幕間

龍帝来訪

『……子よ、強……し、……つ者よ、……声……え……』

 またこの声……なんなんだろう?

 あの日から時々聞こえるようになった。これが私の恩恵なんだろうか?



「間違いないな、グレンデルだ」

 その言葉に目を窓の外にある空から応接室へと戻す。

 机の上に載せられた褐色の獣毛と鋭い牙、それを鑑定した女性がソファに腰掛けながらそう言った。


「……とてもただの神殿守の少年が、相手に出来るような魔物ではない」

 瞳を細め、その女性の美貌がさらに研ぎ澄まされた気がした。



 セス君がグレンデルを倒して……村を追われてから一週間たった。今日、神聖殿から指令を受けた『勇者』様がその見分に来ている。


 上品なウェーブがかかった金色の長髪と翡翠の瞳、整った美貌にそれを引き立てる典麗な体躯の女性……私もこうなりたい、そう思うくらい素敵な大人の女性。



 王国軍の援助を受け、神聖殿の『勇者』によって構成された聖騎士、その最強の一人と名高い女性……聖騎士エルマ・フォン・ハーン様。



「そうすると……やはりセスは……」

「ええ、間違いなく魔性の力を借りたのでしょう」

 テオドール神殿長に対して、そう断定するエルマ様は「さらにもう一つ上げるなら」と付け加える。


「そのセス君が魔性の力を借りたのは、この魔物に出会う前です」

 ……どういうことだろう?


「つまり、グレンデルより前に魔性の元凶に会い、取引をした可能性があるということになります」

 ガン、と頭を殴られたような感覚が襲ってきた。


「そんな! 何を根拠に……あ、」

 激情のみで口を出した私をテオドール神殿長が制してくれる。


「……セスは『魔性の力を得る』ついでに『グレンデルを屠った』、そういう可能性もある。ということでしょうか?」

 テオドール神殿長の問いに、エルマ様が無言でうなずく。



「そう思った理由を……お聞かせ願いたい」



 私の中にある激情、それが……それだけの言葉が如何にちっぽけだったか思い知らされた。

 テオドール神殿長の声、静謐で穏やかに聞こえるけど凄まじい圧を感じられる。

 理性と激情、相反するものを同時にぶつける声音。


「……この、グレンデルという魔物は肉食です。取り分け、人の肉を好みます。彼がグレンデルに襲われたなら、その時点で骨も残さずに食い殺されます」

 エルマ様……別名、『茨の女帝』と呼ばれる勇者ですら姿勢を正している。気付くと、私の額にも汗が滲んでいた。

 けど、そうなると……あの時、遠目に見えたセス君の服――神殿守の白い制服――は、赤黒く汚れていた気がした。

 どこかで怪我をしたんだろうか?

 それとも泥や土の汚れが、そう見えただけだったんだろうか?


「なるほど……流石はエルマ殿。私達の救援に答えて頂けただけではなく、現実として『あったかもしれない』という仮定をご教授いただけるとは……感謝いたします」

「いえ、それは……」


「仮にそうだとしたら……彼を追い出した我々に対して、彼が何もしなかった理由が見当たりません。我々を根絶やしにするのも容易かったはずでしょう?」

「確かに、仰る通りです」

 テオドール神殿長のペースになってきている。

 さっきの威圧感の後に、エルマ様を持ち上げて巻き込んでいるんだ。


「ならば……『グレンデルのことを知り、村を守るために魔性の力を得た』、ここに関しては変わりないでしょう」

「……」


「セスがどうやってそれらを知ったのかは不明です。現状議論する意味もないでしょう。どんな予想も憶測の域を出ません」

「……おっしゃる通りです。無礼をしました」

 セス君が『村のために魔性の力を得た』、私達はここだけは譲れない。

 あっという間にテオドール神殿長は、それを目の前の勇者に納得させてしまった。


「いえ、こんな北の農村までご足労いただいたエルマ殿には、感謝しかありません。あの日……『血の落日』の影響で、大変忙しい思いをされているでしょうから」

 グレンデルという魔物が入ってきた日の夕焼け、まるで太陽が血を流したみたいに赤く染まったそれは、『血の落日』と呼ばれるようになった。

 テオドール神殿長が神聖殿に連絡を取ると、各地の村や町にも同様のことが多く起こっていた。


 その中には……手遅れになった村や町もあったらしい。


「……あれ以降、神殿の結界に対して懐疑的な人も多くなってきています。平穏を守るため、混乱を避けるため、私達のような聖騎士や王国軍がおります」

「神殿の結界ですか……こうなると、『それ』の本当の効果に気が付く部外者も出てくるかもしれませんね」


 どういうことだろう? 結界の本当の効果?


 エルマさんの視線が私を一瞥した後、テオドール神殿長に向き直る。

「神殿長殿、一体何を……!」

「彼女、カリーナは『恩恵』を賜りました。遅かれ早かれ、知ることになるでしょう」

 今、応接室にいるのはテオドール神殿長、エルマ様、そして私――カリーナ――の三人だ。


 鼻から空気を抜き、エルマ様が再び私に視線を向けて、

「神殿の結界に、魔物や龍の侵入を防ぐ効果はない」

 耳を疑うような発言をした。



「……え?」



「正確には……強力な魔物や龍を防ぐ力はない、でしょう。低級なものなら十分退けます」

 テオドール神殿長が補足するが、それでも理解が追い付かない。


「グレンデルくらい強力な魔物になると、認識を阻害して村や町の場所を把握できないようにしているだけだ」

「そ、そんな! じゃあ、もしグレンデルみたいな魔物が偶然でも村に向かってきたら……」

「偶然……それもないように軽い暗示の効果もありますが、それでも完璧ではありません。万が一、何かの拍子に結界を超えられたら……どうにもなりません」


 なんなんだろう、あの日から自分の理解の範疇を超えたことばかり。

 恩恵を賜る『勇者』になるってこういうことなの?

 あれ以来、時々変な声も聞こえてきている。そのせいで余計に集中できない。



 頭の中がグチャグチャに混ぜられたように思考がまとまらない。

 部屋に差していた日が陰る、大きな雲でもかかったかな?

 雨が降らないといいなぁ……

 そんな全く関係のない方向に思考が向かってしまうほどに。



『人の子よ、強さを欲し、渇望を持つ者よ、余の声が聞こえるか?』



「え、声?」

 今度ははっきりと聞こえた、誰かの声。


「声? 何か聞こえたのですか?」

「私達には何も聞こえなかったが……」

 神殿長にもエルマ様にも聞こえていない。



「神殿長殿!」



 応接室の扉を蹴破るように神官長殿が跳び込んできた。

「来客中ですよ? ノックもなしに……」

「とにかく外に来てください! 早く!」

 テオドール神殿長の言葉すら遮り、目的のみを告げる。神官長のこんな姿を見たのは、初めてだった。


「エルマ様! あなた様もお願いします! 我々はもうどうすればいいのか……」

「事情は分からんが、力になろう」





 そして外に出たけど、この村はもう終わりだと思う。


 空を優雅に、巨大な龍が泳いでいた。

 日が陰ったのは雲でもなんでもなく、この龍が原因だったんだ。

 おそらく、いや、絶対に村のみんながこの龍を見上げている。逆に見ない理由は何だろう?

 頭に立派な角と髭が二本ずつ、長くて流麗な体にそれに負けない手が一対、白銀の龍鱗と体毛で全身が覆われ、神々しさと威厳に満ちていた。


 荘厳で神秘的な龍の銀の瞳、それがこちらに向けられた気がした。


『おお、この姿では不作法であるな』

 声が響いた、聞こえたのではなくて頭に響いてきた。

 そう思った瞬間、突風に襲われて目を瞑る。


 風が収まり、目を開けると……巨大な龍はどこにもいなかった。


 晴れ渡った青空が広がっているのみだ。

 ただし、私や神殿長、神官長、エルマ様の前に相対する一人がいた。

 当然、さっきまでは影も形もなかった。


「まずは、貴殿らの領域に土足で踏み込んだ非礼を詫びよう。余は決して争いや災いを持ち込みに来たのではない」

 華麗に一礼したその『人』……

 白銀の長い髪、銀の瞳、色白の肌、女の私でさえ見惚れる……いや、この『人』は男だろうか? 女だろうか?

 それがわからないほどに中性的で綺麗だった。

 触れるのはおろか、話しかけるのも戸惑ってしまう程に。


「……さぞや名高い『龍』の御方とお見受けしました。このような人里にどのような御用でしょうか?」

 一歩前に出たテオドール神殿長が一礼して答えるが……見たことのない動作の一礼だった。


「おお、古き龍の作法で返礼していただけるとは……敬意をこめて名乗ろう」

 白銀の『人』が感動し、

「余の名は『しろがね』。古き龍神の原初の血を引く龍の帝……今世の『龍帝』である」

 遥か南東の大高地にいるという、伝説の龍の名前を名乗った。


「先に言った通り、余に貴殿らを脅かす意図はない。ただ、どうしても話したい者がいる」

「承知しましたが……ここは人里でも田舎、とても貴方の期待に応えられる人物など……」

 テオドール神殿長がそう言うけど……もしかしたら、けど、勘違いだったら……


 そんな私の思考を読んでか、白銀の人『しろがね』さんが私を捕らえた。

 銀の瞳に見つめられる。


「娘、そなたであろう。余の声を聴いておらんかったか?」

 みんなの視線が私に集まった。


「『人の子よ、強さを欲し、渇望を持つ者よ、余の声が聞こえるか?』、そう呼びかけていたのだが……」


 重なった。

 ずっとおぼろげに聞こえてきていたその声と、目の前にいる『人』の声が。


「あ……すみません! その、よくわからなくて……気のせいだったかなって……」

「よい、許す。して、余の話を聞いて欲しい。そのために余はここまで来たのだ」

 さっきですでに掻き回され切ったと思った頭の中が、さらに乱される。


「はい、何なりとお申し付けください」

 もう自棄。どうにでもなれ。


「そなた……余の力を受けたくはないか? 『龍御子』よ」

 これ以上に、頭が破裂しそうになるとは思わなかった。

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