幕間
迫る状況、龍巫女はまだ知らず
「……頭が痛くなるわね? エルマちゃん」
目の前にいる、猫科の肉食獣を思わせるリストーレが茶化すように話しかけてきた。短く整えた黒髪に、スラリとした体躯に四肢。
今は互いに挟んだテーブルに頬杖を突いて、眉根を寄せつつも曖昧な笑みを見せている。
「全くだ。だが、動いておいて正解だったと思うべきだろう」
テーブルの上に目を落とす。そこには書類の束が乱雑に置かれていた。
そのどれもが、リストーレが各地を回って伝手を使い、骨を折って集めてくれた貴重な情報だ。一通り目を通した私も、それの重要性と危険性に思わず目元を抑える。
「私も調べてみて驚いたわぁ……東はガチガチの防衛に入って不可侵。陸続きの西ですら、連絡もままならないくらいだなんてねぇ?」
「……『血の落日』での混乱、そこからの一気攻勢。何より、あえて王国を残しているところが本当に嫌らしい」
「そうねぇ。いくら傷痕が深いと言っても、自国のことばかりに目を向けてちゃ駄目よね? いざという時、困っちゃうから」
そう、先にあった『血の落日』の被害。その回復は最優先だが、同盟国の窮地も捨て置けない。
ここで外の詳細に目を向けず、貿易等からも動きがない。イコール『向こうも同じように辛いのだろう。こちらが立て直してから』となるのが避けなければいけない事態だ。
同盟を結んでいる以上、まだ余裕がある——明確に魔物に攻められている二国に比べて——王国が、出来る限り迅速に動かなくてはならないのだ。
そうしないと……「だって、次は『ここ』でしょう?」
相も変わらず頬杖を突いたままのリストーレが、笑みはそのままに言葉を紡ぐ。よく見ると、瞳の光が怜悧になっていることが分かる。
「ああ……間違いないだろう。同盟の公国と海洋国家を封じて王国を墜とす。それが魔物どもの狙いだ」
付け加えるなら、王国には魔物どもの最大戦力が派遣されるだろう。ここを墜とせれば、西へも東へも挟み撃ちにすることが出来る。
そして嫌らしい所は、いざこちらが攻められた際に二国に調査を入れてなければ……無駄足を踏まされるところだ。
公国も海洋国家もすでに攻められ、防衛に入っている。そんな中、こちらによこせる戦力などないだろう。
それを知らずに要請を送る、こちらは完全に一手無駄にすることになる。これが致命傷になりかねない。
私たち王国、大森林に接した公国、航海技術の海洋国家……三国は同盟を結んでいると言っても、競争相手であることに変わりはない。お互い、そう簡単に弱みは見せられない関係なのだ。
……その部分を踏まえての作戦、なのだろうな。
知恵がない有象無象の魔物どもには、到底ひねり出せない戦術。
「どうしようかしら?」
「……とにかく、この件を陛下に報告する。その後は、私が直接動いていくことになるだろう」
王国各地への注意喚起に……何より、戦力の増強が必要だ。連中が狙うとすればここ『王都』に違いない。
狙うならば心臓部、当然だ。
確証はない。だが、これまでの状況と——視線を、リストーレが集めた情報の一つへと落とす。それには『南、大海から未確認の船団らしき影の報告』とあった。
未開拓が大部分を占める南部からの情報、未開拓ゆえに未知の魔物が跋扈している可能性は十分に考えられる……噂では龍が居を構えるという『龍仙境』とやらもあるらしい。
龍はこの際、置いておくとしよう。
魔物が徒党を組んで、知恵のもとに攻め込んできているとする。それを踏まえると……状況証拠のみではあるが、清々しいまでにそれらは『王都襲撃』を予見していた。
「ここの守りと、カリーナお嬢さんは私が受け持つわよ。エルマちゃんは安心してね?」
どうやら全てをお見通しらしい、リストーレが軽くウィンクをしてきた。それならば、私は有り難くこの仲間に甘えるとしよう。
「それは助かる……だが、それならカリーナお嬢さんだけじゃなく、訓練生全員もみてやってくれ」
「あら、やだ! 重労働じゃない!」
そう、甘えるのだ。
おまけもしっかりとつけておいてやるとしよう。
「もう! エルマちゃんたら、人使いが荒いんだから」
気配で誰もいないことを確認し、独り言ちながら見慣れた廊下を歩く。頭の中で自らがやれること、把握していること、集めた情報……それらを整理しつつ、予定を組んでいく。
……エルマちゃん、しばらくは帰って来れそうにないわね。三か月……いえ、四ヶ月くらいかしら? その間を全部使え……ないわね。
南での未確認の影——遠洋漁業や軍での哨戒で捕らえたという。精査すると、どうやってもエルマちゃんが帰ってくる前に王都に着く。
それまでに、どれだけ鍛えてあげられるかしら?
考えている内に、目的だった練兵場に到着している。ざっと見まわし、目的の人物を見つけて注視する。
肩口で切りそろえた栗色の髪、少女らしい曲線の体躯を訓練着に包み、片手に携えた弓……向かい合う的に対して、適度に脱力しつつ集中していた。
静かに、しかし微かに胸と肩が動く程度に呼吸を繰り返し、研ぎ澄ませていっている。
……いいリズムね。
私の思考に答えるかのように、脱力から瞬時に収縮。
タンッ! という小気味いい音が響き渡り、的の中心に矢が突き立てられた。そのまま駆け出し、背負った矢筒から矢を取り出し、弓に構え、放つ。
それを繰り返した分だけ、射抜かれた的が増えていく。不規則に括り付けられていた丸い的の中心、あるいはそのすぐそばに矢が突き立てられていく。
とても訓練を開始して、三か月足らずとは思えない完成度ね。
村を出るまで、その道中、そして聖騎士としての訓練を開始してから。それら全てを含めての二、三か月間で彼女——カリーナちゃんはまるで別人みたいに伸びた。
本人の努力ももちろん、だけど何より……あの『セス』って友達……いえ、想い人かしら? その男の子への想いが本気だって言う証拠ね。
父親が猟師だったということを差し引いても、弓の扱いが格段に上手になっている。よく森で遊んでいたということを差し引いても、身のこなし方がしっかりと付いてきている。
「はぁい、今日も頑張っているみたいね。カリーナちゃん?
カリーナちゃんが全部の的を射抜き、呼吸を整えるのを待ってから声を掛ける。ビクッと一度震えた彼女をみるに、私の気配は掴めていなかったみたい。
ちょっと安心するわね。流石にあっさりと気配を気取られたら、先輩として自信がなくなっちゃうもの。
「リストーレ聖騎士! お疲れ様です!」
来た当初よりもはるかに様になっている敬礼、私みたいな半分道楽の聖騎士には勿体ないくらい。
「流石ね。もう動かない的相手じゃ、物足りないんじゃないかしら?」
「いえ、私なんかまだまだです。もっと……もっと、強くならないと……」
弓を握った手とは逆、空になっていた方の手で胸を抑えるようにする。見ただけで分かるわね、思い浮かべているのは『セス』って男の子のこと。
公国への遠征部隊に志願して、王国から旅立っている男の子。その後の報告でも、最精鋭の軍人を引っ張るような活躍が報告されている新進気鋭の冒険者くん。
遠征部隊……そろそろ、スジャク公が治める首都についてもいい頃だけど……どうなるかしらね?
「リストーレ聖騎士。もし許していただけるなら、恩恵の修練に付き合っていただけませんか?」
一瞬の思考から意識を戻すと、栗色の双眸が見抜いていた。
強い意志、優しい目元に宿したそれ。私にはちょっと、眩しすぎるというか……若いっていいわねぇ。
「ええ、もちろんよ! 元々、そのつもりで来たんだもの」
「お忙しいところ、ありがとうございます!」
「いいのよ、好きでやっているんだもの。ただ、エルマちゃんはちょっと忙しくて来られないの。私じゃ物足りないかもしれないけど、その部分は許してね?」
純粋を現したかのようなカリーナちゃんに、軽いウィンクと笑みで返しておく。自分の容姿や印象について理解が及ばないほど、若いわけじゃないわ。
このくらい軽い言葉と態度と、説明で砕けておいたほうが良いもの。
「いえ、そんな! 物足りないだなんて……勉強させていただきます!」
そうそう、こうして詳細な事情も省いて流せちゃうから。
どうしてエルマちゃんが来られないか、その部分はもうちょっと隠しておきたいんだもの。あなたにも、他の――私を見て注目している――訓練生にも……ね。
「じゃあ、早速『恩恵』を使って……そうねぇ、せっかくだから実戦形式でやってもようかしら? 稽古場へ行きましょう」
「はい! よろしくお願いします!」
さてさて、私でどのくらい彼女を伸ばせるかしら?
いえ、そう考えるのはちょっと傲慢かしら。どれだけ……彼女の想いが強いか、あの『セス』って男の子への想いが強いか、ね。
けどまあ、これまででも一つ言えることがあるわ。
直接会ったことはないけど、その『セス』って男の子は随分と罪作りみたいねぇ?
こんな……素朴で可愛らしい娘をここまで夢中にさせちゃうなんて。
……カシェルは苦労しそうだけど。
心の中で苦笑しつつ、同じチームにいる金髪碧眼の剣士――封印の魔剣士と呼ばれる有望株――を思い浮かべた。
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