薄明が明け、旅立つ
「二人とも、本当に行っちゃうのかい? いっそさ、ここに……」
「止めんか。旅立つ若者をそう引き留めるもんじゃない」
なおも俺たちを引き留めようとしてくれたロレンタさんを、グレンさんが諫める。優しく彼女の肩を抱いて支えているが、言葉ははっきりと力強かった。
はぐれ龍の襲撃から五日、警備軍の調査も終わった。
今日からここ、湖畔の町『アモル』は日常に戻る。それは同時に、広大なレーベ湖に船を出せるということだ。
いつまでも、ここにいるわけにはいかない。
別れも旅立ちも寂しいが、旅立つ理由がある。いや、出来たのだ。
船を出せない間は、フィルミナに今まで以上に指導してもらっていた。
今日までに当面の資金に旅道具一式、そして今後の職を得る当ても出来た。
心身ともに準備万端。
だから、踏み出していかなくてはいけない。
グレンさんがロレンタさんから離れ……
「ほら、忘れ物だ」
封筒を押し付けてくる。
それには見覚えがあった、というより俺が置いてきたものだ。グレンさんが「やりそうだなとは思ったが、やっぱりな」ともう一言付け加えた。
「うけ……」
「これ受け取ったら、お前さんたちがここを訪ねてくる理由が一つ減ってしまう。受け取れんよ」
何も言えなくなってしまった。
俺だってここに帰ってこられないのは嫌だ。
封筒を押し付けられた部分、胸の奥が熱くて苦しくて仕方ない。
「いつでも帰ってこい、近くに来たら顔見せるだけでもいい。だから……元気で仲良くな、二人とも」
グレンさんの言葉と、押し返された封筒――宿泊費として置いてきたはずの現金――を受け取る。
お金は大切だろう。だがこれは……それを遥かに超えた価値が付いてしまった。
「『見送り出来なくて済まん。戻ってきたら言え、お前ならいつでも雇う』、親方さんたちもそう言っていた……」
今日から湖に船が出せるようになったのだ。
親方達の荷下ろし稼業も書き入れ時だろう。
「ここはもう、お前さんたちが『帰る場所』の一つだ。行ってこい」
……どうにか、涙だけは堪えることが出来た。
レーベ湖を運行する大型の船、遊覧船とは違い人と物資を各地へ運ぶ旅客船だ。それの朝一で出港する便に乗る。
「あの……」
乗る船を眺めていると、不意に声を掛けられた。
目を向けると、見覚えのある女性……その女性にへばりついて泣いている子供、ミミちゃんがいる。
まだ明け方なのに、見送りに来てくれたことをうれしく思う。
「本当に、ありがとうございました。助けて頂いただけじゃなくて、この子の遊び相手にまでなって頂けて、本当にどう感謝すればいいか……」
「いえ、自分も楽しかったですよ」
警備軍の調査中、仕事も何もなくなったのでミミちゃんの遊び相手もしていた。感謝されるようなことでは……
いや、村で小さい子の相手をしていたことを思い出せて、楽しかった。
本当なら、この子達にいくら感謝しても足りないのは俺の方だ。
「ほら、ミミ。セスお兄ちゃん行っちゃうよ? 泣いてばっかりでいいの?」
母親の服の裾に顔を埋め、今も鼻を啜りながら、泣き続けている。
そんなミミちゃんに歩み寄り、膝を付いて目線を合わせるようにする。
「お兄ちゃんは行っちゃうけど、帰ってこないわけじゃないよ?」
その言葉に、ミミちゃんがはっとしてこちらを見た。
涙でクシャクシャになったミミちゃん、ずっと泣き続けていたのだろう。目が真っ赤になって、目元も張れている。
「けど、帰ってくるときに思い出すのが、泣いているミミちゃんなのは嫌だな」
その言葉を聞いた途端、ミミちゃんが目を乱暴に擦って涙を拭う。
顔に力を入れて、必死に泣き止もうとしてくれた。それでもひっく、ひっく、と嗚咽は出てしまっている。
「ありがとう。ミミちゃんが泣き止んでくれたから、お守りを上げる」
そうして、用意していたものを取り出す。
本当は昨日渡そうと思っていたが、旅立つことを言うと怒って部屋に籠り、渡せなくなってしまっていた。
「はい、絶対に枯れない花だよ」
白い六枚の花弁を持つ百合の花。
紙で作ったそれは、たしかに枯れることはない。村でも小さい子たちに、よく作ってあげていたことを思い出す。
それを見たミミちゃんがまた泣きそうになるが、ぐっと堪えている。そのままに、俺の手から百合を受け取ってくれた。
「枯れないけど、ミミちゃんが泣いてばかりだと萎れちゃうかもしれないから、泣いてちゃダメだよ?」
ぶんぶん、と勢い良く頷いてくれる。涙を堪えたまま。
それがどうしようもなく愛おしく感じて、優しく頭を撫でた。
「またね、ミミちゃん」
手を放し、立ち上がり、振り返って船に足を向ける。
もう止まらずに、一歩一歩、歩んでいく。
後ろから、女の子が大声で泣く声が聞こえた。
ちゃんと俺が見ている間は我慢してくれたんだ。
本当に優しい子だ。
船が出る。
それに乗って遠ざかる俺と、手を振って見送ってくれる人達。
離れていく。
船着き場も見送る人達も霞んだ頃、湖の方に目を向けると朝日が昇っていた。
始まりを告げられたかのような気持ちになる。
「……泣いておるのか」
「朝日が目に染みただけだよ」
隣にいるフィルミナに、そう返した。
薄明の空が明け、朝日の中を鬼が二人、旅立った。
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