大森林攻防編——真夜中に満ちる薄明の光——

 何で、そうしたのか?

 そんなのわかんないっすよ。はっきりとした理由なんかないっす。


 初めは、セスっちの言う通りに逃げようとした。

 だって、そうしないとこの場の勝ち目どころか、公国全体が負けるのはわかっていたっすから。

 けど……逃げるために足を動かすほど、その場から離れるほど、どんどん痛くなっていった。



 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 胸が、張り裂けていないのが不思議なほどに。



 たまらなくなって戻ったら……セスっちが、戦っていた。あたしを、あたしが逃げて——それでも、他のみんなを助けようと向かって行ってた。


 どう考えても勝てない、いや……嬲られているだけとわかっていても、絶対に諦めずに。何度叩き伏せられようと、何度転がされようと、その度に起き上がって立ち向かい続けていた。




 わかっているっすよ?

 そんな状況で運痴のあたしが跳び出していっても何にもできない。それどころか、セスっちの足を引っ張って終わりっす。




 けど、そうだとしても……じっとしていられなくて。

 どうにかレベっちの落とした処刑剣を拾って、その時には流石のセスっちも限界で、倒れて動かなくなってて……


 それを見たら、勝手に跳び出していただけ。


 結局、あたしに出来たのは一分にも満たない時間稼ぎ、とも呼べないもので……

 挙句に腰が抜けて、セスっちを身を挺して庇うくらいしか出来なくて……


 ——やめて、これ以上……やらせない!


 どうやって、とか。

 どうすれば、とか。

 そんなの……全然、これっぽっちも出てこなくて……子供のわがままみたいな、そんな感情しか出てこなかったっすよ。











「……綺麗」

 目の前に、細かい光の粒子が舞っていた。

 どんな砂よりも細やかで、それでいて不思議な色の光を放っている。鮮やかな蒼、それなのに光が爆ぜた中心部——さっきまでドリュアデスが覗き込んでいたところ——は白で……微かに橙色で色分けされている。


 そう、まるで——「夜明け前の、空と境界線の色……みたいっす」



 妖花を退けた光を放ったのは、あたしの腕の中でぐったりとしていたセスっち。

 抱きしめていて辛うじて分かる程度の呼吸を繰り返し、最期の力であの光をぶつけたって分かった。

 セスっちが思い切り殴り付けると、この見惚れるくらいの光が舞ったっす。


 それでも妖花ドリュアデスは、多少ひるんだ程度みたいっすね。

 苦悶の呻き声を上げて顔を抑えているっすけど、花も茎も身体も全く変わりない。すぐに回復してまたこちらを屠ろうとしてくる。

 けど、それでも諦めないっす! このチャンス……絶対に逃さないっすから!



「セスっち! 今のうちに逃げるっす! あたしに——!」

 唐突に、本当に突然に……セスっちがあたしを抱き寄せた。頭を押さえられて、思いっきり。

 さっきまでの脱力具合が嘘のように力強く。




 ブツリ、とあたしの首筋が破られる感覚。




「せ、セス……っち?」

 こちらからは白髪しか見えない、あたしの首筋に——噛み付くようになった彼に問いかけても、返答はなかったっす。




 そして、体中から力が抜けていく。

 同時に感じたことのないような……!

「……あ、うぅあ、ぁぁぁ……ひぃああああああああああああああ!」


 ただ、抑えきれない声が絞り出た。











『吸血のことも教えておこう。確かに吸血は、手っ取り早く体力や魔力を回復できるのじゃ』

 湖畔の町アモルでフィルミナから教えてもらったこと。

 それを思い出したのは、ジャンナの首筋に喰らい付いて存分に血を吸った後だった。ぐったりと脱力しきったジャンナをそっと横たわらせる。呼吸も脈も正常……単なる貧血で気を失っただけなのを確認しておく。


 生まれて初めて——もちろん、人間だった時から数えて——の吸血。これでジャンナを失血死などさせてしまったら、それこそ自分は後に自らの頭を潰してしまう。

 ほっ、と胸を撫で下ろしつつ、自分の咄嗟の行動を考える。


 ……多分だけど、本能で体が動いたんだと思う。


 心身共に衰弱、体力と魔力どころか気力まで尽きていた。

 そんな状態で辛うじて絞り出した『新しい力』。


 放っておいたら自然に死ぬ、それを防ぐために生存本能が『吸血』という行為を取った。



 ……さっきまでの状態が嘘のように、莫大な力が全身を巡っている。

 煉獄すら生温く感じる熱さを持って、全身の血液が滾っていた。そして何より……あの、新しい力。燐光と呼ぶには強く、閃光というには儚すぎる。『光』の正体が頭に流れ込んでくる。



『操血術の練度が上がると、『固有能力』……自身の到達点が見えてくるのじゃ』

 あの時、ポルシュ湿原で無意識に使ったのもこれだったんだろう。




 ……それにしても、やけに頭が冷えている。今にも燃え出しそうな身体とは対照的だ。

 先程、自分が『光』をぶつけたドリュアデス。すでに体勢を整え直し——顔、右半分当たりが焼けているが——こちらを睨みつけている。

 思わぬ一撃に、さっきまで自分がジャンナにしていた『吸血』。

 理解できない出来事の連続で、相当警戒しているのが分かった。だが、警戒よりも何よりも——そう、これは逃せない。



 脳から直接、身体に伝わるように。

 生まれ落ちた時から使えたかのように。



 橙色の境界線と白光を伴った蒼を、引き出して炸裂させた。

 踏み込み、と同時に二刀を精製。さらに自身の身体能力と五感も最大に強化する。自分の視界も身体も吹っ飛んだかのような勢いの中、ドリュアデスの一挙手一投足……表情の変化すらも捕らえることが出来た。

 手に精製されたのは、吸血前まで作れた——とっくに取り落としていた——紅と銀とは違った色の太刀だった。

 蒼と銀、しかも刀身を燐光が舞っている。



 ドリュアデスが蔦の触手こと、髪で迎撃してくるが——その全てを捕らえる。

 蔦の動き、表情や目線からの狙いや感情を読み取ることが出来た。そして自分の身体も驚くほどに、自由自在に動かせる。

 振るう太刀、それを避けようとする蔦。同じだ、最初に向かって行って躱された時と変わらない。


 だが、もうそれは許さない。

 動きに合わせて太刀筋を変え、髪の触手を一閃の下に断ち切る。止めずに、次へ次へと刀を振るい続けていく。



 分かる、分かるぞ。

 ドリュアデスの表情の変化を細部まで捕らえつつ、それ以上に一つの感情の増幅を確信する。警戒と共に感じたそれが、見る見るうちに——蔦の髪を切って捨てるほどに大きくなっていく。

 当初は碌に刃を当てることすら出来なかったのに、今はしっかりと対応しているのだから当然だろう。


 何より——燐光と共に振るわれた刃に落とされた蔦の触手は、再生しなかった。

 それがドリュアデスの感情——『動揺』——を一層増幅させている。



 だからこそ、ここしかない!

 迫る蔦の髪を粗方切り払い、操血術で精製した二刀の重心をそれぞれ調節する。そして間髪入れず、ドリュアデス目掛けて投げつける!

 まだ十分に残っている髪の触手を束ね、迫る二刀はあっさりと弾かれてしまった。   

 だが、そんなのは予想通りだ。


 すでに操血術で十文字槍を精製済み。

 必要最低限の溜め、そこからの踏み込みに身のこなし……全てを槍に乗せる必殺の突き。次は考えない、もう他に力を割く余地はない。




『烈火』

 防御も回避も考えない、全身全霊の刺突。




 これで一気に決めるしかない!

 今でこそ動揺のせいで力押しのみだが、冷静さを取り戻されると地力の差でまたどうにもならなくなる。多種多様な植物操作にそれを活かした戦術……何より、フィルミナ達は未だに捕らわれているのだ。盾にされると完全に詰みだ。



 閃光の踏み込みで、ドリュアデスへと爆発的な勢いで迫る!



 ……際どい、か?

 蔦の触手を全て防御に回そうとしている。あれを貫通して、狙った人型部分に刺さるか——いや、もう考えるな! もう全力を注ぐしかない!



 防御に間に合った触手を貫きつつ、緑の貴婦人へと蒼銀の穂先が迫る!

 だが——



「調子に乗るなぁぁぁ!」



 初めて聞く妖花の怒号。

 負傷も構わず、十文字槍を手で直接掴んで勢いを殺してきた!

 蔦の触手で削がれていたとはいえ、必殺の突撃を直で止めるなんて……やっぱり、こいつは自分よりずっと強い。



 負ける、止められる……いや、まだだ!



 そして、突撃の勢いが完全に殺された。

 ドリュアデスが浮かべる勝利の笑み、ゆっくりとその変化を離れつつ捕らえる。止められた瞬間、反動を利用して後方へ跳んだからだ。


 ここだ、これで最後。

 もう他に力は使えない。残りは全て十文字槍から込めるからだ。


 着地と同時に駆け出し、強く踏み込み、止められた十文字槍の石突に渾身の拳打を放つ!




『烈火・砕き』

 一撃必殺の突撃である『烈火』。

 それに自分なりの工夫——龍帝との手合せに使った手——を組み合わせた。通常は防御も回避も考えない真っ向勝負だが、万一の時を考えてもう一手を加える。




 拳の衝撃のまま、一度は止められたはずの十文字槍がドリュアデスに届く!

 穂先が深緑の胸元に刺さるが……妖花の大きさからすると、致命傷にはならないだろう。


 だから、まだ!

 殴った勢いのまま前へ、今度は十文字槍を再び掴み直す。ドリュアデスも両の手と髪の触手でこちらを仕留めようとしてきた。

 やっぱり軽傷らしく、槍が刺さったままだ。そして、それがこっちの狙いだ!



「はぁああああああああああああああああああ!」

 全身の隅から隅まで巡っていた、煉獄のような熱を全て十文字槍に通してくれてやる。自分の新しい力——白光と橙色の境界線を纏った蒼——を、一切の加減も躊躇もなく注ぎ込む。




 巨大な緑の貴婦人——妖花ドリュアデスが、夜明け前の光に彩られた。

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