大森林攻防編——闇に響く——

 来た!

 お馴染の蔦——深緑の髪——による触手攻撃!


 早い!

 けど、対応できないほどじゃ——!


 手にした二刀、それで切り払おうとしたが……蔦が逃げた。

 操血術で精製した紅と銀の刃が当たる直前、くねっとよじれて躱していった。刀が虚しく宙に軌跡を描く。

 更に、避けた触手が自分を貫こうと迫る!


 辛うじて頭を庇うが、それを嘲笑うように……腹のど真ん中を異物が貫く感覚。次いで来るのは痛みと喪失感。切り払おうとする前に、貫かれたところを支点に思いっきり引っ張られる。


 浮遊感と同時に視界が飛んで、一気に開けた。

 夜明けには程遠い星空で満たされている。足で踏ん張る大地はなく、手で掴めそうな——元から刀が握っているが——ものはどこにもない。腹にあった異物が抜けていく感覚だけがはっきりとしていた。

 中空に放り投げられたのだ。


 ……っ!

 全身——頭、肩、腹、背、腕、腰、脚——から次々と衝撃が伝わってきた。零れ落ちてきそうな夜空が目まぐるしく回る。

 触手で叩きつけられ続けている! 地に落ちる暇がないほどに——



 かと思えば、背中に一際痛烈な一撃!

 視界も閉ざされた。




「アハハハハハハ! 鬼はよく跳ねるわねぇ!」

 散々に自分を宙で滅多打ちにし、最後に地面に叩き伏せた張本人ことドリュアデスの愉悦の声が届く。まるっきり、玩具で遊ぶ子供のはしゃぎ声だ。


 立て、早く!

 苦痛を全て押し込めて、即座に起き上がる。その瞬間——


「次はこうよ!」


 こちらを中心に四つの蔦が生え、その先端から毒々しい花が咲いた。髪の触手とは全く別のもののようだ。

 鬼の鋭敏な視力が微かに、花から舞う粒子を捉える。


 ……花粉? 今更、鬼に毒なんて——!

 鼻腔を抉るような悪臭で思考を中断させられる。反射的に腕——刀を捨てるわけにはいかない——で口と鼻を覆う。匂いだけ、臭いだけのはずなのだが……眩暈と吐き気を感じるほどに、それは強烈だった。


「あなた、随分と目も耳も鼻も良さそうですもの。ちょっと辛いんじゃないかしら?」


 やばい、離脱——掬い上げるような一撃。

 また空を舞ったが、今度はお手玉のようにされることもなく地に落ちた。どこまで飛んで、どれだけ転がったかわからない。

 けど、とにかく立たなきゃ……早く……


「いかがかしら? ひたすら香りが強いだけ……でも、効いたでしょう?」

 肘をついて、どうにか立ちあがるが……かくん、と膝から力が抜けた。辛うじて持っていた刀を支えにして堪える。

 力も半端じゃない……もう足に来ている。

 頑丈で体力も図抜けているはずの、鬼ですらこれだけのダメージがある。人間だったら、原形が残らなかったのではないだろうか?


 声が聞こえてきた方向——ドリュアデスを睨みつける。



 妖艶な女性の上半身、下半身は鮮やかな花と太い茎。

 巨大な妖花は相も変わらずに、愉悦と余裕の笑みでこちらを見下していた。



「『種子』とは一緒にしないでね。ほとんどの植物は私の支配下、そして品種改良も出来るの」

 さっきの花のことだろう。

 既存の植物か、それに改良を加えた……いや、それよりも注意すべきことがある。あの花、蔦の髪からじゃなくて直接地面から別で生えてきた。


 今まで戦ってきた種子は、あくまでも蔦の髪を活かして攻撃をしてきていた。しかし今目の前にいる本体は、ある程度なら別途で植物を扱えるらしい。

 恐らく、これも種子との差なのだろう。






 ……思ったより、持たないかもな。


 改めて自分の見通しの甘さが圧し掛かってくる。ジャンナを逃がしたことに後悔はない。だが、心のどこかでそれによる増援も期待していた。

 ジャンナが公国に戻り、精鋭をこちらに向けてもらう。当然防衛は緩むだろうが、どのみち本体を潰さないとどうにもならない。

 戦力に余裕はなかったが、犠牲覚悟でスジャク公がそんな決断をすると。




 もしもそうなった場合、自分はそれが来るまで戦い続けなければならない。

 勝てなくても、どれだけ打ちのめされようとも、自分が立ち上がり続ける間は捕らえられた仲間の命は助かるはず。

 耐えて、堪えて、決して諦めずに向かい続ける。例え万が一、億が一もチャンスがなかろうが……遥か彼方の果てにしか希望がなかったとしても、だ。


 刀を握り直し、切っ先を巨大な妖花へと向ける。



「まだまだ……俺はやれる。行くぞ、ドリュアデス!」

「ええ。そうでなくっちゃ、もっともっと楽しませて頂戴!」




 多分、いや……確実に俺は助からない。

 多種多様な植物操作、さらにそれを蔦の髪を解さない自在性。

 鬼の鋭敏な五感を逆手に取った知略。


 そもそも触手の馬力と操作ですら、今までと桁違いのレベルを誇っている。



 もう出来ることは、みっともなく……駄々をこねるように戦うことだけだった。フィルミナを、アランさんを、レベッカを助けようと足搔く。

 ジャンナを逃がすために注意を引き続ける。


 そのためだけに戦う。

 死への旅路でしかなかったとしても——。











 ……どれだけ、時間を稼げた?

 何時間……いや、何十分かだろうか?


 すでに全身の感覚もないはず、なのに指先や足先は不思議と冷たく感じる。叩き伏せられたのは何度目か、地面を転がされたのは幾度目か、とにかく数えるのが馬鹿らしくなるくらいだ。


 それでも、立ち上がらなきゃ……

 肘を立て、起き上がろうとするが動かない。身をよじることすら出来なくなってきている。ただひたすらに地に臥せることしか許されない。



「……お終い、かしらね」

 視界の外、遥か上の方から妖花の声が聞こえてくる。「まだだ、まだやれる!」と言いたいが、碌に喋ることも難しい。

 薄暗い視界、冷たく忍び寄る喪失感、深い眠気……あ、同じだ。

 生まれた村の外れ、そこの森で魔獣——グレンデル——に払いのけられた時を思い出した。状況も、そこそこに似ている気がする。

 あの時は邪魔だから払い除けられた。今は……憂さ晴らしで弄ばれるついでに殺される。


 ふっ、と自嘲めいた笑みだけが浮かんだ……ような気がする。


「さて、じゃあ健闘を称えて……私の養分にしてあげる」

 ドリュアデスの言葉と同時、数本の触手がゆっくりと迫ってくる気配を感じた。それでも、動けない。声すら出せない。



 結局、こうなったか。

 強くなった、と思っていた。いや、フィルミナの指導にアランさん達との訓練で、間違いなく強くなっていた。それでも、ふたを開けてみればこの様だ。

 アランさんは捕らえられ、逆転の目を作ってくれたレベッカは刺され、何より——絶対に守ってそばにいたいと願ったフィルミナ。


 あの時……俺が間抜けに気を抜いたことを咎めようとしてくれたのだろう。蔦でがんじがらめにされていながらも、『まだ終わっておらぬ!』と。

 そしてその後、ドリュアデスの本体が現れた後も行動しようとしたはずだ。だからこそ、ドリュアデスは彼女の首を折ったのだ。


 間抜けで、弱っちいままの、俺のせいで。

 けど、ジャンナ……彼女だけでも、逃げられただろうか?


 それが出来ていたなら、せめてグレンデルの時よりかはマシになっている……そう思えるんだけどな。


 ふっ、と目を閉じる。

 暗くて深い闇に包まれながら、迫る触手の気配だけがあった。






「ぅう、ああああああああああああああああああ!」






 それだけのはずだった。

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