経験値と知恵

 瞬きの明滅、それが幾度か空に奔った。

 次いで数度の轟音が響く。



 ……雷? この晴天に?

 空を見上げるが、疎らに白い雲が流れているだけじゃ。

 落雷など有り得ぬ。


 セスも「今日は一日晴天」と言っておった。

 農村で育ったあやつの予報じゃ。早々外れんことは分かっておる。


 何が起きたのじゃ?

 セスが駆けていった方向からの轟音、お主は無事なのか?



「何すかね、今の……」

 かけられた声で思考を元に戻し、

「わからぬ。しかし、今は目の前のことに集中じゃ」

 極めて冷静に答える。


 不安と焦燥を思考の奥に押し込め、儂自身にも言い聞かせる。


「うおっと、すんませんっす!」

 ジャンナが変わらず儂を抱えつつ、止まっていた足を動かして場所を変える。魔術も変わらず発動しており、ドリュアデスを捉え続けておる。


 すでに大勢は決しておるな。

 紫煙魔術の渦中にいるドリュアデス、その姿は見る影もないくらいに傷を負って消耗しておった。

 髪の触手はすでに半分に、女性型の上半身と球根のような下半身にも無数の傷が刻まれておる。


 切り落とされた触手は散らばっておるが、赤い花が枯れずに咲き続けておるだけじゃ。



 引きかえ、こちらの損害はほぼない。

 儂とジャンナは無傷、アラン殿とレベッカもかすり傷程度……今更足場を崩す余力も、そこから抜け出る体力もなかろう。

 結局ドリュアデスは、頭に血を登らせてそれらの選択肢を取ろうとはせんかった。


 いや、無理に取らずとも良い。正面から強引に勝てなければ、切り札を使うつもりであろう。使う……というよりも仕掛けて置いている、と言った方が良いか。



 扱いやすい奴じゃ。



「ジャンナ、仕上げと行くぞ」

 無駄じゃ、自慢の切り札も潰しておる。

 今は儂自身が前線に立つことは出来んが、それで今日までの経験がなくなるわけではない。こやつのような植物系統の魔物とも戦い飽きておる。


「なかなかしんどいっすけど……任せるっすよ!」

 儂を抱きかかえるジャンナ、額から大粒の汗が流れ、黒のローブにも染みを作っておる。

 彼女の疲弊も無視できん。


「すまぬ、これで決める。もう少しだけ、気張ってほしいのじゃ」

 無理もないのう……何せドリュアデスとの戦闘で最も酷使されているのは、ジャンナじゃからな。


「この程度で根を上げるはずないっすよ。じゃないと、たった一人でキッツイとこをまとめて引き受けた……セスっちに申し訳が立たないっす」

 煙管を持った方の片手で額を拭いつつ、ニッと白い歯を見せて答える。

 儂の相方にして眷属、一人でワーム共を引き付けていったセスの姿が過ぎるが、それを押し込める。今はこの戦闘に集中しなければならん。


 このままでも仕留めるのは時間の問題、しかし一刻も早くこやつを討ち取らねばならん。悠長に構えず、次の一手で最後にするのじゃ。

 冷静に、しかし確実に。

 こちらの戦力や状況の把握は無論、相手のことも計算に入れて戦闘を組み立てていく。


 それが戦術と戦略じゃ。






「へ、余裕ぶってたのにその程度か?」

 軽口を叩く、しかし構えた長斧槍を油断なく構え続けるアラン殿。鍛え抜かれた身体からも適度な緊張感が微塵も抜けておらん。


「ふふふ……そろそろよ」

 どう見ても勝ち目のない状況、それでも強がりではなくドリュアデスが薄笑みを浮かべておるが……



「無駄じゃ」



 あえて、姿を晒す。

 今度は紫煙魔術での『影』ではない。


 ジャンナから離れ、単独でドリュアデスに相対する。


「! フィルミナ嬢ちゃん?」

「フィルミナ、何を……!」

 儂が無策で前に出たことに気付いた二人が驚く。しかし、今は一刻も早く決着をつけたいのじゃ。

 そのために、こいつにはさらに無様を晒してもらわねばならん。



「お主の切り札は『花粉』であろう? すでに封じておるぞ」



 その言葉にドリュアデスの表情が固まる。


「触手に咲いた赤い花……それから毒の花粉を出しておる」

「なぜ、それを……!」


 ふぅ、と軽く息を抜き「本体から離れても、触手の花が枯れてなかったからのう」と付け加え、アラン殿とレベッカに目配せをしておく。

 ネタ晴らしを聞くのも良いが、お主らのやることを忘れるでないぞ?

 さもなくば、儂が死ぬかもしれん。


「植物の魔物……特にお主のような知性を持った手合いはよくそれを使いおる。気付かれにくく、花粉の特性で様々な効果を期待できる切り札じゃ」

「……」



 紫煙魔術、それを構成するのは当然ながら煙。

 そして煙の正体とは、細かい粒子である。気体中に液体、または個体の微粒子が浮遊している状態じゃ。


 ならば話は簡単じゃ。

 その微粒子にドリュアデスの花粉を飛散させぬように、花粉の粒子に粘着し阻害する特性を持たせればよい。



 いくらジャンナが腕利きの魔術師とは言え、流石に骨が折れたようじゃが……見事に成し遂げおった。

 ことドリュアデス戦に関しては、間違いなく彼女が大金星じゃな。


 ……ま、当然それをわざわざこの雑草擬きには語ってやらんがな。



 しっかりと表情を作り、

「残念じゃったなぁ。工夫したつもりかのう? 無い知恵を絞ったのかのう? だが、お主程度で儂と知恵比べできるはずがなかろう。すべて無意味じゃ、見え透いとるわ。雑草擬きよ。」


 凍り付いたかのように表情が消えたドリュアデスにさらに追い打ちをかける。


「これだから……自分が『賢い』などと、勘違いしておる者はやりやすいのじゃ。まだ涎を垂らし、本能で襲ってくるワームの方が……」


 そこまでであった。

 ついに感情の針が振り切れたドリュアデスが、意味を成さない咆哮を上げて踊りかかってくる。

 激情は時に信じられぬ爆発力を生む。

 それが戦況をひっくり返すときもあるが……今では悪手にしかならんぞ。何せ、こちらの想定通りに状況が進んでいるのじゃ。



 お主のその激情自体、こちらに動かされた結果じゃ。

 そしてそんな無様な特攻、この手練れの二人が見逃すはずがなかろう。



 残った触手が儂を貫こうとするが、前に躍り出た影が白刃の閃光で全て切り払った。剣先が丸い、切ることに特化した処刑剣の剣閃。

 影の正体は言うまでもなくレベッカ、彼女からすれば朝飯前であったろう。何の策もない特攻、標的に素直かつ一直線に向かう触手、まな板の上の野菜と大差ない。


 これで触手は全滅、再生も出来ん。


 丸裸になった本体、それを強靭な横一文字でアラン殿が薙ぎ払う。

 シルエットだけなら、ドレス姿の貴婦人の上半身と下半身が分かれたように見える。



「あっ……が、」



 静かに、冷たく、『旋風の武人』が落ちる上半身に長斧槍を振り下ろす。


 縦に真っ二つになった上半身が地面に落ちると同時、球根のような下半身もゆっくりと地に崩れ落ちる。


 これで知性体の魔物……ドリュアデスこと『頭』は討ち取った。


 目下の脅威は取り除けたと言っても良い。

 残ったワーム共も厄介ではあるが、所詮は知性がなく再生力と巨体のみの虫。このメンバーならば、桟橋の上で各個撃破していけばよい。

 ドリュアデスの撃破に関しては、間違いなくジャンナの功績が大きい。しかし、それがこうまであっさりと進んだのは……


 セスが、ワーム共を全て引き付けてくれたおかげじゃな。


 あやつがそれをやらねば、儂らは全員ワームの餌になっておっただろう。

 桟橋を全て崩し、足元含めた全方位からのワームの襲撃。それをされるだけで儂らは詰みだったはずじゃ。


 そして、あやつにしかそれは出来んかった。

 湿原の足場を物ともせずに、休みもなくワーム共を引き付け、時には戦わねばならん。それだけの人知を超えた身体能力を持っているのは、今儂らの中ではセスだけじゃ。



「ブレンダの仇だ……あの世で彼女に詫びてこい」



 死体となったドリュアデスに、アラン殿が呟いた。

 叶うのなら、少しでもそれを……ブレンダ殿の死を悼む時間を許したい。レベッカもジャンナも同様じゃ。

 花を捧げるのを後に、安寧を祈るだけの僅かばかりの時間……しかし、それはもう少し待って欲しいのじゃ。


「全員、無事かのう? すまぬが、セスを助けに行きたい。力を貸してくれんか?」

 悔しいが、儂一人では言ったところでどうにもならん。いや、まず湿原を抜けてたどり着けるかが怪しいのじゃ。


「……言われるまでもねぇさ、フィルミナ嬢ちゃん」

 冷静にアラン殿が、


「もちろんです! ああ……セス様、すぐにお力添えに参ります!」

 興奮気味にレベッカが、


「例え断られたとしても、あたしたちは付いて行くっすよ」

 力強くジャンナが、



 全員がセスを迎えに……生きていると疑わずに同意してくれた。



 そうじゃ、生きている。そうに決まっておる。

 出発前に話していた、最悪の……砦も落ちているという最悪中の最悪な状況。


 頭を振って、それら全てを振りほどく。


 大丈夫じゃ。

 いざとなれば、流石のあやつも逃げて生き延びる道を取るはず。



 今行くぞ、待っておれ。だから……お願いじゃ。

 偶然でも奇跡でも構わぬ。


 儂の唯一の眷属にして相方、セス・バールゼブル。

 儂はまだまだ、お主と一緒に居たいのじゃ。


 胸の奥、刺し抉られるような痛みと恐怖すら感じる早い鼓動、どちらも無視してワームが荒らした痕跡を頼りに歩み出す。

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