指示を出してから駆け寄ってきてくれる。

 公国への援軍として組織された王国の遠征隊、それの全責任を任せられていた人だ。こんな状況でも、しっかりとその辣腕を振るっている。


「セス君も、フィルミナさんも……よくぞ、戻ってきてくれました」

「はい、彼女の、フィルミナのおかげです。けど……すみません、アランさんは……」

「……そうですか」

「あの、ベンジャミンさんや他の方たちは……」

「……亡くなりました」

 思考が、止まる。



「……え?」

「王国遠征隊副隊長ベンジャミン・ホール、並びに軍人と冒険者合わせて124名は死亡、または行方不明です」

 声が出ない。理解したくない。

 みんな……死んだ? そんなに、たくさんの人たちが?



「遠征隊は……残った32名と私達を覗いて全滅です」

「何、え……だって、そんな……」

「多くは大門の時の黒い闇に、スケルトンとの戦闘や市民の避難誘導でも、犠牲は避けられませんでした。総隊長として恥ずべき結果です」

「その、自分、が……あの、」

 口から洩れたのは、意味をなさない言葉だった。だけど、エイドさんが肩に手を落として遮ってきた。軽く、だったが思わず体が跳ねる。




「セス君、いいですか? 私たち軍人は民の命と財産を守ることを誓った者です。その結果、どのような理由であれ、自らの命を落としても……仕方ありません」


「一度『軍人』という職に就いた以上、自分の命は自らの物ではありません。国家の、人民の安全と安心を守るための剣となり盾となります」


「だから、君が抱く『想い』を——間違えないように」

 エイドさんが真っすぐに、こちらの瞳を視線で貫いてくる。それだけで、自分の中の弱音は殴りつけられていた。




「エイド総隊長!」

 遠くから、目の前の人を呼ぶ声がする。

 総隊長……やることは山積みに違いない。隊の生き残りは五分の一程度、それでも休むことも止まることも許されない。

 何せ、今は軍人や冒険者だけじゃない。公国の一般市民も多くいる。この避難民の一団を無事に……無事に? その後はどうすればいい?

 それすらもわからない中、ただひたすらにその身を粉にして動くしかない。自分なんかよりも、遥かに多くの死を背負っているはずなのに……。



「……そろそろ、私も私の戦いに戻らなければなりません。セス君、私は……私達は、君と共に戦えたことを誇りに思っていますよ。忘れないで」

 肩に置かれていた手が離れると同時、踵を返してエイドさんが呼びかけてきた人の方へと向かう。

 もう振り返らず、真っすぐと戻っていった。


「……あたしもだね。セス君、フィルミナお嬢さんはあたしが預かるよ」

「デビー、さん」

「ほら、傷病人を見るのは医者の仕事さ。あんたは……あんたのやることをしな」

「……」

 力が抜けきった人形のような少女——フィルミナを、デビーさんに渡す。見た目なら、自分よりも太い腕に彼女がしっかりと抱きかかえられた。


 ……それまで腕にあった、大切な重さが消えた。


 フィルミナを抱えつつ、一つのテントに向かっていくデビーさんを見送る。そして、思い返す。



『だから、君が抱く『想い』を——間違えないように』

『あんたは……あんたのやることをしな』


『それでも、何度でも……戦う、戦える。それは……『強さ』じゃ。忘れるで、ない』



 暖かい、大切で優しい言葉を……何より、それをくれた人たちを。

 胸に宿った決意のまま、辺りを見回す。だが探している人は見当たらない。それならそれで構わない、探し出すだけだ。

 立ち止まるものか、迷うものか、何よりも……諦めてたまるか。



「おーい、誰か! こっちを手伝ってくれ! テントの設営が間に合わん!」

 ……みんなを手伝いつつ、になるけど。


「今行きます!」

 答えと同時、足を進める。

 今はそうするべきだ。亡くなってしまった人たちを悼む時ではない。それは自分の胸の中でだけにしろ。何より、抱くべき『想い』は謝罪じゃない。


 ありがとう、ございました。

 戦ってくれて……あとは、任せてください。

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