女医と冒険者達と鬼の姫

『すまんが、儂とセスを治療院に運んで欲しいのじゃ。場所は……お主が治療を受けておる、信頼できるところがいいのう』

 その言葉を最後に、糸が切れるように華奢な身体が崩れていった。


 もう訳が分からねぇが、やれることは分かってる。

 一刻も早く治療院に行って……セスとフィルミナ嬢ちゃんを診てもらうことだ。








 俺にとっては見慣れた待合室……を模した民家の一室、そこに俺と弟子たちはひたすらに待っていた。

 赤毛の処刑人の二つ名をとるレベッカは、さっきからずっと部屋の中をあっちにこっちに彷徨い続ける。

 紫煙の魔女の二つ名をとるジャンナは、俺と同じように椅子に座っているが落ち着かないようだ。時計と床を交互に見比べている。


 ポルシュ湿原で戦い終わってから、何時間たった?

 そこからここに駆け込んで、どれだけたった?


 何より、ここの医者がセスを治療室に入れてから……



 ガチャ、という音と共に入り口と反対にある扉が開いた。



「……待たせたね」

 そこから出てきたのは、いつ見ても『女傑』としか表現できない医者だった。

 浅黒い肌にそれよりも濃い焦げ茶色の髪、医療着の上からはっきりとわかる鍛えぬかれた大柄な身体、何より身長が……俺と同じくらいありやがる。

 つまり、2m近いってことだ。


 その心の声に応えるかのように、戸口に頭をぶつけないように潜って待合室に入り込んできた。



「先生! セス様は……フィルミナは……!」

「た、助かるんすよね? 二人とも平気っすよね?」


 待合室に入り込むや否やレベッカとジャンナに囲まれるが……


「あーあー、今話してやるから座りな。お姉さん方」

 たっぷりとした長身から、それに負けない大きな手で二人の頭をポンポン、とあやすように軽く叩く。


 医者は医者、こういった対応にもしっかりと慣れてやがる。


 促されるまま、レベッカとジャンナが待合室のソファ——俺の両隣——に座る。その対面に持ってきた椅子に、どかっと腰を掛ける医者ことデビー・アーキン。

 椅子の悲鳴も俺達の視線も構わず、懐から出した煙草をくわえてマッチで火を付ける。今時、わざわざマッチを使うこだわりは変わらねぇな。


 たっぷりと紫煙を吐いて一言、

「お嬢さんの方は、極度の疲労と魔力の枯渇だよ。休ませてれば目を覚ますさ」

 そう聞いても、緊張は解けねえ。

 俺も隣のレベッカとジャンナも同じだ。



「お兄さんの方は、出来る限りの手は尽くしたよ。けど、覚悟だけはしておくべきさ」



 胸の中に、かすかに空虚が広がる気がした。

 また……なのか? 俺はまた、大事な仲間を失くしちまうのか?



 俺の体に勘付いても、信じて背中を見せてくれたあいつを……



「……普通なら、そう言って奇跡を信じるところなんだけどね」

 だが、次に続いた言葉で空虚が止まる。


「そりゃあ……どういうことだ? デビー」


 また一服、天へと豪快に紫煙を吐いてからこちらの質問に答える。


「こっちが聞きたいくらいさ。あのお兄さんは何者だい? あんたの体を初めて治療したときもびっくりしたけど……あんなのは見たことないよ」

 レベッカとジャンナが俺とデビーを戸惑いながら見比べる。二人とも「えっ? えっ?」とか「うん?」とか意味のない声を出すしかねえか。



 当然だ、俺の体のことは二人にもまだ伝えてなかったからな。



「あら? まだ言ってなかったのかい。まあ、許しなよ」

 ヘラヘラと何でもないことのように笑って、また一服。


 「軽くねぇか? このアマ……」とは思うが俺はこいつに頭が上がらねえ。治療もそうだが、幼いレベッカとジャンナの面倒を見てくれた一人がこいつだからだ。

 まあ、ブレンダとの二人三脚ではあったのだが……


「いずれ言わなきゃいけないことだろ? いいチャンスだったと思いなよ」

 正論、だけに腹が立つが怒っても仕方ねえか。


「それより、あいつ……セスが何だってんだ?」

「ああ、そうさ。そのセスってお兄さんね、もう安定したよ。傷もどんどん治っていっている」

 そりゃ確かに驚きだろうが……



「ひしゃげた右腕も、潰れた右目も、明日の朝には完治さ」



「……はぁ?」

 反射で声が出た。



「ああ、いつ目を覚ますかはわからないよ。けどね、怪我だけなら明日には完治している勢いさ。義眼もいらないよ」


「……おいおい、それマジなのか?」


「至ってマジさ。一か八か、身体が耐えられる方に賭けて、右腕切断も視野に入れてたんだけどね……もう回復じゃなくて再生だね、ありゃ」

 デビーが一服の後、焦げ茶色の髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。


「……え、えっと、その、それは……」

 ここまで沈黙を守っていた一人、ジャンナが口を開くが上手く言葉に出来ないらしい。

 軽く首を動かして見てみる。眼鏡のフレームで見えないが、目は点になっているだろうな。



「た、助かるってことでしょうか!」



 反対側の隣から、大きな声と共に飛び出したレベッカに、さしものデビーも目を丸くしてやがる。

 こいつのこんな表情を見れるとはな。


「……あ、ああ、そういうこと、だね。治療してる最中から治り続けてたしね」

 どうにか平静を装って答えるデビーだが、しっかりと驚いてやがるな。煙草が口から落ちてったぞ。



「……良かった、セス様……本当に……ありがとうございます。デビー医師……」

 どうにかそれだけ伝え、今度は一転、崩れて嗚咽だけが響いてくる。こっちからじゃ震える背中しか見えねぇが、大粒の涙を零しているんだろう。



 そうか……そうだな、あいつがどうであろうと助かったんだ。

 何よりじゃねぇか。



「あたしは普通の治療しか出来なかったよ。あのお兄さん自体の力さ」

 デビーが再び懐から煙草を出し、火を付ける。


「あ、あの、治るってことは……失明とか、後遺症とかもないっすか?」

 今度はジャンナが恐る恐るといった具合に尋ねた。


 たしかに……助かって何よりだが、その心配もあるか。


「……多分だけど、心配はないよ。綺麗に治っていってるからね」

 紫煙を吐きつつ、「ま、退院したら機能訓練と視力検査くらいは受けさせな」と付け加える。


「良かったっす……セスっち……」

 ついにジャンナも糸が切れたか、眼鏡の奥にある瞳から涙がこぼれだした。



 助かったことに純粋に喜ぶ、か。

 そうだな、お前らが二人ともそう育ってくれて……俺は……



「で、こっちの質問さ。あのお兄さんは何者なんだい? 長いこと医者やってるけど、あんな生命力と回復力は見たことないよ」




「それは、セスが目を覚ましてからにしてくれんかのう?」




俺が「何者……と言われても、俺たちにとって大切な仲間ってことくらいしかわからねえよ」と答える前に、二階へ続く階段の方から声がした。

 トン、トン、と小気味よく階段を下りてくる音と同時に、声の主が正体を現す。


 小っこい身体に長い黒髪、宝石みてえな赤い瞳。

 今は黒のワンピースではなく、白い患者着を着ている。


「フィルミナ……嬢ちゃん」


「お互い、色々と話さねばならんことがある。しかし、セスの意識が戻ってからが筋じゃろう?」

 階段を下り終え、待合室に降りた嬢ちゃんだが……


「フィルミナ! 無理をしないで下さい!」

「そうっすよ! 顔色、酷いっすよ!」


 そう。泣いていたレベッカとジャンナが即座に駆け寄るほど、嬢ちゃんの顔は青白い。普段は単純に美白という感じだが、今は心配になる土気色だ。

 よく見りゃ、額に脂汗も浮かんでいる。


「……なに、少しばかり疲れを誤魔化せておらんだけじゃ」

「いや、それ駄目ってことっすよね!?」


 よくわからない強がりをするフィルミナ嬢ちゃんを、レベッカとジャンナが両脇から支えている。


「お嬢さん、疲労だろうと馬鹿には出来ないんだよ? 特に今は魔力も枯渇しているだろう? 衰弱死ってわかるかい?」

 病人が勝手に病室を抜け出したこともあるのか、デビーが毅然とした声で注意をする。そして、しっかりと煙草を消す当たりは流石か。


「大人しくベッドで休んでいなさい」

「無論じゃ。治療して頂いた医師の言じゃ、従おう。ただし……二つ、頼みごとがあるのじゃ」

「言っとくけど、単純に気になっただけで、あのお兄さんのことを言いふらしたりはしないよ?」


 そこは信用できる。

 というか、俺自身で実証済みだ。未だにレベッカとジャンナにも俺の体のことは……ついさっきまでは、知られていなかった。

 口が堅く、優秀な腕を持つ個人医デビー・アーキンは信用できる。特に、今回のセスのことでは。


「それは……助かるのう。では、もう一つじゃ」

 フィルミナ嬢ちゃんの額から伝わった汗が、顎に伝わり遂に床に落ちた。息も肩でするようになってきてやがる。


「お、おい、後にし「引っ込んでな、デカブツ」

 「お前もでけぇだろうが!」と言い返す隙も無いくらいに、ぴしゃりと会話から締め出されてしまった。


「言ってごらんよ」


 すぅ、と息を整えてから、フィルミナ嬢ちゃんが口を開いた。




「これは、ここにいる皆への頼みじゃが……セスを、あやつ自身として見てやって欲しい」




 なんだ……そりゃ?


「恐らく、皆すでに知っておるだろうが……セスの身体は少し特別じゃ。普通では死ぬような重症でも……今回の怪我でも、治ってきておるであろう?」


「怖かったであろうか? 気味が悪かったであろうか? しかし……それとあやつの人柄は何の関係もない」


「何よりも……あやつがそうなったのは、全て儂のせいじゃ。あやつに責はない」


「故に……『化物』と、蔑むなら……セスではなく、儂をそうして欲しい」



 待合室が、シン……と静まり返った。


「……ふさけるんじゃないよ」

 沈黙を破ったのはデビーだった。こいつがここまで目を吊り上げることは、滅多にねぇ。なんか全身から怒気を漲らせてやがる。

 ガタッ、と乱暴に椅子から立ち上がりフィルミナ嬢ちゃんに向かっていった。


「いいかい、お嬢さん? ここに運び込まれて金払った以上、あんたもあのお兄さんもあたしの『患者』なんだよ。それを『化物』?」

 そのまま嬢ちゃんに近づき、ついに向き合う形になる。

 フィルミナ嬢ちゃんは当たり前だが、傍で支えているレベッカとジャンナですら、一際小さく見えるな。


「ふざけるんじゃないよ。そんなことほざくカスは、消毒液ぶっかけて殴り飛ばすだけさ。わかったかい?」


「……感謝、する」


 軽く笑顔を見せると同時、赤い瞳が瞼に閉ざされ……


「! フィルミナ!」

「うおっと! 無理し過ぎっすよ!」


 意識を手放したフィルミナを二人が支える。


「ほら、お姉さん方も帰って休みな。あたしの治療が要るような怪我はないだろ?」

 そう言いつつ、二人からフィルミナを受け取り抱きかかえる。すっぽりと収まるように、シーツの塊でもあるかのように軽く抱っこしてやがる。

 こう、改めて見ると……本当にすげえ体格差だな。


「この子の面倒もこっちで見るよ。アラン、あんたはお姉さん方を送って、その他めんどくさい報告とかを全部片づけときな」

 しっかりと俺をこき使うことを忘れずに、フィルミナ嬢ちゃんと共に階段を上がっていく。


「おい、待てよ。デビー」

「……なんだい? このお嬢さんを早く休ませてやりたいんだけど?」

 階段を登る脚を止め、うっとおしさを微塵も隠さない表情を向けてくるデビー。


「まだ金を払ってねぇけど、その二人は『患者』でいいのか?」

「……あっちのお兄さんが起きたら、色々と聞けるんだろ? それで勘弁してやるさ」

 ぶっきらぼうにそう言い捨て、階段を登ろうとした。

 さっき蚊帳の外に押しやられ、挙句に面倒事を押し付けられた復讐をしてやる。


「セスが、嫌がったらどうすんだ?」


 階段を登りかけていた、足が止まる。


「そん時は……初回サービスってことにしといてやるよ。下らないこと言ってないで、とっとと帰りな」

 今度は足を止めず、さっさと二階へ上がっていき見えなくなっちまった。


 デビー・アーキン。

 個人で診療所を開き、必要とあらば各地に直接赴く個人医。

 それだけに金には結構うるさいはずだが……まあ、なんだかんだ情に弱いのだ。それ以上に、セスみたいな特殊な案件に飢えているというのもあるか。

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