湿原の死闘—セス—後編

『湿地に適した巨大な魔物、それが知性体に率いられているのが最悪じゃな。ただでさえ湿原で儂らは不利、そこを突くのは基本と言っても良い。戦術以前に、思考が出来るならそこを狙わん手はないであろう』


『じゃあ、その場合はどうする?』


『お主はどうしたら良いと思う?』


 宿でフィルミナと二人で話し合っていた……いや、二人だけで話し合うしかなかった。

 アランさんに疑惑がある以上、その弟子の二人——レベッカとジャンナ——にも秘密にしておかなければならない。


『……撤退、するとか?』


『うむ、それも選択肢の一つじゃな』


 頷くフィルミナ。

『あとは、国境の砦に援軍を求めるのも手じゃな。湿原で有効な備えもあるはずじゃ』


『ああ……』


『何よりも、分断しなければ話にならんのう。地形相性に知略と暴力、これらがしっかりと組み合わさった相手はどうしようもないのじゃ』


『じゃあ最悪の時には、時間を稼いで砦に知らせを送る?』


『それもあるのう。後は……誰かが知性体以外の魔物を砦まで引っ張って行くという手もあるのじゃ』


『そして各個撃破する、なるほどね。じゃあ……砦に頼れない場合は?』


『たわけ、決まっとろう』


 フィルミナが一息つき、

『三十六計逃げるに如かず、勇気ある撤退じゃ』

 肩を竦めて答えた。








 ほら、思い出したか?

 時間稼ぎも、引き付けての逃亡も、意味がないんだぞ?


 何故って?

 国境の砦がすでに落ちているんだ。あの植物人間……ドリュアデスがそう言っていただろう?

 嘘……をつく意味はない。少なくとも、あの時のドリュアデスには。

 あのフィルミナですら、逃げるのが最善と言っていた状況。


 このままじゃ知略も戦略も無視した暴力に晒されて殺される。

 なんで、こんなことをした?



 決まっている。



 全員での撤退が難しいからだ。

 俺が抱えて逃げられるのが……フィルミナだけだったとしたら?

 アランさんは? レベッカは? ジャンナは?

 見捨てるのか?



 消耗しきったはずの、体の奥から灼熱が湧いてくる。



 ふざけるな! そんなことは絶対にしない!

 だからこそ、俺はこうして跳び出したんだ!


 その選択をしたのはお前自身、フィルミナやみんなを助けるためにそうしたんだ。


 十中八九、俺は死ぬとしてもだ。

 そうだ、俺は自分で選んで死地にいる。



 ああ、じゃあそれらしく足掻け。

 今できる最善で最適を尽くして駄目なら……止めろ。



 操血術……切り裂き、断ち切り、薄く鋭くいっそ脆く繊細な……けども折れず曲がらないように。

 龍帝から送られた餞別のおかげで、好きな時に刀を眺めることが出来た。そのおかげで精巧に精製することが出来る。

 さらにアレンジ、鬼が扱うにふさわしい長さと重さを。


 突っ込んできたワームを、長大な『それ』で払う。


 口が横一文字に、スゥっと裂けていく。

 刃を押し続け、ワームを紙細工のように切り裂き……振り切って刀身が途絶える前に、精製したそれ——大太刀——と自分の身を翻して跳躍。


 迫ろうとしていた別のワーム、そいつに必殺の一閃を見舞う。


 残り、10匹。


 そう思った直後、別のワームが跳んだ自分を食らおうと迫るが……体の捻りと筋力のみでの斬撃で答える。

 的確に伝えられた力、それが刃に乗ってワームの頭を縦一文字に断ち切る。



 着地。

 物質精製からのカウンター、間髪入れずの跳躍と一閃、中空で強引な一太刀。

 それら全てが、異常な負荷と消耗を与えてくる。



 これまでの一閃一殺と違い、とても最適かつ最善とは言えない。

 何故なら、首を落とされなかったワーム二匹——最初に横に裂いた一匹と着地前に縦に切った一匹——は、もう再生を始めているからだ。

 こちらの反動は回復しない。



「それが! どうしたぁ!」



 咆哮、のままに残ったワームに跳びかかり首を刎ねる。

 残り9匹。


 後先考えずに跳びかかった自分にワーム共が我先へと殺到してきた。それにこちらは暴力ではなく、武術を持って答える。

 唐竹、右薙ぎ、逆風、左薙ぎ……そして必殺の一閃。

 残り8匹。


 繰り出す太刀筋全てに全力を込め続ける。

 大太刀を振るう腕、踏ん張りと踏み込みをこなす脚、手足に無駄なく力を伝える胴に腰……身体中の筋繊維が悲鳴を上げている。


 分かっていた、こうなることは。

 単純に予想できるだろう、本能のままに襲い掛かってくる多数に突っ込めばこうなる。左右前後に上下と、迫るワーム全てを捌かなければならない。



 だが、それがどうした。

 迫りくるワーム共を手にした刃で切り裂いていく。


 時に腕力に任せ、時に身体の捻り等を使い、とっくに限度を超えた中で、ひたすらに手にある刃——大太刀——を振るっていく。



 自分の能力の限界を引き出し続け、身体への負荷を無視し続ける。

 だが足りない。

 限界を超えろ。能力も身体もだ。



 着地待たずに駆け出すと、その地点が即座にワームに蹂躙される。

 無視して他のやつに一閃。

 残り7匹。


 腕や全身の痛み、身体の芯……骨が軋みだしている。ひび位なら入っているかもしれない。

 恩恵で半減しても、容赦のない消耗と負荷と痛みが走り続ける。


 死を覆すには、こいつらを倒して帰るには、今の自分を超えていくしかない。

 今の自分ではどうにもならないなら……いくら上手くやっても無理なら……いっそ我武者羅に、滅茶苦茶に、魂ごとぶつかってやる。


 やってやる。


 フィルミナの言葉、『……帰って来い、必ずじゃ』。

 俺を、信じてくれた。



 囲まれる前に駆け出し……足に絡みつく、いや嵌まる感覚があった。

 抜け出せない!


 湿地に慣れた足さばきに吸血鬼の全力をもってしても、容赦なく飲み込んでくる泥の穴——



「……ヤチマナコ!」

こんなときに!



「ギィィィィィィィィィ!」

 不愉快で極まりない鳴き声、それが合図になって……幾重の衝撃が折り重なってくる。容赦のないそれに、軋んでいた身体が砕けるような痛みが走る。

 同時に、身体が何かに破られる感覚が襲ってきた。


 ついに、牙で喰らい付かれた!


 軋みや打撲とは違う、皮膚が貫かれて肉が避ける感触。そこから血が流れていく虚脱感。

 さらに悪いことに、ヤチマナコが無慈悲に自分を飲み込んでいく。

 すでに足どころか、腰に届くまでに泥が迫ってきていた。



 俺は……勝つ、勝って帰るんだ。

 動けない自分、その意思まで潰して貪るかのような衝撃と苦痛。

 視界が、黒に潰された。


 俺は……まだ……!

 一つの渇望へと、願望へと、希望へと……意思へと、ひたすらに手を伸ばそうとする。


 あの子を独りぼっちになんて、するものか!

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