逃亡と眠り姫
すでに周囲は一変していた。
その様相はもはや、天変地異としか言い表せないほどである。
破壊は大地だけには留まらず、公国首都の面影もわずかに残るばかりしかない。当然、そんな激戦にあって自分たちもその場にとどまることは出来なかった。
離れた場所から、地を揺らし天を裂く『夜明けと真夜中の戦争』を眺めることしか出来ない。
スケルトンも、それに対抗していた公国の人達もどこかに避難したようだ。おそらく公国側には、フィルミナが事前に連絡を入れていたのだろう。
……その戦場に巻き込まれた公国首都は、完全に崩壊していた。
元は公国首都だったそこは——二人の怪物のみ存在を許された闘技場へと変わっている。
見る、ひたすらに見る。
今の自分にはそれしか出来ないからだ。
横槍も助太刀も不可能、それをする前に踏みつぶされて終わってしまう。巨象同士の争いに、蟻が一匹混じろうとも何の影響もない。
だからこそ、今は見るしかない。
そう助言をくれた、この状況を作ってくれた、小さくか弱い女の子を腕の中に抱いて。ひたすらに見る、少しでも、欠片でも取り入れるために。
どんなに些細なことでも今の自分には、値千金の財産になる違いない。何せ……今戦っているのは『10年後のセス・バールゼブル』。
いや、彼女が描いて創造した10年後の自分なのだ。
「準備出来たネ! 二人とも!」
「フォンファン、さん?」
呼びかけてきたのは妙齢の女性。黒髪を二つのお団子にしてまとめ、体にフィットする簡素なドレスを纏っている。フィルミナの切り札のために一緒に戦った女性であり、『炎熱の舞姫』の異名をとる凄腕の冒険者だった。
「うむ。ならば……ここまで、じゃな」
「どういうこと、フィルミナ?」
今度は腕の中にいる小柄で華奢な女の子からだった。その疑問のままに、問いかけてみるが……答えられるのか?
そう思ってしまうくらいに、フィルミナの身体から力が抜けている。辛苦を収めるように瞳も閉じられており、眠れる少女もとい命を込められた人形のように見える。
「セスよ、撤退じゃ。公国の……皆のため、殿を務めるが……よい」
「……みんなが避難を……いつの間に」
こちらの言葉に、フィルミナがうっすらと目を開けた。
炎と血を封じ込めた瞳がかすかに覗いている。その目とこちらの視線がかち合うと、儚くも不敵な笑みがフィルミナに浮かんだ。
「……たわけ。最初……お主が、スケルトンに接近しようと、した時からに……決まっておろう」
「そんなに前から? どうして……」
「嫌な予感が……したのでのう。念には念を……それより、早く……」
今度は破壊しつくされた……いや、今も夜明けと真夜中がひたすらに暴れまわる戦場に目を向ける。立ち入る者などいるはずもない、許されるはずもない、あらゆる常識を超えた力をぶつけ合う二人の決戦。
……シャイターンが、押し始めてきた。
薄明を駆使する『セス・バールゼブル』の片足首が消えている。漆黒に飲まれたのだろうが、再生が始まっていない。
鬼の筋力を活かして片足で、または薄明の力を活かして、器用に動き回っている。いや、片足と信じられないような速度で軌道を描き続けていた。
だが……相手は魔王シャイターン。片足が落ちた、その隙を見逃すはずがない。漆黒が『10年後のセス・バールゼブル』を次第に追い込んでいく。
「分かった、であろう。そうでなくとも……儂が気を失えば、あの『セス』は……大幅に、力を失ってしまう。どんな術でも、弱点や……欠点は、あるものじゃ」
自分の身体が、強張った。
「そうなれば……もう、奴からは逃れられん」
「……わかった」
腕の中のフィルミナをしっかりと抱きしめる。あくまで苦しくならないように、それでも決して離さないように力強く。またしても自分の、そして大切な人たちを助けてくれた鬼の姫を守れるように。
「セスくん、こっちネ!」
フォンファンさんの後について、『夜明けと真夜中の戦争』に背を向けて歩き出す。だが、一瞬だけ肩越しに振り向く。
今も戦う10年後の自分と、目が合った気がした。
そして『セス・バールゼブル』が、微笑みを見せてくれた気がした。しかし、それを確認するすべはない。今度は振り返らず——戦場から逃げるだけだ。
「……フィルミナ、大丈夫?」
「……うむ、まだ……起きて、おる」
逃げ始めて二時間を超えたところか……背後や周囲に警戒しつつなので、鬼にしては距離を稼げていないだろう。もとよりフォンファンさんと一緒なので、それは出来ないのだが……。
ふ、と逃げてきた方へと目を向ける。
すでに戦場はどこにも見えないくらいに離れたが、それでも大地と大気から振動が伝わってきている。まだあの桁外れの決戦は続いているようだ。
……聞いても、いいのだろうか?
フィルミナが起きていることに安心感を覚えるが、胸の中に焦げ付くような疑問がこびりついている。ここまで頑張っている彼女に、今それをぶつけてもいいのか?
さらに負担をかけるだけになるのではないか?
「セス、よ……アラン殿、は……笑っておった、よ」
自分の胸の中をすべて見透かされたような言葉に、心臓が跳ねた。
「……『ゴーレムに、なり……レベッカとジャンナ、を育てられた』」
視界が、歪んでくる。
「『それでも生きて、来たのは……このためだ。今日まで、俺は……このために、生きて来た、んだな』」
どうしようもなく喉が苦しい、目の奥が焼ける。
「『今度こそ、仲間を……守れた。俺は、満足だ』と笑っておった」
自然と歯を食いしばっていく。顔がどんどん歪んでいく。
零れるな、と堪えようとしても……すでに、それは頬を伝っていっている。悔しい、情けない、そんな思いがめちゃくちゃになって溢れてきた。
それで痛感する。
アランさんは……死んだのだ。別れの言葉を伝えることすら出来なかった。今までのお礼も言えなかった。そらすらも覚悟して、あの人はあの場に出てきてくれたのだろう。
驚くほどに、それが当然と言わんばかりに漆黒に飲まれ……ひとかけらの形見すら、残さず逝ってしまったのだ、と。
「儂の蝙蝠に、大森林の小枝を……持たせ、レベッカとジャンナにも……伝えられた、であろう」
「……ごめん。フィルミナ」
絞り出た言葉に、フィルミナがうっすらと目を開けた。ぼやけ切った視界だが、それでも彼女の瞳の鮮やかさは分かる。
「アランさんに……フィルミナに、また辛い役目を……押し付けた。二人とも、辛かったに……決まっている」
「……セス?」
「死を覚悟して……そのことを背負って、伝えて……ごめん。それなのに、俺、は……少しも、それを背負えない……」
喉が震える。
本当に辛いのは二人なのに。こうして……泣いてしまう。
優しく、頬を撫でるものがあった。
白くて細い、ヒンヤリとしているが心地いい。それが——涙を拭ってくれていた。
「案外……お主は、泣き虫……じゃから、のう」
「……うん」
「……旅立った時も、そうであったな」
「うん」
「いつも……いつも、誰かを助けるため……戦い、思いやり、涙を流す」
「……」
「それでも、何度でも……戦う、戦える。それは……『強さ』じゃ。忘れるで、ない」
——なんで、こんなにも……彼女は……。
気が付くと、抱っこしていた彼女をより強く抱き寄せていた。
いつもいつも、欲しい言葉を——くれるのだろう。
「……一つだけ、儂も……わがままを、言ってもよいか?」
「……うん、何?」
「儂はまた、しばし眠ろう。そして……儂が目を覚ました時……なるべく、そばにおって欲しいのじゃ。また……目を覚ました時……独りぼっちは、寂しいからのう」
「約束、するよ……離れないから」
それを聞いたフィルミナが、優しく微笑んだ気がした。胸の中に抱きとめて見えないはずなのに。
抱きしめていた彼女の身体から、力が抜けた。
それを確認してから、抱きしめるのではなく抱きかかえるように姿勢を正す。
「……フォンファンさん」
「……何?」
簡素な一言だが、答えてくれた声は優しかった。
「どっちに、どのくらい進めばいいですか?」
フォンファンさんがしなやかな指で北東——公国でいえば、セーリョウ公の領地——を指示してくれた。そちらに視線を向けても、まだ見える範囲には誰もいない。ひたすらに森や草地が広がっているだけだった。
「多分だけど、このペースであと……30分も進めば、先に逃げたみんなに追いつけるネ」
「わかりました……少し、急げますか?」
自分の問いにフォンファンさんが頷きだけで返し、先に駆け出してくれた。彼女のその気遣いが……嬉しかった。
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