続く平穏は偽りでも 前編

「おーい、セス君。そろそろ上がっていいぞ!」

「はーい!」

 聞きなれてきた古株の呼びかけに返事をする。

 たしかにもう15時に近い、早朝から働き始めている自分は上がる頃だろう。


 ここ、『湖畔の町アモル』に着いて二週間。


 あの後グレンさんの紹介で、日雇いの仕事に従事することが出来たのだ。

 レーベ湖の船着き場での荷下ろし、それが今の仕事だった。


「おう、セス君お疲れ。あとは変わるからな」

「はい、お疲れ様でした。引継ぎをお願いします」


 古株の人に挨拶をしてから、自分の作業の進捗を伝える。


「……ホント、見かけより体力も腕力もあるよな。セス君」

 こちらの報告を聞いて感心した声を上げた古株の男の人に対し、

「あはは、よく言われます」

 と曖昧に笑って誤魔化しておく。


 もちろん、素の自分の力だけではない。

 吸血鬼としての腕力と体力、さらに恩恵によって『疲労』、『消耗』、『荷物からの負荷』まで『半減』しているのだ。

 そのおかげで、常識では考えられない速さで荷運びを終わらせることができる。


 無論、それを馬鹿正直に報告していない。

 早くに終わらせ、空いた時間に操血術や武術の復習をし、不自然じゃないタイミングで仕事の報告をする。


 まさに一石二鳥。

 これなら時間を無駄にせず修練を積み、周りからも異常と悟られることもない。



「親方、今日もお疲れ様でした」

 事務所で筋骨隆々とした、湖というよりは海の男、という印象を受ける親方に挨拶をする。


「おお、ご苦労さん。ほら、今日の分だ」

「ありがとうございます」

 きちんと一礼をしてから、今日の報酬を受け取る。

 日給25000センズ、早朝割増を含めた分の日給だ。


「ちょっと色を付けてある、美味い物でも食いな」

「それは嬉しいですが……けど、その……」

 事務所を見回す。

 最低限の広さの空間、壁際に資料棚、そして各々が机をくっつけて仕事をしている。当然、他の事務員や労働者に全部聞こえているわけで……


「ああ、安心しろ。俺ら全員からちょっとずつ出した。お前の働きぶりだから誰も文句言わなかったさ!」

 そう言って親方が快活な笑みを見せてくれた。


「貰っとけ、お前は他の作業も手伝ってくれるじゃねぇか」

「そうよ。みんなからの気持ち、受け取ってちょうだいな」

「セスが来てみんな助かってんだぞ!」

 他のみんなも笑顔で返してくれている。


「……はい、ありがたくいただきます」

 胸の奥に暖かい物が湧いてくる気がした。











「うむ、今日も精勤であった様じゃな、セスよ」

「今日もお疲れ様、セス君」

 フィルミナとロレンタさん、二人が今日も迎えに来て労ってくれる。

 ロレンタさんは言うまでもないが、今はフィルミナも出会った時と違う服を着ている。えんじ色のリボンタイが付いた白シャツに紺のロングスカート、どこから見てもそこらにいる町の女の子だ。

 ただし、『とびっきりの美少女』ということを除けばだが。

 子供とは言え、彼女の美貌は目を惹くようだ。何人かはすれ違う時に視線を奪われている。


「二人ともありがとう。で、フィルミナはまた本を買ったのか……」

 彼女が抱えている紙袋をみて、今日も書店に行ったと予想がついた。


「これは儂が自分で稼いだ金で買った物じゃ。勘違いするでないぞ?」

「それは流石に疑ってないけどさ……」

 そう、自分と同じようにフィルミナも路銀を稼いでいる。曰く……


『己の眷属にのみ働かせるなど姫の名折れ。儂も自分なりに出来ることをするのみよ』、とのことだ。


 その言葉通り、フィルミナは自分の書物と林檎の代金、宿泊費(グレンさんとロレンタさんが断ったので、勝手に二人で少しずつ積み立てている)を稼いでくるようになった。



「そうよ、フィルミナちゃんてば今日も快勝よ! 50戦43勝7敗、そのうち40勝は連勝だったんだから!」

 ロレンタさんが嬉しそうに報告してくれるが、こちらとしては正体を知っているので、嫌でも冷静に頭が働く。

 となると4000センズを稼いだのか……負けの7敗も全部計算の内だろう。



 ……無論、自身の特技を生かしてだ。

 趣味を活かして、賭博チェスで稼いでいる。



「ふむ、本に林檎、貯蓄に……十分じゃろう?」

 確かにその通りだ。


 賭博、というと語弊があるか。ゲームと言った方がいいだろう。


 ルールは単純。

『儂に挑戦するには一局100センズ支払ってもらおう。勝てばその100センズ含めてそれまで儂が積み立てた分を全部その勝者が貰う。ただし、儂が10連勝すればその時点で1000センズは儂の物。次からはまた100センズごと積み立てじゃ』

 そんなとこだ。


 ロレンタさんにチェスの集会場を案内してもらったかと思えば、こんなことをするとは……

 まあ、ひとえに彼女の実力とカリスマがあってこそ出来る物だ。

 初日から50連勝という記録を打ち立てられれば、ゲームの愛好家もその魂に火が付くというもの。多少のお小遣い程度なら、と挑みたくもなるのだろう。

 それを利用してしっかりと稼いでいる。


「子供のお小遣い程度でも、あんまり派手にやりすぎるなよ?」

「案ずるでない。儂とて勝敗の内容は考えて演出しておる。俗にいう、『エンターテイナー』じゃな」


 お互いだけに聞こえる声量で会話する。

 これももう慣れたことだ。

 集中した鬼の五感は人間の比ではない。



 言っておくが4000センズは子供のお小遣いにしては高額過ぎる。

 あくまで一局100センズが子供のお小遣いということだ。それにも関わらず、それだけの大金を稼げるのは彼女のチェスの腕前故だろう。



 チェスが趣味と聞いて自分も挑んでみたのだが……今でもはっきりと思い出せる。

 10戦2勝8敗したことを。



 たしかに今の定石や戦術を知らないフィルミナ相手に、2勝を挙げることが出来た。いや、どちらかというと研究のため、勝たせてもらったといった方がいい。


「うむ……さて、本腰を入れるとしようかのう」

 その言葉通り、その後の8戦はあっさりと彼女に負けた。

 しかも一局事に、どんどん実力が開いていくような負け方をしたのだ。あれ以上続けると、さらにこちらの黒星が増え続けていっただろう。


 テオドール先生の相手をし、そこそこの実力はあると思っていたが……まるで相手になっていなかった。大人と子供、いや、巨象と油虫くらいの差はあるということを嫌というほどに思い知らされたのだ。


 つくづく思う、彼女はいったい何なんだろうと。

 そう思う理由はチェスの腕だけじゃない。


 ここに来てから、彼女は貪欲にこの時代のことを学び始めた。

 今買ったという書物もそうだが、グレンさんに頼んで新聞もすべて……いや、出来うる限り遡って読破したのだ。

 この積極性と学習欲は凄まじい物がある。


 なにより、武術全般に対してだ。


 ここにきてから、毎晩彼女から武術指南を受けている。

 彼女から習っているのは『吸血鬼が作り上げた武術』である。


 曰く、

『お主が知る中で、短剣の振りかぶりから戦斧の断頭に、突撃槍の突きから斧槍の薙ぎ払いに、何の動作もなく変化させて戦う流派があるか? 操血術を組み合わせた武術とはそういうものじゃ』

 とのことだ。



 基本的な型や動き、それが相手にどう作用するか、自身がどう立ち回れるのか、すべて的確に指導してくれているのだ。

 そして習っているからこそ、わかる。フィルミナは武術に血の滲む様な努力を重ねていると。

 今は子供の体躯のため見せることはないが、彼女が実際にそれをやったとしたら、どれほど流麗で極めた武を見られるのか……


 『姫』がそこまで貪欲な知識欲を有した理由はなんだ?

 同じように武術を修練した理由はなんだ?

 王族としての英才教育……だけではない気がする。それにしては彼女の指導は実戦本意すぎる。


「さあ、あとは買い物を済ませてウチの旦那を迎えに行きましょう?」

 ロレンタさんが嬉しそうに提案する。

 そろそろグレンさんの遊覧船による、観光ガイドツアーも終わる頃だろう。

「はい」

「うむ……セスよ」


 フィルミナに呼びかけられ、彼女に視線を向けると手をこちらに差し伸べていた。

「はい、エスコートしますよ」

 差し伸べられた彼女の手、それをそっと取る。

「うむ、許す」

 そうして、どちらからともなく笑う。

 ここに来て、彼女と遊びにも出かけるようになった。小柄で華奢な彼女がはぐれないよう、こうして手を取るのもお馴染みになってきている。



「あらあら、素敵なお二人ね。私も早いところ相手を迎えに行かなくちゃ」

 もうこの流れも大分馴染んでいる。



 早朝から俺が働きに出て、ちょっと遅れてグレンさんが出る。

 その間、ロレンタさんはフィルミナを連れてチェスの集会場へ。

 フィルミナはチェスの対局を嗜み稼ぐ。

 俺の仕事が終わる頃に二人が迎えに来て、買い物をしてからグレンさんを三人で迎えて帰る。

 帰るとみんなで食卓を囲む。


 仕事が休みの日はフィルミナを連れ出して、手を取って街を歩き、ボートを借りて釣りをして……


 ……幸せだ、と素直に思う。

 たとえ偽りで、嘘を塗り固めて転がり込んだ身でも、そう感じてしまうほどに。

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