願いと今日の約束 後編

 脚は動いている。いつもの通りに村を外れた森へと向かっていた。

 だが、頭はほとんど働いていなかった。


 『恩恵』を授かった者は、王都で特別な教育と訓練を受ける。

 この田舎にはいられないということだ。

 ただし、本人とその家族は何一つ不自由がない保証を受けることが出来る。


 カリーナと、会えなくなる。


 王都へは距離がある。馬を使っても数日かかるくらいに。

 孤児で神殿長のご厚意に甘えている自分には、それは距離だけじゃなくて労力や時間も無視できない。

 その現実が重くのしかかってくる。


 さっきからそのことが頭の中を巡って離れない。

 歩きながら一つ深呼吸をする。

 残念ながら気休めにもならなかった。胸の苦しさは全く変わらない。


 別に、恋人なんてわけじゃない。

 ただよく話して、遊ぶことが多くて……カリーナが、彼女が『恩恵』を授かれたなら……喜ぶべきで……



「セス君」



「カリーナ……」

 フードを被ったマント姿のカリーナがいた。

「やっぱり、森の方に向かってたんだ」

「え、やっぱりって……」


 フードの奥から、笑顔をのぞかせたカリーナが目の前まで歩いてきた。


「気付いてなかった? セス君、最近は森の方によく散歩してるよ」

 しまった。

 なるべく人目につかないようにしてたはずだけど、甘かったか。


「あ、大丈夫だよ。多分、私以外は気が付いてないから!」

「え?」

 カリーナの顔が真っ赤になった。


「あ、ちが、あのね! そういうんじゃないの! ただ、他の人もあまり見てないって言ってたから! だから人目につかない森のほうによく行っているんだろうなって! それだけ! 本当にそれだけだから!」

「あ、はい……」

 普段と全く違う様子で一気にまくし立ててきたカリーナに圧される。


「……」

 気まずい……なんか言えよ、俺。本当に気が利かない男だな。


 すー、はー、と空気の流れる音がした。カリーナが大きく深呼吸している。

「少し、話せないかな?」

 呼吸を整え、頬の赤みが引いたカリーナが言った。











 森から村まで流れている川、そこの土手まで来た。夕暮れとまではいかないが、小さい子供はもう帰る時間だ。人気はほとんどない。

 適当な場所に並んで腰を掛ける。


 やっぱり気まずい。

 ここに来るまで一言も話さなかったのも、それに拍車をかけている。


「……ねえ、憶えてる? セス君が私を助けてくれたこと」

「え、あー、うん、小さい頃の話だろ?」

 そう言えば一昨日、そんなこと言っていたな。あの時、『神託』がどうなるかも話していたんだっけか。


「うん、最初はそう。私が迷子になっていたのを助けてくれた」

 ……『最初』は?

 横目で見ても、カリーナの視線は川に向けられ続けていた。


「あの後も、セス君は他の子に馬鹿にされても一緒にいて助けてくれたよね」

「……そんなことしたかな?」

 一緒にいて馬鹿にされたのは覚えている。

 小さい頃は女の子と一緒に遊んだりすると、何故かオカマだの『そいつが好きなんだ~』とからかわれるものだ。

 だけど、助けたとはどういうことだろう?


「うん、私が転んだ時も手を貸してくれた」

 あったな。

 たしか手を貸して、擦りむいた膝を消毒したんだっけ。


「お弁当を忘れちゃったときも分けてくれたよね」

 覚えてる。

 丁度料理に慣れて、弁当を自分で作り始めた時で心底『よかった』と思ったんだ。


「他の子が早退して、掃除が終わらなかった時も手伝ってくれた」

 そりゃ手伝うだろ。

 むしろ手伝わない方がおかしい。


「……他にもいっぱいあるよ?」


 不意に向けられた視線に驚く。澄んだ栗色の瞳、その中に一つの感情が見えていた。


「……王都に行くのが不安なのか?」

 自然と言葉が出た。


 カリーナの眉根が寄る。

 気のせいだろうか? 不安の他に違う感情が瞳に混じった気がした

 「はあ……」とため息をついた後、視線を再び川の方に向けてしまった。


「うん、ずっと前に王都に行ったことがあるでしょ? あんなところで私なんかがやっていけるのかな……って」

 カリーナが言っているのは、神殿守になる時の話だ。

 10歳になると一度は王都の神聖殿に行って、『洗礼』を受けなければならない。これを受けてから、正式な神殿守として仕えることが出来る。



「王都はでかいし人もいっぱいいたからな。不安になるのも仕方ない」

 当然、一人一人ではなく神官長に引率されて纏めて訪ねる。自分も同じように行ったのだ。


「……」

 再び沈黙。

 カリーナはここに座り込んだ時と変わらない格好だ。



「俺は、神官長になりたいんだ」

「え? 神官長?」

 カリーナの視線が川からこちらに向いて、お互いの視線がぶつかった。


「ああ、神官長になってテオドール神殿長の負担を少しでも軽くしたい。俺を拾って育ててくれた恩を返したいんだ」

 自分の長く伸びた黒髪を摘まんで、カリーナに見えるように弄ぶ。


「髪を伸ばしてるのは、その願掛け」

 洗礼を受けて正式に神殿守になってから6年間、手入れはしているが切ろうとはしなかった理由を、初めて誰かに打ち明けた


「そう……だったんだ」


「だけど、神官長になりたい理由がもう一つ増えた」

 カリーナの反応も待たずに続ける。

「神官長になったら、『洗礼』で一年に一回は王都に行ける」

 先程の洗礼のこと。

 「あ……」と、カリーナの表情が変わる。


「それに神官長は、希望さえすれば『勇者』の補佐が出来る」


 そう、神殿長は神殿のことに注力しなくてはならないが、神官長は神殿のことだけではない。『洗礼』や神官の取り纏めが主だが、本人が希望すれば『勇者』の補佐になって、共に旅をすることもできる。

 『勇者』の補佐だとテオドール神殿長を手伝えないが、まああの人ならそうしろというだろう。


「だから、あんまり不安になるな」

 恥ずかしさで視線を川の方に向ける。


「……うん」

「それと、あれだ。俺が神官長になって会えたら、また湖にでも行くか」

 『洗礼』を受ける旅の途中に湖がある。

 この村から王都に向かうときは、そこに寄ることになるのだ。神官長の引率の元、そこで子供たちが休憩を兼ねて遊ぶのも、もはや恒例となっていた。

 深い理由があったわけじゃない。カリーナが湖をみて感動してたことを思い出しただけだ。


 これで、少しは元気づけられるだろうか?


 恐る恐る横目でカリーナを見ると、顔を膝に埋めてしまっていた。栗色の髪と耳くらいしか確認できない。

 しまった、無責任すぎたか……?


「……うん、約束だよ」


 膝に顔を埋めつつ、カリーナが震えた声で答えてくれた。

 もう何か言うべきではないし、何も言えないということくらいは俺にだってわかる。


 ただ、カリーナの肩の震えが収まるまではこうして隣に居よう。








 これが、今日。

 『ついさっき』に繋がる、誓いに約束を重ねた記憶。


 必ず叶えようと、守ろうと……出来ると思っていた。

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