幕間

残された人達

「もうつかれたよぉ……おとうさん……おかあさん……」

 森の中で迷ってしまい、いつも優しい人に助けを求める。


 呼んでもそばにいない。来てくれない。

 来るのは暗闇ばかりで、周囲にあるのは密集した木々だけ。


「うぅ……」

 歩き疲れた足と全身の疲れ、それに負けてついに座り込んでしまう。


 森で遅くまで遊んでいた私が悪い。

 その日は珍しい花や鳥をよく見つけられ、つい暗くなるまで夢中になっちゃったんだ。


「……ぅ、ぅぅぅぅ」

 座り込んで見回した周囲は、普段の見慣れた森とは全く違った。

 薄闇に染まった木々は不気味で、今にも自分に襲い掛かってきそうに感じた。


「うっぐ、う……うぅ……」

 もうダメ。

 喉が引き攣って苦しい。目頭が熱い。

 不安と恐怖で胸が潰れそう。



「……カリーナ、だいじょうぶか?」



 幻聴だろうか?

 仲が良かった男の子の声が聞こえた。


「カリーナ?」


 もう幻聴でもなんでもよかった。

 ぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げると……


「どこかいたい?」


 濡れて歪んだ視界、その中に見慣れた男の子の影があった。

 涙でまともに映らない中でも、すぐにわかった。


「もうへいきだから……」


 涙を拭ってみると、見慣れたはずの男の子はボロボロだった。

 黒い髪はぐしゃぐしゃに乱れ、服は泥と土で色が変わり、腕や足に擦り傷や切り傷が無数に出来ている。

 けど全部何でもないことのように、笑いかけてくれた。


 その姿を見て、さっきとは比べ物にならないくらい喉が苦しくなって、瞳が熱くなった。


「かえろう?」

 差し伸べられた手、それに手を伸ばして……その男の子の名前を呼んだ。











「……セス君」

 その男の子だった――今はもう手足も伸びて青年になった――人の名前を呼んだ。

 けど、もう届かない。



 去って行ってしまったから。



「た……助かったぞ!」

「助かったけど、あの……セスは……」

 ……うるさい。



「あれがセスなはずがない! すぐに本物を探さないと……」

「あいつがセスじゃなければ誰なんだ!」

 うるさい。



「あの死骸を見ろ! あいつならあんな事が出来るはずないだろう!」

「それは、そうだが……じゃああれは『何』で、どうしてセスの姿をしていたんだ!」

「知るわけないだろ! セスだったとしても、もう私達の知っているセスじゃ……」



 うるさい!



「どうして、そんなことが言えるんですか!」

 熱い。

 自分でも驚くほどの大声が出た。


「セス君は私達を助けてくれたんですよ? あの魔物と必死に戦ってくれたんです!」

 収まらない熱のままに声を張り上げる。


「少し怖かったけど、魔物を倒した後のセス君を見なかったんですか? 私達を、私達に何もしなかったじゃないですか!」

 熱い熱い熱い。

 胸の奥から、言葉が止まらない。


「それどころか……私達に、手を伸ばしたじゃないですか。助けを求めるみたいに、私達に……受け入れてほしそうに……」

 もう言葉だけじゃない。瞳からも涙が溢れている。

 止まらなかった。


「それだけだったのに……どうして、そんなひどいことを言うんですか……」

 熱が喉にまで回ってきて、言葉が出なくなってくる。

 それとは逆に涙が止まらない。

 怒りの熱を吐き出すと、今度は自分への不甲斐なさが沸いてくる。


 セス君の目。

 きっと私が森で迷った時も、あんな目をしていたんだと思う。けど私は見つけてもらえた、手を取ってもらえた。



 じゃあ、セス君は?



 否定の言葉と石を投げられた。


 その時の表情と目が焼き付いて離れない。

 駆け出して手を取ればよかったのに。血塗れの姿にも、蝙蝠なんかにも負けないで。


 私が弱くて、臆病で、どうしようもなかったから……出来なかった。

 体の芯から力が抜けて、膝から崩れ落ちる。


 ほら、これだ。

 今からでも遅くないって、立ち上がって、追いかけないといけないはずなのに……

 力が入らない、涙と共に何もかもが抜けていくかのような感覚。

 立ち上がらないと、泣いて叫んでばかりじゃなくて……出来ることをしないといけないのに。


 何よりも、座り込んで泣いている自分に一番腹が立ってくる。




「ありがとう、カリーナ。あの子のために泣いてくれて……」

 静かにそう語りかけてくれたのは、テオドール神殿長。セス君の育ての親でもあって、彼が恩を返したいと言っていた人。


「皆、無事ですね。神官長、間違いありませんか?」

「えっと……はい、魔物は村にまだ入っていませんでしたから……」

 急に問いかけられた神官長は、少し詰まりながらもその問いに答える。


「そうですか……ならば、やはりあれは私達がよく知るセスです」

 周囲がざわめくが、テオドール神殿長はそれに一歩も引かなかった。


「……皆、あの魔物の死骸を御覧なさい。あれが今も生きていたら、どうなっていましたか?」

 ざわめきがぴたりと止む。


「私は生きていなかったでしょう。皆さんも、生きていられたかどうか怪しいと思います。そんな魔物を一人で打ち倒した彼は……罵倒と石を持った私達に、何もしないで去りました」

 人じゃなくて、風と虫の自然の声だけが止まないでいる。

 みんなが神殿長の話を聞いていた。


「彼が……私達を大切に思い、ただ魔物から守ろうと戦ってくれただけだという証拠です」

 もう誰も何も言わなかった。

 ううん、言えなくなった。全部……その通りだと気付かされたから。


「セスが何かの力を借りたのは確かでしょう。それは魔性の力だったのかもしれません。ですが、そうしたのは全部村を守るための選択だった……少なくとも、私が知るあの子はそういう子です」

 そう、セス君はそうする。出来ることがあるなら必ずそれをする。私が知っている彼は、絶対にその選択肢を取る。


「……私、が……私のせい、か?」

「いや、最初に石を投げたのは……」

「けど、あんな……仕方ないだろ!」




「お止めなさい!」




 神殿長が一喝する。

 いつも温厚で、優しい微笑で、声を荒らげるところなんて見たことがなかった。村のみんなも同じみたいで、黙るしかなくなった。


「今ここにいる全員、セスがその身を賭けて守ってくれた命です。そんな……かけがえのない人たち同士で、諍いを起こすなど許されません」

 ああ、そっか……私の命も、そうなんだ。

 またセス君に助けてもらったんだ。


「皆が突然のことに混乱していました。誰にも責はありません。それでも、どうしても納得が出来ないのなら……まずは私に唾を吐き、石を投げなさい」

 ざわつきはなかった、けどみんなが息をのむ気配が伝わる。




「あの場で私がやるべきことは……カリーナが見た通り、あの子が伸ばした手を取ることでした。そして……『助けてくれてありがとう』という言葉をかけることでした」



「私とセスの血は繋がっていませんが、それでもあの子は私にとってかけがえのない家族です。そんな子が救いを求めて伸ばした手を取れずして、どうして父親を名乗れましょう」



「そしてセスに頼らねば、神殿も村も碌に守れなかった。神殿長などという地位に甘んじて、いざという時には何の役にも立てませんでした」



「父としてあの子の話を聞くことも出来ず、神殿長として魔物の襲撃にすら無力だった。真に恥ずべきは私、テオドール・アポートルです」




 虫と草のざわめきだけが残る。

 誰も……どんな人も、言葉を挟めなかったと思う。


「……皆さん、今日は疲れたでしょう。各々自宅に戻って休んでください。眠れないようなら、軽く飲酒も目を瞑ります。あとのことは……私が引き受けます」


「引き受けるって……何をなさるおつもりですか?」

「まずは王都にある神聖殿に報告を……その後は神殿にある結界石や、その他諸々の点検をします」

 同じだ。

 テオドール神殿長も同じように……出来ることを必死にやろうとしている。セス君がいなくなって、辛いはずなのに頑張っているんだ。


「待ってください。私も……手伝います」

 自然と言葉が出た。

 手を取れなかった、追いかけられなかった、その罪悪感と無力感から逃れたくて。



 なによりも……私も立ち上がらなきゃいけないと思ったから。



「いえ、カリーナはもう休みなさい。『神託』に今の騒動に、疲れたでしょう」

「やらせて下さい! 結界石の点検ならいつもやっています! それに……」


 セス君が同じ立場なら、きっと同じようにしたと思うから。

 また胸が痛む。

 けど、もう負けていられない。


「今は、何かしていたいんです」

「……わかりました。では結界石の点検をお願いします」


「私にも手伝わせてください」

 その会話を聞いて、神官長が進み出てきた。


「感謝します。でしたら、カリーナに付いてあげて……」

「いえ、それなら自分が付きます。神官長は神殿長の補佐を」

 今度は神官――よく私達の講義を担当してくれた人――が進み出る。


「待って下さい、俺にもできることがあります」

「私もお手伝いします」

 次々とみんなが進み出てくる。


「皆さん、感謝します。ですが神殿守の子達は、夜が更ける前に休んでください。なるべく数人で固まり、神官の人達が気を配るようお願いします。そして……」


 神殿長が進み出てくる人たちに、的確に指示を与えていく。


『……』


「えっ?」


「カリーナ? どうかしましたか?」

「あ、いえ……なんでもありません」


 神殿長が「そうですか? 何かあれば遠慮なく申し出てください」と言ってから、再びみんなに仕事を振り分けていく。




 誰かの声が、聞こえた気がした。


 その声は……でも、言われるまでもない。




 もう私は、座り込んで泣いているだけにならないから。

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