鬼の姫が見た夢 前編

「フィルミナ、一緒に遊びに行かない?」

 その言葉に読んでいた新聞から目を離す。


 笑顔で話しかけてきたのは儂の眷属、セス・バールゼブルであった。

 純白の髪、真紅の瞳、優しげな眼もとで整っている、しかしどこか愁然とした雰囲気を感じる顔立ちである。

 いや、そうなったのは儂のせいか。


 思わず何も言えずにおると……

「本や新聞を読んで勉強してばかりだろ? せっかくの湖畔の街だし、気分転換にどうかな?」

 相も変わらず笑顔、だがどこか断らせないような圧がある。


「構わぬが……その、儂は金が……」

「任せて、昨日ちゃんと日給を貰ってきたから。俺が奢るよ」

 セスが見せてきた封筒、それを見て思い出す。


 そう言えば……グレン殿の紹介で仕事を見つけておったな。しかし、儂はまだ稼ぐ手段を見つけておらん。そんな身で……

「眷属の頼み、聞いてくれないかな?」

 痛いところを突いてくるのう……

「……うむ、偶にはよかろう」

 儂がそう言うと、眷属――セス――が一層、笑顔を輝かせた。











 天候は晴天、適度な暖気に包まれた絶好の行楽日和であった。

「……これは、栄えておるのう」

 セスに連れられ、街の観光通りに着いた儂はその光景に圧倒された。


 通りはレンガでしっかりと舗装され、両側に店が立ち並んでいる。建物だけではなく、移動ができる屋台もそこかしこにある。そこで食べ物や装飾、服飾と問わずに様々なものが売買されていた。

 何よりも……そこを行き交うたくさんの人、溢れかえるばかりに賑わっておる。



「観光街とは聞いておったが……これほどとは……」

「これでも景観や自然に配慮して、控えめにしているほうだよ」

 セスが信じられぬことを言う。


「それは本当か?」

「ああ、街を開発して建物と通りをもっと大きく出来るし、船着き場も拡大すれば物も人ももっと増える。だけど、それじゃあ湖畔の自然を活かせないから、これくらいに留めているんだ」

 人の進歩……いや、儂の時代から何百年たったがわからぬが、それは凄まじいものがある。龍や鬼、不死者よりも非力で寿命が短い。だからこそ、こうして世代を超えて進歩していくのかもしれぬ。

 それを愛しい、とよく言っていた『龍帝』を思い出す。



「はい、お手をどうぞ。『フィルミナ姫様』」

 セスが、手を伸ばしていた。



「今は見た目通りなのでしょう? お怪我をなさらぬように」

 なんともわざとらしく、多少芝居がかった言葉でセスがそう言う。しかし嫌味にならぬ抑揚である。何より、照れくさそうな笑顔が良い。

 よかろう、そもそもこれは他ならぬお主の……眷属の誘いじゃ。

「……よい、許す」

 差し出された手を取り、儂も乗ってやる。



 お互い、どちらからともなく軽く笑って、人込みへと歩んでいく。






「セスよ、あれはなんじゃ?」

「新聞売りだね。契約している人以外に、その時だけ欲しい時にはあそこで新聞を買うんだ。号外とかにも対応してるよ」


「あれは、あの止まっておる者は何をしておる?」

「パントマイマーっていう芸人さん。ああして時間が止まっているみたいに演技しているんだ」


「あれは? 子供が何か貰っておるぞ?」

「ああ、あれは……直接買った方がいいか」

 ここには儂が見たことないもの、まったく知らんものが溢れておる。人がそれだけ平和な生活をしているということじゃろう。

 何より、それだけの多様性を持つくらいに人が増えて栄えているということ。


 優しく手を引かれ、目の前に来た荷車も同じ。

 カラフルな装飾、大きな四角い箱を搭載しておるが……何がどうなっているのか全くわからん。

 荷車の装飾に合わせた制服を着た人もおるが、この者が何をするのかもわからん。



「いらっしゃい! ご注文はお決まりで?」

 制服を着た男……髭の生えた男が言う。

 何か物を売っておるのか? さっき子供が貰っていたものか?


「えーと、リンゴ二つお願いします」

 セスがそう言って金を払う。

「はい、毎度ありがとう!」

 林檎?

 林檎を売っておるのか? しかしそんなものを貰っておる子はおらんかったぞ?

 片手で持てる、何やら短剣か園芸用のシャベルの様な……


「はい、どうぞ!」

「ありがとうございます」

 思考に耽っていると、セスが『それ』を二つ受け取る。


「はい、落とさないようにね」

 セスから手渡された『それ』。

 上に薄い黄金色の円錐、ベージュの持ち手は軽いが脆い。強く握れば割れてしまうじゃろう。甘い……林檎の香りがする。そして冷たい。どちらも上にある円錐から。


「あっち、ベンチの方に行こうか」

 また優しく手を引かれ、開いていたベンチに隣合って腰を掛ける。

 歩く時も、ベンチに腰かける時も、手にある『それ』を落とさぬように、なるべく振動を与えぬように。


「これは『アイスクリーム』。お菓子だよ」

 お菓子? これがか? どうやって食べるのじゃ?

 確かに良い香りがするが……


「こうやって舐めたり……適度に口に含んだりして食べるんだ。甘くて冷たくて美味しいよ」

 ふむ、何とも奇妙な菓子のようじゃな。

 まあ、物は試しじゃ。


 セスがやったように、上にある円錐の部分を一舐め……


 なんじゃ! これは!


 口の中に広がる甘味と冷感、味わったことのない味覚!

 何より……甘味の中でもしっかりと、林檎の酸味を程よく感じることが出来る!


 言いようのない美味!



「……気に入ってくれてよかった」

 気が付くと、セスが柔らかく優しく、安堵の笑みでこちらを見ていた。


 不覚……つい、この『あいすくりーむ』とやらに夢中になってしまっていた。


「か、勘違いするでない。美味いのは認めよう。しかし、我を忘れていたわけでは……」

「ああ、早く食べないと溶けちゃうからね?」

 安堵の笑顔のまま、セスが促してくる。


 それはいかん。溶けて台無しになるのは御免じゃ。


「……俺も初めて食べた味だけど、美味しい」

「ふむ……これは『林檎』と言っておったな。他にも何かあるのかのう?」

「うん。バニラにイチゴ、チョコレートが代表的かな? 他にもその地域独特なものがあったりする」


 セスの何気ない答えに衝撃を受ける。

 これが……この冷たく甘い菓子が、それほどの種類に富んでおるのか!

 一体何をどうやっておるのじゃ?


 なにより……この晴天の下、どうやってこの氷雪の申し子のような菓子を、それだけの種類、あれだけの量を保持しておるのじゃ?


 今こうして儂らが腰かけて、『あいすくりーむ』を嗜んでいる時ですら、あの荷車の主人は子供や大人問わずに『あいすくりーむ』を取り出して売っておる。

 よく見れば、それぞれ色取り取りに富んでおる。


 あの荷車の四角い箱、あれに永久氷塊でも保管しておるのか?

 それとも……


「フィルミナ……本当に溶けるよ?」

 セスの言葉にはっとして見ると、薄い黄金色の円錐が崩れてきている。

 少しでもその美味を逃さぬため、今は味覚にのみ集中することにした。

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