ポルシュ湿原調査開始

 湿原を桟橋で進んで小一時間、何もなかった。

 フィルミナが湿地から頭を出した蛇と視線を交わすが、「何もないのじゃ」と返すのみだ。


 周囲にあるのは湿原のみ。

 水と土と植物が織りなす、誰もが「大自然」と評する光景が続いていく。澄んだ水に浮かぶ緑、まだらに咲いた色とりどりの花、時には鹿や狐、リスなども見かけるくらいだ。

 こうなると、もはや調査に来たのか観光に来たのかわからなくなってくる。


 このまま湿原を抜ける?

 それはそれで問題だが……

「全員平気か? 何もなければあと……2時間くらいで湿原は抜けるぞ」

 余計な心配か。


 冒険者だけではなく軍まで消息を絶っているのだ。あと2時間の行程が何もなく終わる確率などゼロに等しい。



 再び別の方向から蛇の頭が覗き、それと視線を合わせるフィルミナ。

「……アラン殿、7時の方角から何か来るぞ」



 その予測を肯定するかのように、フィルミナが警戒を促してきた。

 全員が身構える。

 各々が武具に手をかけ、軽く腰を落とす。


 ふわりと、独特な甘い香りが漂ってきた。

 ジャンナが煙管に火を灯したのだ。


 視線を向けた先には何もいない。いや、湿原に浮かぶ緑と木々しかなかった。

 だがすぐにその様子が変わってくる。

 水が時々泡立ち、それが過ぎると草が揺らめき木々が沈む。何かが、湿原の中からこちらに近づいてきているのだ。


「……来るぞ!」



 フィルミナが指した方向、湿原の水面から長く太い『何か』が襲い掛かってきた!

 狙いは……ジャンナだ!


「あたしっすか!」

 

 そう思った瞬間、すでに体は動いていた。

 操血術……堅く、広く、それでいて軽い曲面を描くように。


 精製した大楯でジャンナを庇って『何か』を受け止めると、鈍い衝撃と盾を引っ掻く嫌な音が響いた。

 尚も押しこもうとしてくる『それ』、力が加わるたびに「ガリ、ゴギギッ!」と不愉快な音が響いてきた。


「……こいつ!」

 鬼の腕力に物を言わせて押し返し、さらに大楯で『それ』をぶん殴ってやると……



「ギィィィィィィィィィィ!」



 不快な鳴き声、酔っぱらいの騒音のほうがまだマシと思える呻き声を上げつつ離れていった。


 湿原から現れた『それ』は巨大で長く、鎌首をもたげてこちらを見下ろしていた。

 プリッとしてグロテスクな肉感の体、頭頂部の中心には大きな口があり鋭い牙に覆われている。申し訳程度に小さな点の目が八つ、体に不釣り合いな小さい肢が三対六本ワキワキと動いていた。


 カブトムシの幼虫とイソメを足して割ったような、ただし大きさはその比ではない。胴回りは自分二人が手を取り合ったよりも太く、長さはこちらを見下ろしてもまだ湿地に浸かっているくらいに長大、虫嫌いが見たら卒倒するような魔物。

「ワームか!」

「いや、普通のワームではないようじゃ」


 そう、通常のワームよりも一回りは大きい。そして何より体色だ。

 本来は白だがこいつは濃い緑色をしており、この『ポルシュ湿地帯』に適応したかのような色を備えている。


 ギチギチ、と牙を鳴らしながら小さい八つの目でこちらを見下ろしている。



「全員気を付けるのじゃ! 1時の方向、10時の方向からも来るぞ!」

 まずい! 囲まれる!


「アランさん、自分が仕掛けます!」

 この中で一番頑丈なのは自分だろう。

 その判断の元、三方を囲まれる前に今いるワームを始末するために跳び込む提案をする。二方向ならまだなんとか、だが三方向はまずい。

 アランさん、レベッカ、自分と三面体制は取れるがジャンナとフィルミナが無防備になるのは避けたい。


「わかった、任せる! ただし……」

「一撃で仕留めます!」


 予めフィルミナの予測で調べていた『ワーム』。

 学術都市エコールの大図書館の書物、それの特性や弱点はしっかりと載っていた。


 『操血術』——両手持ちの長い柄、穂先に三日月を模ったような鋭利な刃……命を刈り取る形状へ。


 処刑鎌。


 桟橋から深緑のワームに跳びかかり、それを存分に振るう。

 鬼の瞬発力と腕力、それを存分に受けた死の刃はワームの頭……牙が並んだ口の部分と長い胴を切り分けるかのように深い傷をつける。


 獲った!


 両断こそ出来なかったが致命傷、知能と引き換えに再生力と巨体を得たワームと言えど生きてはいられないダメージのはずだ。

 跳びかかりから桟橋に着地し、確信を得る。



 だが、それは通常のワームに限った話だったようだ。



 致命傷であったはずの傷、それが見る間に塞がり始めた。

 どす黒い血を吐き出していた切り傷を筋繊維が塞ぎ、見る間に出血が止まったかと思うと深緑の表皮がそれを覆った。



「うわ、きっしょ!」

 ジャンナの素直な感想、それに呼応したかのように新たに二匹のワームが襲い掛かってきた。狙いは……二匹ともジャンナ!


「ちょ、ちょ、ちょ!」


 だが今回は庇わない、というかさっきも庇う必要はなかっただろう。

 口調とは裏腹に、ジャンナもこちらに目配せをしているからだ。すでに彼女の『魔術』が発動している。


 それぞれ深緑のワームが、順々に彼女に喰らい付いた……ように見えた。


「おやおやぁ? どこ狙ってるっすかぁ?」

 余裕で煙管を一吹かしする彼女、すでにそこにはいない。見えているのは『影』でしかないようだ。その傍にいるフィルミナも同様に『影』だろう。


 空を切ったことでワームに隙が生まれた。

 それを見逃すような二人ではない。


「くたばれ!」

「貰いました!」


 アランさんとレベッカ、二人とも名うての冒険者としての実力を示す。

 それぞれ背負っていた長斧槍と処刑剣をワームに振るう。片方は頭をかち割られ、もう片方は首を落とされるほどの斬撃をお見舞いされている。



 決まった、これで終わりだ。

 ……普通のワームなら!



 頭が割れたはずのワーム、先程と同様に見る見る傷が塞がっていく。

「不死身か、この芋虫が!」

「落ち着くのじゃ、よく見るがよい」


 フィルミナが差した方、頭を落とされるほどの斬撃を受けたワームが苦しんでいた。「ギィィィィ……」と苦悶の声を上げつつ、のたうち回っている

 先に自分が最初のワームに与えた傷と大差ない、だがその効果は桁違いなほどに効いているようだ。


 塞がらぬままに……いや、逆にどんどん傷が広がっていき、遂にはワームの首ともいえる部分が完全に切り裂かれた。

 ぬかるんだ地面に音を立てて落ちる巨大芋虫の首、鳥肌が立つような光景だったが、こちらの光明となることに違いない。


「あら……私の『恩恵』が弱点でしょうか?」

「おそらく、だがそれだけではないかもしれん。セスよ、首を落とすのじゃ!」


 フィルミナの指摘を受け、操血術で手にした処刑鎌を変化させていく。

 さらに多くの……かつ巨大なものの命まで刈り取るように。


 鋭く、冷たく、大きく……人ならば逆に振るうことが難しいまでに極端なバランスの処刑大鎌へと変化を遂げる。



 再び桟橋から跳び、両手にある死の象徴を振るう。



 今度は致命傷などという領域ではなく、完全に胴と頭部を切り離した。振るった勢いのままに着地し、それに一呼吸置遅れてから切り離された蟲の頭が湿原に落ちる。



 ……再生しない。



「……確定じゃな。急所は頭、ただしそれと胴体を切り離さねば再生力が上回る。特異種のワームじゃ」

 相手の弱点を知る。基本にして最大の戦果が挙げられた。こうなるとあとは湿地に巣食う魔物を駆除するだけである。


 残ったワームが狙いを定めて再びジャンナに襲い掛かる!


「またあたしっすかぁ? 懲りないっすねぇ」

 執拗なまでにこちらの支援系を狙う蟲、まるでこちらのパーティ構成を知っているかのような行動だ。



「調子に乗らないで頂けますか?」

 冷たく通る声、それと同時にジャンナに向かっていたワームに鋭い閃光が襲った。先程と同じく両断とまではいかないが、首に深い傷が刻まれている。


 ……一旦は終わったか。

 レベッカの『恩恵』でこのワームも傷が再生しない。どころか同じように傷が広がっていき、ワームの苦痛の声も身悶えも無視して首が落ちた。


 すぐさまフィルミナを見ると、彼女も湿原から頭を出している蛇と視線を躱していた。蛇が再び湿原に潜み、彼女がこちらを見て頷く。


 ここらで確かめるか?



「……うむ、とりあえずはこれで仕舞いじゃ」

 索敵をしていたフィルミナからの締めの一声、それを聞いて全員が一息ついた。


「やれやれ……こいつが犯人か?」

「恐らくそうっすね。レベっちが天敵だからよかったすっけど……頭を落とさないと死なないって厄介っすよ」

「うん、たしか……『侵蝕』っていう恩恵だったよね? 初めて見たけどすごいんだね」


 恩恵『侵蝕』

 手を加えた事象で対象を蝕んでいく効果らしい。先程は傷を侵蝕させたのだろう。


「褒めていただけるのは嬉しいのですが……やはり物騒でしょう?」

「それを言うなら俺の腕力と恩恵もでしょ?」

「まあ……」


 お互いが軽く笑って肩を竦める。



「さて、これでワームは周囲に居らんが……戦ってみてどうじゃった?」

 フィルミナが聞きたいのは、さっきの奴が今回の犯人かどうかということだろう。実際に戦った自分たち全員に問いかけている。


「犯人なのは間違いねえだろうな。ただ……あれだけじゃねえと思う」

「あたしも同じ意見っす。いくらなんでも討伐軍まで、あの三匹にやられるとは思えないっすから」

 自分は行方不明になった冒険者達や討伐軍は知らないが、二人の意見には同意だった。再生力も強く、湿地帯に適した生態、体も大きいがそれだけだ。

 奇襲で乱れたとしても、一旦冷静に対処すればどうにかできるはず。


 だが、初手でこちらの支援系であるジャンナを集中攻撃してきた。これは偶然じゃないだろう。


「やはり……む?」

 口元に手を当てて思案していたフィルミナ、急に湿地のほうに視線を向けたのでそれを追うと……多数の蛇が頭をのぞかせていた。


「ねえ、ひょっとして……」

「うむ、予想が当たったのじゃ。先程のワームが22匹に……『本命』がくるぞ。セスよ、確かめるなら今じゃ」


 その言葉で心が重苦しくなる。

 だがやるしかない。


 操血術で十文字槍を精製する。



「にじゅ……! おいおい、何を確かめるか知らねえが後にしろ! さっきのワームどもがくるってなら……」


 アランさんの言葉はそこで途切れた。

 いや、途切れさせたのは自分だ。


「セス様! 一体何を……!

「え、あれ? なんで……セスっち?」

 レベッカもジャンナも付いていけてない。それも当然か。



「おい……何の真似だこりゃ」



 声音と同じくらいに冷静に返してくるアランさん、とても首筋に槍の穂先を当てられている人が出す声とは思えない。

 一足飛びでパーティの最後尾から先頭にいるアランさんまで接近し、精製した十文字槍を彼に振るった。

 首筋が薄く切れており、槍の穂先を鮮血が僅かに滴っている


 学術都市エコールに来て、親切に接してくれた冒険者アラン・ウォルシュさん。

 出会って二週間……冒険者として頼ってくれと言ってくれた、親身に稽古に付き合ってくれた、レベッカとジャンナを紹介し自分をパーティに加えてくれた……


 不審なところもなければ、恨みを抱くことなんてもっとない。


「おい、セス。これを下ろせ」

 そういうアランさんの瞳、困惑の他にも信頼の光も宿っている。


 ……自身の命がかかっているというのに、なんで俺なんかへの信頼が揺らいでいないんだ。

 自分の胸が圧迫されるかのように苦しくて痛い。

 

「セス様、お止め下さい!」

「お、落ち着くっすよ、セスっち。ほら、とりあえず槍は下ろすっすよ!」

 二人の声にさらに痛みが強くなる。


 俺だって、こんなことはしたくない。

 だけど、問わなければならない。


「アランさんは、この湿地帯のワームと無関係ですか?」

 だって、あなたから微かに匂う香り。鬼でやっと捉えられるほどの弱い匂い。

 それがわかってしまった。


「……」

「答えてください、アランさん」



 湿った、土の匂い。

 何故いつも、それがあなたから香るんですか?

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