夜間教導
案内された部屋には、二つのベッドにクローゼットが用意されていた。ベッドサイドには水差しもあり、冷たい水が満たされている。
他には何やらフィルミナがロレンタさんから受け取っていたバスケットがあるが……中身は知らない。
元々来客用に用意していた部屋らしく、「軽く掃除すれば使えるわ」とすぐに使えるようにしてくれたのだ。
隣り合うベッドに腰掛け、フィルミナと向き合う。今はお互いに寝間着に着替えており、薄手で身軽な格好になっている。
寝間着といっても、彼女は大人サイズの半袖シャツにパーカーを羽織っているだけだ。俺はともかく彼女――少女用――の物はなかったので、仕方なしに大きめサイズで間に合わせている。
「さて、お主に『鬼』の力のことをもう少し伝えておこう。少し長くなるぞ」
「ああ、わかった」
ちょこん、と擬音が聞こえてきそうなほど小柄で可愛らしい容姿と裏腹に、雰囲気は真剣そのものだ。
こちらの気も引き締まる。
「お主もうすうす気付いておる通り、『鬼』は『人』に比べ頑丈じゃ。力と回復力も桁外れに強く五感も鋭い」
まあ、そうだろう。
グレンデルとの戦いを考えても、『半減』の恩恵だけでは説明がつかない。
あの巨獣にあれだけ叩かれて、それでも逆襲することが出来たのだ。今思い返しても、自分が潰れたトマトになっていないのが不思議だと思う。
「その分、エネルギーの消耗が激しいが……食事と睡眠で回復すればよい。『吸血』という手段もあるが、お勧めはせん」
食事……たしかにロレンタさんに申し訳ないほど料理を食べてしまった。
小食というわけではなかったが、自分は大食漢というほどでもない。要するに、普通の胃袋だったはずだ。
にもかかわらず、あれだけの量を平らげたのはこれまでの騒動による空腹……だけではなく、『鬼』になったことも関係していたらしい。
「しかし『吸血鬼』は、それだけではない」
他に何か特徴というか、特性があるのだろう。
一呼吸おいてフィルミナが続ける。
「吸血鬼としての力、『操血術』という特殊な能力がある」
そうけつじゅつ……
「想像がつくかと思うが、その名の通り『血を操る術』じゃ。これは実際にやってみた方が早いのう……お主、ナイフを持っておったじゃろ? 出してみるがよい」
言われたままに置いていた荷物からナイフを取ってきた。
相変わらず何の装飾もない、そこらの雑貨屋や刃物屋で見かけることが出来る物だ。
「うむ、やはりそれならちょうど良さそうじゃの。ナイフを置いて目を閉じるがよい」
さっきから言われた通りにだけ動く。
仕方ないとはいえ、自分が操り人形かなにかにでもなったかのように感じる。
「よいか? 魔物と戦った時、体が熱かったであろう? あれを思い出すのじゃ」
あの時の感覚……確かに戦った時どころか、追いかける時からどんどん熱くなったが……簡単にあの感覚が掴めるか?
その思いとは裏腹に、あっさりと熱を感じることができた。
「熱を感じたら次はイメージじゃ。その熱でさっきのナイフを作り出すようにすればよい」
確信があった。
その通りにすれば、『何か』をすることが出来る。
手応えを感じて目を開けると、自分の手にナイフが握られていた。
「優秀じゃな。それが『操血術』の基本となるものじゃ」
見慣れた簡素な形状、特に装飾もなく適当な店でいくらでも見れる物……ただし、刃の色は深い紅をしている。
「自身の血液と魔力で物質を精製する。感覚共々、覚えておくがよい」
「血液はとにかく、魔力も使っているのか……全然実感がないな」
基本魔力は、訓練なしに扱うのが難しいとされている。それをメインに扱う魔術師など、才能を持つ者が厳しい修練をこなさないと無理なのだ。
だがこれは一種の魔術と言ってもいいかもしれない。色以外、これが血液で作られているとは思えない。
「これ……ナイフ以外も作れるんだよな?」
こちらの問いにフィルミナが頷いた。
「当然じゃ、ただし注意せよ。複雑で大きいものほど、血液と魔力の消耗は多くなる」
「……じゃあ、蝙蝠とか生き物でも出来る?」
フィルミナが「ほう……」と呟く。
「気が付いたか」
フィルミナが右手を伸ばし、手の平を天井に向ける。するとその上に、黒い翼を持つ見覚えのある影が形成された。
見慣れた、一年以上も面倒を見てきた『吸血蝙蝠の子供』……
「キール……!」
やっぱり、という気持ちが半分。もう半分は、違っていて欲しかった、という思いがあった。
「こやつに関しては済まなかったのう。ただ、少しでも力が必要だったのじゃ。封印から目覚めかけていたが、魔力がほぼ空だったのでな」
「いや、今更だ。それに、一匹で残してきてないって知れてよかった」
そして今、もう一つ気になることが出来た。
「それ、俺も出来るようになるってことだよな?」
「無理じゃ」
え、今なんて言った?
あまりにもきっぱりとした否定に、思わず耳を疑う。
「同じ『操血術』でも、このように『生物』を作れるのは儂の固有能力じゃ。お主はおろか、他のどの吸血鬼にも出来ん」
こちらの反応を待たず、フィルミナが続けていく。
「『操血術』も使い続けていくと練度が上がっていくのじゃ。様々な応用を利かせ、基本の物質精製の錬磨を忘れず、修練を積み続けると自身の到達点が見えてくる」
一口に『操血術』と言っても、相当奥が深いらしい。これは自分自身が色々なことを学んで、試行錯誤を繰り返していくしかなさそうだ。
一度言葉を切り、息を整えてフィルミナが言う。
「それが儂の場合は、『生物の精製』だったわけじゃ」
「……じゃあ、俺にも到達点が、その固有の能力が別にあるのか」
「ま、そういうことじゃ」
フィルミナが満足そうに笑顔を浮かべて頷く。
妖艶と可憐の共演、それの均衡がわずかに崩れ、素直に『可愛い』と言うしかない表情に変わった。
やっぱり凄まじい美少女だと、改めて思い知らされる。
「さて、お主にはなるべく早くに『操血術』に慣れ、強くなって欲しい。儂を守ってもらう必要があるからのう」
俺が「どういうことだ?」という言葉を挟む間もなく、フィルミナが続けていく。
「今朝、儂が『吸血』して元の姿になったがすぐに戻ったじゃろ? あれはやはり封印の副作用のようじゃ。力の回復と蓄積は問題ないが、どうやら燃費が異常に悪くなっておるらしい」
「今朝」と聞いた時、まず初めに頭に浮かんだのが「黒だった」とは言わない、というか絶対に言えない。またあんな喧嘩……いや、喧嘩かどうかもわからないが、とにかくあんな騒動は御免だ。
「今朝の分はもちろん、キールを通して集めた力ももう空じゃ。今儂は、見た目通りの力しか持っておらん」
それを聞いて思い浮かんだことがある。
死んだはずの自分、グレンデルを打ち倒し、村から逃げる時の蝙蝠の群れ……
胸が少し軋んだ。
「それ……俺を眷属にしたり、村のみんなから逃げる時に蝙蝠の群れを作ったりしたのも、響いているよな?」
わかっていても、聞かずにはいられなかった。
俺のせいで、無力な子供の姿で過ごさなくてはいけない。自分にその経験は出来ないだろうが、どうしようもなく不安だろうということくらいはわかる。
言うなれば、今の精神のまま赤ん坊の身体になってしまったようなものだろうか?
パチクリ、と瞬いた後に目の前の可憐で華奢な少女は笑い出した。
それはもう、本当におかしくて仕方ないと言わんばかりに。
「くっ、ふっふっふっふ……いや、済まぬ。つくづく真面目で不器用な奴じゃと思ってな。まさか、儂が自分の意思で勝手にやったことまで気に掛けるとはのう」
「性分なんだ、別にいいだろ」
「なに、お主を眷属にしたことに後悔はない。いや、むしろ僥倖と思っておる」
そう言ったフィルミナがベッドから降り、こちらの隣に移動してきた。真紅の瞳が蝋燭の明かりに照らされ、昼間とは違った輝きを見せていた。
たかが10歳程度の少女、そう笑い飛ばせるものはいないのではないか?
そう思ってしまうほどの妖しい魅力があった。
「本当じゃぞ? 証拠を見せてやろう。動くでないぞ?」
……あれ、なんか既視感が
時すでに遅し。
フィルミナが動いたかと思った次の瞬間、首筋にブツリと皮膚を破られる感覚があった。
「あっ、ちょ!」
次いで身体の芯から力が抜けていく感覚。
今朝のあれがフラッシュバックする。
フィルミナが離れると同時、ふらつく頭と暗くなった視界に耐えられず、ベッドに背を預ける。
「そうそう、『吸血』のことも教えておこう。吸血鬼と言っても、『吸血』は必要にならんとしないと言ったな?」
声は届いている。だが反応できない。視界が暗い。
確実に今朝よりも多く吸われている!
しっかり食事をとった後とはいえ、これはちょっと酷いだろう。
だが抗議しようにもどうにもならない。『半減』しようとしたところで、フィルミナが言葉を続ける。
「確かに『吸血』は手っ取り早く魔力や体力を回復できる。しかし、『吸血』する対象のマイナスの部分も引き継ぎやすいのじゃ。例えば持病で腰痛があれば、それも引き継いでしまう、といった具合じゃ」
あー……なるほどね。
質問する時、真っ先に俺の健康状態とか生活習慣とか聞いたのは、それも兼ねてたのか。しっかりと先のことを考えて質問していたんだな。
今朝吸血したときも、それがあったから躊躇も何もなかったわけだ。
「その点、お主は文句の付け所がないのう。若く、健康で、規則正しい生活、しかも儂の舌に合う美味じゃ。これからも頼むぞ? 燃費が悪いとはいえ、力は蓄えておかねばならんからのう」
さり気に毎日要求してないか?
これを毎日か……やばいんじゃないだろうか?
俺の身体持つかな?
「ほれ、早く『半減』で『失った血液』を半分にせんか。その後は夜食を食べておくがよい。そこのバスケットに入っておる」
ロレンタさんからもらっていたそれ、夜食かよ。
それでその夜食、このためかよ。
しっかりしてるな、本当に。
「それと……『吸血』以外での回復は『鬼』も『人』もそう変わらん。しっかり食べ、しっかり眠り、規則正しく過ごす。それだけじゃ。だからお主も夜食を食べ終わったら、夜更かしなどせずに寝るがよい」
フィルミナがそう言った後、蝋燭の火を吹き消した。
ちゃんと俺のことを考えてくれているのは嬉しいけど……もうちょっと、こう、加減というか、手心というか……いや、たしかに『半減』出来るんだけどさ。
「吸血鬼は夜目も効く。昼間とそう変わらんじゃろ? 儂は寝るからの」
言われてみれば……明かりがなくなったはずなのに、シーツに潜り込むフィルミナの姿がよく見える。
ああ、もう……とにかく『半減』して、夜食を食べて寝よう。
只管に体が怠い、頭がふらつく、視界がはっきりとしない、酷い貧血の症状だ。
「これは独り言じゃが……お主の恩恵である『半減』、『操血術』と恐ろしいほど相性が良い。『血液』と『魔力』、どちらも半減できるからのう」
黙って聞いておく。
「儂が勝手にしたことまで、心配してくれて嬉しかった。……頼りにしておるのじゃ」
何も言わないし、何も言えなくなった。
もう夜食を食べて寝よう。
今日はこの先、自分がやるべきことがはっきりと決まった、それだけでいい。
二つのやるべきこと。
明日からそれに向かって精進あるのみ。
一刻も早く『操血術』も使いこなし、フィルミナを守れるくらい強くなる。
もう一つは……
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