眷属セス・バールゼブル
……どう、なった?
右上腕に痛み、そこから先の感覚がない。どうやら上腕以降——肘から指先——までが消し飛ばされたらしい。
操血術……神経に骨、血に肉と構造を辿って腕の再生を試みる。それをしつつ、周囲を見渡すと、眼前の地面が大きく抉れているのが分かった。こちらから見て右斜め前あたりを中心に、無惨な大地が晒されている。
どうやら決死の抵抗は、無駄ではなかったらしい。
薄明で魔王が放った黒玉の軌道がずれ、どうにか右腕一本で済んだようだ。その証拠に自分から後ろを境界線にして、変わらずに草地が広がっている。
眼前には爆心地のような荒野、それより後ろは緑の草地。
アランさん……あの人が、決死の覚悟で魔王の集中を……大丈夫、なのか? ゴーレムだけど、あれじゃあ……いや、あの人がそんな簡単に死ぬはずがない。
軽く頭を振って嫌な予想をすべて振り払う。
今日までの付き合いで、あの人の実力も判断力も知っている。仮に決死の作戦だとしても、きっと策や保険をかけていたはずだ。
フィルミナだって同じだ。彼女がアランさんを捨て駒にするような戦術を許すはずがない。
そうだ。そうに違いない。あんな……何も、一言もなく死ぬなんて……そんな死に方が許されるはずがない。
どうにか右腕の再生が終わり、体勢を立て直すが……消耗が大きい。
渾身の薄明に腕一本の再生、切られたものを繋ぐのとは桁違いに血の力を使うようだ。気軽に何度も出来そうにない。
……フィルミナは? 成功、したのか?
「……うむ、どうやら……」
背後から草を踏みしめる音がする。軽い、ふとした拍子に聞き逃してしまうほどの足音だ。そちらに視線を向ける。
「儂の勝ち、のようじゃな」
先程までの妖艶な美女とは違い、小柄で華奢な体躯。どうみても10歳に届くかどうかという年齢の子供だった。共通点と言えば、夜空の髪と白磁の肌、そして真紅の瞳くらいのものである。
「フィル、ミナ……姿が……」
「仕方あるまい。今まで貯めていた力、全てを使い切ったからのう。しかし……お主らの、おかげで……」
そこまで言うと、糸が切れたかのように彼女が崩れた。
「フィルミナ!」
慌てて駆け寄り、再生したばかりの右腕ではなく左腕で彼女を支える。本当に軽く、柔らかで……力が抜けきっているはずなのに、羽毛よりも軽やかに逃げてしまいそうだった。
「……うむ、すまんのう。セスよ」
「気にしてない! それよりフィルミナは……」
最後の「平気なのか?」が出る前に、高らかな笑いが響き渡る。間違いない、魔王の——シャイターンの笑い声だ。
「……シャイ、ターン」
こちらの呼びかけを完全に無視し、魔王は腹を抱えて笑い続けている。転げまわらないのが不思議なくらいに。ただおかしくて笑う、というよりもこれは……明らかに嘲笑だった。
「こ、これが……貴女の、ふは! 『切り札』だと、いうのか! ふはっ、ふははははははははははははは!」
「……うむ。これこそが、儂の……『切り札』じゃ」
「策を弄し、ゴーレムを捨て駒にして! 創り出したのが……ふははははははははははははははははは! 貴女が、こんな冗談をするとはな!」
シャイターンの嘲笑を完全に無視し、フィルミナが指で指し示す。
そこ——魔王からフォンファンさんを遮るよう——に人影があった。よく見るとその辺りの地形が、自分たちのところのように抉れている。
魔王シャイターン……本当に油断も隙もない。
こちらへ黒玉を放った後、フォンファンさんにも同様の攻撃をしたらしい。最後の切り札を使うこちらだけではなく、炎熱の舞姫ことフォンファンさんすらも、まとめて始末しようとしたのだ。おそらくはその人影が、彼女への攻撃を防いだのだろう。
その人影は長身痩躯で旅装に身を包んでいる。頑丈さと動きやすさを重視しており、濃い色なので汚れも目立ちにくいものだ。
男にしては長い髪は純白で、瞳は燃えるような紅蓮の瞳。男性にしては優しそうな顔立ちだが、しっかり男として整った顔つきである。
年は自分より上……20代後半から30代初めというところか。
「アヤー! セスくんにお兄さんがいたカ! すっごいセクシーなイケメンさんネ!」
……はい?
理解は追いつかなかったが、一つだけ答えられることがあった。
自分に、兄はいません。
いや、それどころか兄弟姉妹はいない。というよりも、捨て子だった自分にはいるかどうかすらわからない。
いやいや、それよりも……ちょっと、自分の兄にしては美形過ぎると思う。
「うむ、当たらずとも……遠からず。と言ったところじゃ、のう」
「フィルミナ? それって、どういうこと?」
「儂の……『理解力』が及ぶ限りで、お主を……『セス・バールゼブル』を『創造』したのじゃ……」
今度こそ完全に理解が出来なかった。あの、格好いいお兄さんが……俺?
「『セス・バールゼブル』と言っても……今のではない。未来の、儂の『想像力』が及ぶ限り……『10年後のセス・バールゼブル』を『創造』したのじゃ」
「じゅ、10年後の……俺を……?」
「うむ。これぞ……創造生命『眷属セス・バールゼブル』といったところ、かのう」
自分の腕の中でぐったりとその身を預けるフィルミナ。言葉も途切れ途切れではあるが、しっかりと紡いでいっている。
意識の混濁や錯乱は無いのだろう。
「……それで? 千載一遇のチャンスを、そんなものに費やして……どうする気だ?」
ようやく笑い終わった魔王が、こちらに視線を戻してきた。
「……一つ、貴様に忠告して……おこうかのう。魔王よ」
「いいだろう。なんだ、鬼姫よ」
「儂の眷属を……セス・バールゼブルを、舐めるな」
夜明けの一閃。
それが——魔王を吹き飛ばした。
先程まで魔王がいた位置に、白髪の男性——『10年後のセス・バールゼブル』——がいた。その体勢を見て、彼が魔王を殴り飛ばしたということが分かった。
薄明の閃光を使っての加速と打撃。どちらも今の自分では及びもつかない、桁外れの練度をもってしての一撃が魔王を捉えたのだ。
「……お、おおおおおおおおおおおおおおお!」
そのまま彼方まで飛ばされたかと思った魔王だが、どうにか踏みとどまったようだ。先程の嘲笑とも違う、どころか余裕が満ちていた口調はどこにもない。今までのどれとも違う、ただひたすらひねり出しただけの咆哮。
だが、魔王を吹き飛ばした『セス・バールゼブル』は動じない。
軽く手を振り、十数個の光球を周囲に構成させた。かと思えば、もう一振りでそれが、魔王を目掛けて駆け抜けた。薄明の光線がシャイターンを射殺そうとばかりに迸り、一気に炸裂する。
どんな標的……それこそ、あのドリュアデスすらも仕留めるエネルギーの奔流が巻き起こった。
だが……
「小僧ぉ! 図に乗るな!」
夜明けの矢のような拳打からの、光と熱の暴力……それでも魔王を仕留められないらしい。自分たちに向き合っていた時とは違う、明確な敵意と殺意を持って『セス・バールゼブル』へと突貫していく。
そして、激突する。
……桁どころじゃない。次元が……違う。
未だに光を目標に飛ばせない自分に比べ……いや、それ以前だ。
先の突撃からして、今の自分では到底引き出せない出力と繊細な緩急が使われたと理解させられる。
これ、が……「セスよ、よく見るがよい」
目の前で開演した異次元の決戦。それに目を奪われていたが、自分の腕の中にいるフィルミナの言葉に我に返る。
「これは……お主が、未来に手にするであろう……力じゃ」
そうは言うけど、フィルミナ……こんな……俺には……。
「……そんな顔を、するでない。儂とて『10年後に必ず、こうなれ』など……言うつもりはない」
「どういうこと……?」
「これは……今日までお主を見て、儂が勝手に想像した……いわば『虚像』じゃ」
黙って聞く。
その間も異次元の決戦は繰り広げられている。もはやスケルトン達との戦場音楽など、微塵も感じられない。夜明けの光と闇夜の帳の、常軌を逸した戦いが世界に響き渡っていた。
「これに追いつけ、超えろなど……無責任なことは、言わん。ただ……少しでも、今のお主の……糧にでもしてくれんかのう……」
腕の中にいる、羽毛よりも軽くて柔らかな少女を……もう少しだけ、強く抱きしめる。
そして、前へと目を向ける。
「次の手も……すでに、伝え終わっておる。お主は……何の心配も、せずともよい。ただ、この戦いを見るがよい」
その言葉を信じ、ただ決戦へと視線を送る。
無駄にするか、絶対にしてたまるか。
信じる、信じ続ける。
俺は、セス・バールゼブルは……フィルミナを信じる。
そして強くなる。
そのために——今は指先すら掠らない領域を、夜明けと漆黒の戦争を見る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます