再会する運命

「さて、我の名乗りは必要かな?」

 獅子の表情は柔らかだが……腹の中はまるで違う。先程から凄まじいほどの闘気が、こちらを揺さぶってきている。

 じりじりと皮膚を焦がすような、本当に熱量が篭もっているかのような威圧感。前に荒野で対峙したしろがねと同じ……いや、それよりも重苦しい。


「……シャイターンさん、かな? フィルミナから、少しは聞いているよ」

 なるべく負けないように、それでもいつでも逃げられるように体勢をとっておく。腰を軽く落とし、重心は後ろの方へ。

 距離は空いているように見えるが、当てにならないだろう。人間ならともかく、鬼なら一息で詰められるくらいだ。

 こいつも同じようなものと考えて……いや、それ以上とみておいた方がいい。


「ほう、聞いていたか。ならば話は早い」

「……話?」


 ピリピリと、さらに空気がヒリついて焦がされていく。まるで本当でそうであるかのように、全身が乾いている。

 ……知らなかった。危険すぎると逆に汗すら出てこないのか。



「ああ、違うな。こうしたほうが早い」

 笑みを浮かべながら、獅子の獣人——魔王シャイターン——が軽くこちらを指差す。瞬間、鬼の全力を持って右へと跳ぶ!

 考えたわけではない。反射的に、だ。


 そしてそれは正しかった。

 漆黒の球が地面を削りながら、先程まで自分がいた場所を通過していた。一切の物質の存在を許さない、黒の剥ぎ取り。



「ドリュアデスのお礼参りだ。堪能するがいい」

 そうか、これは、この焼き付くような威圧感は……怒りだ。どういう理由かはわからないが、こいつはドリュアデスが殺されたことを知っている。そしてその犯人が俺だということも。


「そら、そんなに思い切り跳ぶな。こうなるぞ?」

 鋭い爪の先、今度は黒の一閃が恐ろしいまでの速度で伸びてきた。それは慈悲も容赦もなく……こちらの右足首を撫でた。


 切られた!

 感覚からそれを知る。足首はあっさり自分から離れてしまっている。魔王の圧力とはまた違う、物理的な熱が一直線に奔ってきた。


 落ち着け、集中……操血術。

 血液を通じて足首が離れないように、そして一気に肉と骨を繋げるようにする。次に複雑な神経系をイメージしてすぐに修復を開始する。


 どうにか着地するが、マズい。

 この距離……おおよそ十五メートルほどを物ともしていない。対して、こちらは基本的に接近してからでしか、仕掛けることが出来ない。

 現状こちらは、光を狙い通りに飛ばすことすら出来ないのだ。



「次はこうだ。凌げるか?」

 細かな黒い球状……ビー玉ほどの大きさのそれが、獣の手の先に無数に構成されている。この時点でわかる。あれをまともに貰っても死にはしないが、その時点で決着がついてしまうだろう。

 一つ一つは小さいが、まとめて喰らうと全身が穴だらけになる。そうなると回復が間に合わない。

 予想通り、広範囲にばらけながら飛翔してくる細かな消滅の黒玉。


 操血術!

 かざした掌から思いっきり光を発生させる。広く、縦と横に広がるように。飛ばすのはまだ難しいが、発生させた光の形状を変化させることくらいなら出来る。

 相手を遮るように、薄明の盾を構成する。


 数拍にも満たない時間で、薄明の盾に無数の何かが着弾。その箇所から容赦なく光が削られた。だが、まだ盾は残っている。

 ……単純に物質で対抗するより、非物質の力で対抗した方がいいのではないか、という予想が当たってよかった。下手に物質化させた盾で防ごうとしていたら、いくつかは体に届いていただろう。



「……ほう、これは素晴らしい。『極位』に到達しているか」

 魔王の感嘆の言葉に嘘はなさそうだ。表情からもわかる。わざわざ手を止めたことがその証明だ。


 ……こいつにとっては、それだけ簡単な攻撃ってことか。


 知らず、歯を食いしばっていた。

 わずか三度の攻防、それだけで絶対に勝てない。桁外れの差があるとわかってしまった。自分は一つの光球すらまともに飛ばせない。

 口惜しさと焦燥がぐちゃぐちゃに混ざり合って、胸に満ちている。



「誇っていいぞ、鬼姫の眷属よ。先代の龍帝……まがね、とか言ったか? 奴はそれに到達していなかった」

 普通に考えると逃げる、しかないが……どこに? どうやって?

 フィルミナのところに逃げるのは論外。こいつは絶対に連れて行きたくない。まだまともに戦えるような状態じゃないだろう。彼女の2000年を無駄にしてたまるか。

 そもそもさっきの黒い飲み込む力を見てわかる通り、こいつは多彩にそれを変化させてくる。まともに背中を向けて逃げようとしても、いい的になるだけだろう。土埃やらで目隠し……獅子にそれが通じるとは思えない。嗅覚で捕まるのがオチだ。



「『極位』……ふむ、練り上げられた術の果てに辿り着く個人の極地。世界の現実……炎や水、物質にとらわれない力」

 どこかに逃げられたとしても、それは公国を見捨てるということに他ならない。

 スケルトンだけなら、いくらでも対処できるだろう。あの骸骨鳥人のズーというのがいても同じ。スジャク公にはロン・フェイさん、フー・フェイさんという手練れが付いている。さらにフォンファンさんという凄腕の冒険者もいたはずだ。



「貴公は『光』。それも実際にその特性に左右されず、物質化や身体の強化も出来る。ふむ……面白い」

 けど……こいつは、魔王シャイターンはどうにもならない。先の三人が実際に戦うところは見ていないが、それでも確信できる。



 全く別の——異次元の実力。

 どうすればいい? 思考がぐるぐると回るばかりで、何一つ考えが出てこない。



「そら、もっと足掻いてみせ——「そのくらいにしてもらおうかのう」

 凛として、それでいて静かに響く声が背後から届いた。

 聞き慣れた、村を出てからずっと旅をしてきた女の子の声。


「儂の眷属を嬲るのはそこまでじゃ。魔王シャイターン」

 振り返ると、やっぱり見慣れた姿があった。

 小柄で華奢な体躯、夜空を切り取ったような長い黒髪、陶器のような白い肌……宝石よりも鮮やかで妖しい真紅の瞳。



「フィル、ミナ……」

「久しいな、鬼姫フィルミナよ」


「今、会いたくはなかったがのう。魔王シャイターンよ」

 腕組をして、フリルのついたワンピースを纏った少女フィルミナが、堂々と立っていた。

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