鬼が目を覚まし、

 ……どこだ? ここ。

 初めに出てきた感想がそれだった。暗くて見えない場所、前後左右に黒が続いている。


 その先、かすかに見えたものがあった。



 ……!



 駆け出す、大切な人たちだったから。

 そして呼びかける。



『アランさん! レベッカ! ジャンナ!』



 振り向いた人たちの、瞳と表情には見覚えがあった。



『お前……何で生きていられるんだ?』

『え、人間……でしょうか?』

『いやいや、有り得ないっす』



 は……なんで……?


 ふと気が付くと、右側が欠けていた。

 黒の四方よりもなお暗く、墨を深く深く塗ったような漆黒。


 そして……気が付く。

 右腕がない。



『うわっ……』

 誰か……三人のうちの誰か、または三人全員の声が届く




『化物だ』








 ……!

 目に写ったのは、白塗りの天井。

 当然ながら、見慣れないそこには誰もいなかった。


 夢?


 そう思っても、不愉快を極めたかのような鼓動は止まない。呼吸も荒くなっているし、全身に嫌な汗もかいている。

 少しずつ呼吸を整えながら、上体を起こすが……



 ここは、どこだ?



 また見覚えのない場所だった。

 白を基調とした簡素な空間、床に天井にシーツも白で統一されている。自分のいるベッド脇に簡単な棚、その上には水差し……病室か?

 室内とは反対に窓の方に目を向けると、白い薄手のカーテンが風に煽られて軽く踊っている。その隙間から差してくる日差しは強すぎず弱くもなく、陽の微笑みのようだった。


 次に自分の身体に目を落とす。

 白い薄手の患者着を着ていた。村の小さな治療院で何回か見た気がするが、自分で着たのは初めてだ。

 入院なんて、したことなかったしな……入院?

 頭に浮かんだ単語のまま、自分の右手を前に持ってきて眺めてみる。



 あったのは、自分の右腕。

 ちょっと細いかもしれないが適度に筋肉が付いた、見慣れた腕。

 軽く動かして、捻って、力を込めて、手を開いて閉じて……傷一つない。



 さらに気付いた。

 そのまま右手で顔の半分を覆うようにすると……視界の半分が削れる、手を退けると、また視界が戻る。

 右目だけ瞼を閉じてみると、視界の半分が削れる。開くと視界が戻る。



 なんだ? どうなっているんだ?

 自分は確かに、ワームに噛みつかれて……右腕と右目を食われたはずだ。そうだ、フィルミナとジャンナを庇って……本当に助けられたのか?


 最悪の想像が頭をよぎる。


 もしかして、俺は助けられなかったのか?

 あれは俺の現実逃避が見せた幻?


 二人を……大切な人たちを目の前で守れなかった俺が作り出した……幻覚?




 身体が動いた。

 そして……ベッドから飛び出したところで、脚に何かを引っ掛けて、思いっきり転んだ。


「どえっ!」


 床と熱烈に衝突したと同時、引っ掛けた何か——折り畳み式のパイプ椅子——も派手に転がっていく。

 静かだった病室に自分と椅子が騒音を響かせた。


「いっったぁぁぁぁぁ……」

 スっ転んだのもそうだが、丁度脛の部分に椅子が当たったので恐ろしく痛い。自然と目に涙が滲んできてしまう。

 「お前はワームの突撃や噛みつきだって我慢しただろ!」と言われるかもしれないが、こういう地味な痛みはまた違うと思う。


 いや、そんな場合じゃない! 這ってでも進んで……



 バンッ、と目指そうとしていた扉が吹き飛ぶように開いた。



 そこにいたのは白衣を纏った戦士……いや、女戦士さんだった。

 褐色の肌に焦げ茶色の髪、年齢も体格もアランさんとほとんど変わらない……と思う。白衣の上からでも、しっかりと筋肉の鎧があるとわかる。

 何よりも強張った表情、まさに戦闘準備が完了した戦士の面持ちでこちらを見ている。


「気が付いたみたいでよかったよ、お兄さん」

 そう言うと、ふっと表情から緊張が抜けた。

 緊張が取れると、瞳にはしっかりと優しい光が灯っている。ちょっと強面だが、目で優しさが分かるあたりアランさんを思い出した。


 女性がつかつかとこちらに歩み寄り……


「……よっと!」

 ひょい、と軽く抱きかかえられた。


 えぇ……嘘だろ?

 まるで人型のぬいぐるみでも抱っこしたかのように軽く持ち上げられた。ちょっと細身とは言え上背はあるし、そんな軽く上げられるような体重じゃないと思うんだけどな?

 しかも、持ち上げられるときに何の負担も不自由もなかった。


「ほら、横になるかい?」

 はっと意識を戻すと、すでにベッドの端に腰を掛けるように降ろされていた。


「あ、いえ、このままで大丈夫です」

 こちらの言葉に「そうかい」と返した後、じっと目を見つめてくる女傑。その褐色の瞳に自分が写っている。


「……うん、自分の名前は言えるかい?」

「はい、セスと申します。セス・バールゼブルです」

「年は?」

「17歳です」

「どこか痛い所とか、異常はあるかい?」

「えっと……椅子にぶつけた脛とか、転んでぶつけた腹とかが痛いです」


 機械的な問答、だったが最後の答えに女傑が目を丸くすると……軽く喉を鳴らして笑った。


「いや、あんた大物だね。あんな重傷で運ばれたってのに……ぶつけたところとはね……」

 喉を鳴らして笑いながら言った女傑の言葉、たしかに言った。


「今、重症って……」

「ああ、酷いもんだったよあんた。右腕が繋がっているのが奇跡……というか、右目が治っているのは魔法かなんかかい?」


 右腕と右目……じゃあ!


「あの、フィルミナとジャンナは無事だったんでしょうか?」

 そうだ、そのために自分は最後の力で駆け出したんだ。


「あんた……成程ね、お嬢さんが言った通りみたいだ」

 女傑が額に手を当て、「やれやれ」と言わんばかりの反応を見せる。




「言った通りであろう? デビー殿」




 聞き慣れた、女の子の声が聞こえてきた。

 静かに澄んでいる、だけどしっかりと届いて心に浸透するような声。


「ああ、このお兄さんは『危うい』ね」

 そう言って女傑——デビーと呼ばれた女性——が立ち上がって、身体をずらすと……開いた扉の向こうに、彼女がいた。


 夜空を切り取った黒い髪、雪を溶かしこんだような白い肌、宝石すら霞む真紅の瞳、僅か10歳程度の少女。

 フィルミナが、そこにいた。


「セス様!」

「セスっち!」


 さらにフィルミナの後ろ、二人の女性もいる。


 ふんわりとしたショートカットの赤髪、クリッとした丸い目に収まる青空の瞳、しなやかなラインを描く体躯。

 レベッカ・キャンベル。


 明灰色の緩い三つ編み、眼鏡の奥も同じ色で若干垂れ気味の目元、レベッカよりも小柄だけど、凹凸は勝っている。

 ジャンナ・エヴリー。


 良かった、二人とも大丈夫みたいだ。

 ……アランさんは?



「……アラン殿なら、今回の事件やら今後のことで出ておるだけじゃ」



 溜息交じりにフィルミナが補足してくれる。

 多分だけど、俺の表情を読み取ったんだろう。



「みんな……無事だったんだ。良かった……本当に……」



「たわけ」



 安堵による全身の脱力感、それを打ち切るかのようにフィルミナが言い放った。その勢いのまま、こちらにツカツカとしっかりと歩んでくる。

 ベッドに腰掛ける自分、その目の前に立ちふさがる様にフィルミナが仁王立ちした。子供の体躯のせいで、それでも自分の目線の方が高いが……まるで意味を成さない。


 怒っている、滅茶苦茶に怒っている。


 妖艶さと幼さを自然に同居させた美貌、それにしっかりとした憤怒が込められていた。もはや身長差や体格差など関係ない、怒気を向けられたこちらがそう覚悟するくらいの怒りだ。



 まあ……当然か。

 任せられたくせに、あんな無様を晒したのだ。

 顔向けできな……!



 思考が両頬の痛みで中断された。

 どこか、懐かしい痛み。


 向かい合っていた憤怒の形相——それすらも芸術と思える——が、こちらの顔に近づいている。そして彼女の華奢な手が思いっきりこちらの頬をつねり上げている!


「この……大馬鹿者め!」

 真紅の、射抜くような瞳に捉えられたままに罵倒された。



「貴様……貴様は、あんな目に遭っておきながら! 何故、儂らのほうを心配しておるのじゃ!」


 何故……って、だって……無事かどうか、不安だった……から?

 頬の痛みが続く中、問いかけに対しての疑問が浮かんでくる。


「ああ、分かっておるわ! 貴様は必要と思えば、自分の魂すら切り売りするような阿呆じゃということはな!」


 そこまでは……あ、いや、やっぱりするかも。

 湿原で最後に見たフィルミナとジャンナの状況を思い出し、助けられるなら売るだろうな……と思った。

 真紅の瞳に、ついに涙が浮かび始めてくる。


「それが、それで儂らがどれだけ心配したと思っておる! どれだけ……」


 あ……零れた。

 宝石のような紅い瞳から、涙の滴が落ちた。


 それと同時、フィルミナが消えたかと思うと自分の頭に衝撃と鈍い音が走った。



 ……え、な……な、に?



 ゴッ、という音と同時に揺れた頭を軽く振って視界を戻すと……涙目のまま、怒りを微塵も隠そうとしないフィルミナが、おでこを赤くして睨み付けていた。


 あー……頭突き、されたのか。



「ちょ、ちょっとお嬢さん、あんまり無茶するんじゃないよ?」

 横から聞こえてきた女傑こと、デビー医師の声が届いた。


 出来れば、頭突き前に止めて欲しかったんですが……しかも、抓った頬を引っ張って寄せられたのだろう。

 そちらもまた痛い。



「ふん! まあ良いわ! 儂からはこのくらいにしておいてやろう!」

 そう言うと同時に頬が痛みから解放され、目の前にあったフィルミナの顔が離れた。

 あ、なんとか許され……『儂からは』?


「心配しておったのは儂だけではない」

 視線を辿ると……


「セス様ぁ……」

「せ、せ、セスっちぃ……」


 フィルミナの後ろ、そこにはレベッカとジャンナが居た。

 それぞれ空色の瞳と明灰色の瞳に、零れ落ちないのが不思議な程に涙が溜まっている。


 ああ、二人も心配してくれてたんだ。

 けど……この二人……怒るというか……いや、不味いぞ。



「……お主のような奴はな、自分のことには滅法鈍いが、他人のことには人一倍敏感じゃ」



 フィルミナの、死刑宣告のような声が届いた。

 あれ? 思考を読まれたかな? と思うくらいに次の言葉が怖くなる。



「よってな、怒られるよりも何よりも……自分のことで泣かれたりするのが、一番効くであろう?」



 そして……事実上の処刑が下された。



 自分の性格を己よりも把握したかのような言葉。

 確かに、自分がどうにかなるよりも自分のことで大切な人が悲しむ方が辛い。


 昔、帰って来ないカリーナを探しに行った時のことを思い出した。

 あの時もテオドール先生に人前でしっかりと叱られた後、家に帰って二人っきりになると「無事でよかった……」と抱きしめられて泣かれたのだ。

 大切な人を悲しませた……何より、いつも優しくて頼りがいがあったテオドール先生が、自分のせいで泣いてしまった。

 それが、ひたすらに辛かった。



「セスざまぁあああああああああああ! よ、よがったですぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 号泣しつつ、こちらに駆けよって手を取ってくれた。

「うおっ、その……ごめん、心配かけちゃって……」



 結局、耐えられなくなって自分も泣いてしまったのだが……



「ほ、ほ、ほんどっずよぉ! せっがぐ仲良くなった、のにぃ……目の前で……怖かったっすよぉ!」

 その場にへたり込んで、大粒の涙を零し始めた。

「うん、本当に心配かけて……ごめん」



 ついに二人が決壊した。



 あ、これは……あの時と同じだ。

 喉が苦しくて、目頭が熱くて、胸が痛くてどうしようもない。






 ちなみにこの後アランさんにも、「セス! お、お前……よかったじゃねぇかぁぁぁぁぁ!」と、号泣と共に抱き着かれた。


 四人全員が泣いた理由は……五日も目を覚まさなかったのもあるらしい。


 フィルミナは泣きながらの抓りと頭突き。

 レベッカは手を取って泣いてくれた。

 ジャンナはその場にへたり込んで涙を流し続けた。


 せっかくなら、三人の内の誰かに抱き着いて欲しかったな……

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