湿原に潜んでいた者

『やはりお主も気付いておったか。そうじゃ、アラン殿には『湿った土の匂い』が染みついておる』

 自分もフィルミナも鬼だ。人よりも五感が遥かに鋭い。

 そしてその嗅覚が捉えた……常にアランさんから微かに香る匂いは、湿度の高い土だった。


『次の目的地は湿地帯じゃ。これは……果たして無関係かのう?』


『そのような顔をするでない。まだ可能性の話じゃ。陶芸が趣味であるとか、密かに単独で調査しているとか、色々と考えられるであろう?』


『実際にあやつの行動を調べ、現地で湿地帯の匂いも確認せねばわからん』

 ベッドに腰掛けていた自分の頭が、優しく撫でられる。

 フィルミナが精一杯に背伸びをしてくれていた。


『……もし『そう』だとしても、今は白状せんじゃろう。ここで問い詰めたとしても、儂らが乱心したと言われるのがオチじゃ』



『だがセスよ、覚悟だけは決めておくべきじゃ』








 アランさんの瞳、すでに瞳から困惑は消えていた。


 ……何でですか?

 どうして俺を、そんなに真摯な目で見返せるんですか!



「そうか……お前、俺の体のことに勘付いたのか」

 肩の力を抜いて、首筋に当てられている穂先にそっと触れる。十文字槍の構成上、薙ぐか押すかすればアランさんの首に刃が埋まっていくだろう。


「なら疑うのは無理ねえ。だがよ……ここのワーム共と俺は無関係だ。信じてくれ」

 相も変わらず、真っ直ぐにこちらを見据えてきた。

 既にアランさんの瞳には信頼のみがあった。



 この状況でもアランさんは変わらない。

 仲間思いで、面倒見が良くて、豪快だけど優しい。


 俺は……信じたい。



「セスよ! お主の左後方に『本命』じゃ!」



 フィルミナの声、操血術で十文字槍の穂先と石突を入れ替える。

 体を反転させ、十文字槍を構えなおし、指示された方向に目を向けると湿地に僅かに影が見えた。


 槍を突き付けて疑っていたアランさんに、今度は背を向ける形になるが……迷わない。

 俺はアランさんを信じたい。


 見守っていたレベッカとジャンナに当たらないように跳躍し、ワームよりもずっと小さい影……それに向かって十文字槍を全力で投擲する!


 そのまま貫く間一髪、影が槍から逃れた。

 ぬかるんだ地面に槍が突き刺さり、ワームよりもずっと小さい影が湿地のどこかに消えていくが……


「逃げても無駄じゃ! 観念せい!」

 少女の、フィルミナの声が湿地に響く。。



「……ブレンダ・リトルトン!」

 『本命』の名前を叫んだ。



「あ……? はぁ?」

 背後からアランさんの声が聞こえる。声音から完全に呆気にとられていると分かる、表情も間の抜けたものになっているだろう。

 フィルミナを見ているレベッカとジャンナも同じ、もう完全に付いていけていない。


 だがそれを無視して状況は動いていく。


 広がる湿地のすぐそこ、全員がいる桟橋から目が届くところの影が濃くなっていき、段々と『それ』が姿を現していく。


 初めに頭部、深緑色の髪が現れた。

 次に顔、短く切り揃えている前髪が右側だけ伸びており片目を隠している。露わにしている方の瞳は赤茶色で、ルーペ越しにそれを窺えた。

 ギルドの受付さんが着る制服に包まれた身体が現れていき、湿地のど真ん中に全身を現す。


 髪も肌も……手入れが行き届いていたであろう制服も、すべてぐっしょりと濡れていた。



 自分が冒険者登録をする時に担当してくれた……ブレンダ・リトルトンさんそのままだ。



「……驚いたわね。バレていたなんて」

 その言葉とは裏腹に、人形のように無機質な笑みを浮かべるブレンダさん……いや、その姿をした『何か』。


 腰を落とし、操血術で大剣を形成する。

 いつでも即座に、一足飛びで『何か』に切り掛かる用意を整える。


「いやだ、そんなに慌てないで? いつ気が付いたかくらい、教えてくれてもいいじゃない?」

 恐らくはもう、先程のワームも配置が終わっているのだろう。そうでなくては、こうして姿を現すようなことはしないはずだ。

 瞳だけでフィルミナを見ると、肯定するように軽く頷いて返してくれた。


「……最初に会った時から、花のような香りがしていた」

「へぇ?」

 会話し、多少の時間を稼がなければならない。

 自分とフィルミナはいいが、他の三人は違う。


 ブレンダさんとは親しかった上に、突然彼女の姿をした『何か』の出現、さらにそれを看破していて状況を進めていく自分達……いくら腕利きの冒険者でも、脳が付いて行かないだろう。

 この状態で20匹を超えるあのワームに一斉攻撃されるのは避けたい。


「香水にしては薄すぎる。ジャンナみたいにアロマシガーが趣味かと思ったけど……それも違った」

「……」

「エコール中を探しても同じ香りはなかった。注意して嗅ぐと、花以外に草木の香りも混じっていたんだ。そして、湿地帯の草花を実際に嗅いで確信した」

 何も言わずに、変わらず人を模したような笑みでこちらを見続ける『何か』。気味が悪くて仕方ないが、時間を稼げるなら構わない。


「さらにあんた、俺とアランさんの稽古をよく見に来ていただろ? それ自体はまだいいけど、視線が鋭すぎたんだ。まるで獲物を狙う狩人のようだったよ」

 そう、六日目こそ来ていなかったが、それ以外はずっとブレンダさんが見に来ていた。状況が状況なだけに、暇なのかと思ったが違う。


 あの纏わりつくように粘っこい視線、こちらの全てを解析するかのような目は絶対に暇つぶしや道楽では有り得ない。



「ふ、うふふふ……いやね、やっぱり隠しきれるものじゃないのねえ、『本能』は」


 ブレンダの姿を模した『何か』から、威圧感の様な圧迫感の様なものが漏れ出した。時間稼ぎもこれで限界か、三人は大丈夫か?



「いやいや、匂いや稽古の視線がなくとも儂は最初からお主を疑っておったぞ?」



 さらにフィルミナが指摘してくれるようだ。

 だがどういうことだろう? 俺は聞いていない。


「どういうことかしら? お嬢さん」

 漏れ出していた威圧感と圧迫感が潜み、『何か』が傾聴の体勢に入った。

 それを確認したフィルミナが、たっぷりと一呼吸おいて口を開く。


「何、簡単なことよ。お主、最初に儂らに今回の事件について話したことを覚えておるか?」

「……ええ、不自然なところはなかったと思うけど?」

「それが『不自然』なのじゃ」


 フィルミナの指摘は続いていく。

 相変わらず引き込まれる語りと声、思わず自分も聞き入ってしまいそうになるが……そんな暇はない。

 彼女の助力を無駄にするわけにはいかない。


「まず、『公国側でも何かあったらしく、軍や冒険者を派遣できないようだ』と言っておったな。何故お主がそれを知っておるのじゃ? 何故最初から『何かがあった』らしく、派遣『できない』と言えるのじゃ?」

 なるほど、たしかにここらでは公国との交易は滞っている。


 支援や討伐が公国側からないにしても、最初から『何か』あって、派遣『できない』と言うのはおかしい。

 あちらも戦力を派遣したが同じように手に負えない、こちらに押し付けようと最初から派遣していない、と色々な可能性が考えられる。


 感心しつつも、自分に出来ることをこなしていく。アランさんやレベッカ、ジャンナに近づいて、相手に聞こえないように声をかけていく。

 なるべく相手の死角で、動きが悟られないように動いていき……三人ともに合図を出し終わった。

 フィルミナが注意を引いているからこそできることだ。


 特にジャンナ、彼女には常に働いてもらわなければならない。魔術による攪乱、これが今後の生命線になる。

 微かに漂う甘い香り、『紫煙魔術』が発動しているようだ。



「そして、先に出陣した冒険者や討伐軍……それに対して『遺留品の回収すら出来ていない状況』と言い切ったので確定じゃ」


「お主は冒険者を見送り、その成功を待つ者じゃろう? それが何故、『すでに死んだもの』として扱う? 行方不明であろうとも、少しでも生存の可能性を求めて『冒険者の捜索』と言うのが情の心であろう」


「お主……いや、貴様は『ブレンダ・リトルトン』殿ではない。その皮を被っただけの、おぞましい『魔物』じゃ。心までは偽れんぞ」



 考えてみれば……当然だ。


 登録したばかりの者、板についてきた者、親しくなった者、見飽きた者……多様だけれど、同じように依頼を受ける度に見送ってきた人達……愛着や親愛を抱かないはずがない。


 そうなるとどんな状況であろうとも、たった一筋のか細い光だろうと、生きているという可能性の方に縋りたくなるに決まっている。

 その人が『死亡』と確定される何かがあるまで、希望を持つに違いない。


 自分の方から『死んでしまった』という取り方なんてするはずがない。

 誰かを思いやり、慈しむ。

 それが根底にある。



「うふ、ふ……あははははははは!」



 響く笑い声、ブレンダさん……いや、それを模しただけの『何か』が笑う、ひたすらに愉快とでもいうかのように。


「参ったわね、こんな……下らない、無価値なことからバレるなんて!」



 下らない?

 自分の心がざわつくのを感じた。


 無価値?

 湧き上がってくるかのような熱があった。


 今こいつはそう言ったのか?

 誰かを、他人を思いやり、ほんのわずかな希望にでも縋る、優しさと強さを……そう言ったのか?



「……ふん、やはり貴様のようなものには理解できぬか。言語を解するだけのケダモノめ」

「ええ、理解できないわ。強かったら喰らい、弱かったら喰らわれるだけ。それが自然の掟でしょう?」

 平気で言い放つ『何か』に対して、強烈な怒りがわき出してくる。



「ふざけろ」



 自分でも止めようがない、冷たい言葉が出た。


「あら……怒ったのかしら? 他人や他者なんて食えるか食えないか、それでしかないでしょう?」

「黙れ、雑草擬きが」

 ブレンダさんの形をした『何か』の表情が歪む。


 だが、どうでもいい。

 そんなことより、こいつは今なんて言った?


 これまでに自分が接してきた……救われてきた人たちの姿が浮かんでくる。




 血が繋がっていないにも関わらず、自分を拾って育ててくれた恩師。


 他人である自分との口約束、それを信じて涙してくれた幼馴染。


 ただ放っておけないというだけで、家に招いてくれたご婦人。


 他人を助けるなんて特別じゃない、と言って目を瞑ってくれたご主人。


 自分の仕事に出しゃばられたのに、認めてくれた警備軍の隊長。


 守られたことに、素直にお礼を言ってくれた少女。


 少女を守ったことで、感謝をしてくれた母親。


 そして、この場に立つ三人の仲間に……自分の命を救ってくれた、一人の鬼。




 全員が自分を思いやってくれて、助けてくれたかけがえのない人達だ。

 強かったら踏みにじり、弱かったらその犠牲になる。そんな関係では絶対に成立しなかった大切な繋がり。


 確かな、優しさと思いやりを備えているからこその絆。


 それをこいつはなんて言った?



「言うわね、坊や」

「とっとと正体を現せ」



 そう、こいつはブレンダさんじゃない。

 アランさんが認めて、レベッカとジャンナが懐いていた冒険者ギルドの受付嬢……『ブレンダ・リトルトン』さんの皮を被っただけの奴だ。


「……いいわ、ご褒美よ」


 その言葉を言うや否や、短く整えていた深緑の髪がどんどん伸びていく。後ろ髪に前髪問わずに長くなっていき、顔どころか体すら覆っていく。

 肌も変色し、肌色から体温を感じさせない緑に変わる。女性的な体のラインを保ったままに、身体も肥大化していき、制服がついにそれに耐えられずに引き裂かれた。



 表した正体は……植物人間、一言で言えばそれだった。

 薄緑の肌、深緑で触手を兼ねた長い髪、それには赤い花が所々に咲いている。

 上半身は妖艶な曲線で構成された女性、下半身は種子か球根を思わせる球体、全体的にはドレスを着た婦人に見える。

 だが大きさはアランさんを超える歪さだった。


 左目に残っていたルーペを投げ捨てると、金色の瞳がこちらを覗いていた。


「どうかしら?」

人形のような笑顔を、その美貌に浮かべる。



「……なんで、てめえがここに居やがるんだ?」

 五人の中で誰より早く呟いたのは、アランさんだった。

 その表情は驚愕に染まっており、ふらふらと足を進めつつ植物人間へと近づいていく。


「アランさん?」

「あらぁ?」


 桟橋の端、パーティの誰よりも前に出ると、

「てめぇは……大森林から動けねぇだろうが! ドリュアデス!」

 植物人間の名を叫んだ。

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