3-7 智奈と迷子のロクリュ
霧亜にしか見えないその塔は、芙炸たちにも見えていなかった。
おそらくその塔が白虎のいる塔であると考え、智奈たちは塔の麓へと向かった。
霧亜は、こみえ一族である証の白い髪の毛がメネソンでは目立つということで、第一の世界で変装していた灰茶の髪に変えている。第一の世界での霧亜の印象だった髪と目を改めて見て、智奈は懐かしい思いに耽けった。
もう、兄の白い髪と青い目を見るようになって、数ヶ月が経つ。
霧亜のいう方向に、ひたすら向かう。
街を抜け、平原を抜け、更に別の街も抜けて、突き進む。
霧亜のいう視界ジャックをされた時、智奈の目には、メネソンの中心辺りに黒い塔がそびえ立っていたように見えるが、歩けども歩けども、霧亜はまだ先にあると言い出す。何度か、各々霧亜の視界を見せてもらって確認するが、確かに塔はまだ遠い。
「そろそろ、メネソンを囲ってる山脈着いちゃいそうだよ」
ナゴの背に乗り、智奈の後ろにいるラオが言った。
青龍に乗って上から見た限り、メネソンはガンほど大きな島ではない。
霧亜の指示するままに突き進み、ラオの言う通り、メネソンを囲む連なる山脈の麓までたどり着いてしまった。
「この向こうに見えるのか?」
ナゴの背に、ラオの後ろに乗る能利が言った。霧亜はアズの足に乗っている。
ザンリがラオと帰ってきたため、当たり前の様に能利はザンリを獣化させようとした。が、「青龍様の鱗がまだ着いているかもしれん。そんなのが私に触れたら蒸発してしまうわ」と、意味不明な言い訳をして能利が乗るのを拒否し、ザンリは芙炸と曄のいるサバノ亭に残っている。
「やっぱ嫉妬してたか」
能利は呆れて、ナゴの後ろに乗りこんだのだった。
「え、待て待て。通り過ぎた」
塔が見えているのは霧亜しかいない。霧亜に従って、一行は来た道を戻る。しかし、ある程度戻った頃には、「あれ、また通り過ぎた」という霧亜の言葉だけ。
芙炸たちのいる街から平原を超えて別の街へ入り、山脈に近付いたところでUターンして戻ってきた時、一行は霧亜への不満を爆発させた。
「いい加減にしろ」
「どこにあるの、その塔」
「霧亜物覚え悪いよ!」
「足疲れたわよ」
「腕も疲れたっす」
口々に不満を言われ、霧亜はたじろいだ。
「しょうがないだろ、通り過ぎるんだから。お前ら、見えないからって煩くすんなよ」
芙炸たちのいる街とはまた別の街の真ん中で、ナゴとアズはついに獣化を解いた。
「行くあてのない移動ほど疲れるものはないわ!」
ナゴはぷりぷりと怒って智奈のマントをよじ登り、首に巻き付く。
「根性ないのねー、哺乳類のくせして」
能利のフードの中にいるクズネは前足を楽しそうに動かす。
「なんとでもいいなさいよ」
ふんとナゴは息をつくと髭をヒクヒクと動かす。
「ごめんって」
霧亜は、肩に止まったアズの翼をかいてやりながら、街の遠くを見つめる。
「あの辺に見えるんだけどな……」
「あきのちなだ! こんにちは」
後ろから少女の声が聞こえた。
振り返ると、オレンジに輝くふわふわで長い髪のツインテール。クリクリの大きな黄色い目。ふわふわのワンピース。
挨拶をしてきたその子は、青龍のいた青い森で、智奈を殺そうとしてきた一味と一緒にいた、小さな少女だった。
恐怖が蘇り、智奈は霧亜のパーカーをぎゅっと掴んだ。
「あれ、船に乗ってた子じゃん。なんでこんなとこいるの」
ラオは、自分よりも小さな少女に視線を合わせて屈む。ラオが頭を撫でると、少女はにっこりと可愛らしく微笑んだ。
「迷子になった!」
それは大変だ。あの一味を探してやらねば。とはさすがになれない。あの男女に、智奈は殺されかけたのだ。
「殺し屋の仲間じゃねえか。仲間くらい自分で探せよ」
霧亜が言葉を吐き捨てると、少女は霧亜の顔を見上げ、うるうると瞳を潤ませる。
「しゅーも、くいも、どっかいっちゃったんだもん。わあ、わかんないんだもん」
ラオは霧亜に冷ややかな視線を送る。
「見損なったわ、霧亜」
霧亜は少女の涙にぎょっとして、慌てて地に膝をついて、少女の小さな両手をとる。智奈の手が、霧亜から離れた。
「ごめんごめんごめん、お前は何もしてないよな、そうだよな」
確かに何もしていない。が、智奈を見つけ、声を上げて男女二人を呼び出したのは紛れもなく彼女だ。
「お前じゃない! ロクリュ!」
腰に手を当てる少女——ロクリュは、眉を吊り上げた。
「はいはい、ロクリュな」
霧亜は呆れたようにロクリュの頭に手をぽんぽんと置く。
ロクリュは智奈たちの顔をじっと見回し、能利を見ると笑顔を見せた。
「わあね、この人あの森にいたの知ってるよ。あなたのお名前知りたいな」
能利の顔を覗き込むロクリュ。能利は何故自分が懐かれているのかわからない様子で、眉をぴくりと動かす。
「能利」
「のりね! わあ、のりのことだーい好き!」
と、能利の手を取ると、ひしと能利の腕を抱きしめた。
「なにこのじゃじゃ馬。あっち行きなさいよ」
クズネが、能利のフードから飛び出すと、ロクリュに向かって威嚇のポーズをとる。
ロクリュは、怖がることなく能利の腕を抱いたまま、じっとクズネを見る。黄色く、動物的な彼女の瞳が、クズネを捕える。クズネは何も言えずに、足をしまい込んで小さくなった。ロクリュの勝利だ
そういえば、このロクリュという少女、能利の瞳の色と似ている。能利の方が琥珀色で、赤みがかっているが。まさか血縁者だろうか。能利は、初めて会ったような態度だが。
「青龍さんの次は白虎さんのとこ行くの? わあも行く!」
少女の言葉に、一同は驚いた。いつから聞いていたのか。何故知っているのか。
「どうして知ってるの?」
智奈が聞くと、ロクリュは黄色い目を細め、自信に溢れた顔を向けてくる。
「わあは、なんでも知ってるもん!」
「でも、この子をあの人たちが探してるかもしれないんでしょ。会わなきゃいけないかもしれない」
また、あの智奈を狙ってきた二人に遭遇したくはない。
「大丈夫よ、あきのちな。きっとわあのこと探してないもん」
ロクリュはそういうと、小さな手で智奈の両手を取った。
「怖くないよ。大丈夫よ」
不思議と、ロクリュの瞳に見つめられていると、安心する自分がいることに驚いた。この子は、一体何者なのか。
すると、ロクリュの腹から盛大な空腹音が鳴った。
全員の視線をあつめたロクリュは、顔を真っ赤にして腹をおさえる。
「お腹鳴っちゃったね」
もう日も暮れそうだった。
霧亜の見える黒い塔に辿り着けなさそうで、智奈たちは仕方なく芙炸と曄の待つサバノ亭へと戻った。
夕時も過ぎ、今日は居酒屋を開けたのか、
サバノ亭は様々な体術師で賑わっている。
智奈たちは邪魔をしないように、裏庭から戻った。
「また可愛らしいお子様が増えて! 腕の振るいがいがあるわね」
芙炸と曄は店に立っていたが、智奈たちの夜ご飯をしっかりと大量に作ってくれた。
昨日よりも、智奈が手伝ったものが多い。
芙炸が山脈を超えたラオを労い、また豪華な食事が用意される。
「おいしいねえ、これちなが作ったんでしょう。すごいおいしいねえ」
ロクリュは、頑なに能利から離れず、能利の隣の席に座っている。口の周りをベタベタにしているところを、能利に紙ナプキンで拭かれていた。
ラオは霧亜と張り合って料理をかき込んでいくが、途中でギブアップを宣言した。
「やっぱ無理だー!」
ラオは椅子に仰け反って両手を上にあげた。
「オレに勝とうなんざ百年早え」
まだ余裕そうな霧亜が、ラオの残した残飯を処理していく。
「くっそー、化けもんだ」
「あと、どのくらい食べれる? 霧亜くん」
曄が、居酒屋に繋がる
「いただけるなら、まだまだ」
霧亜の言葉に、曄は満面の笑みを浮かべて、首をひっこめた。
本当に、化け物の胃袋だ。
白虎の塔の捜索はまた明日にすることにして、一同は再び眠りにつこうとする。
「ここは託児所か」
ぼやきながら、能利はラオとロクリュを部屋に入れ、扉を閉めた。
昨日と同じ部屋に戻り、智奈はベッドに座って一息つく。今日も、濃い一日だった。
「智奈」
呼ばれて、智奈は顔をあげると、髪色を白く戻した霧亜が、深い青色の瞳をこちらに向けているのと目が合う。
お父さんと、同じ色。少し、お父さんよりは薄いかもしれない。
「ロクリュいて、大丈夫か? 連れてきちゃったけど。お前、やっぱ怖いんじゃないかと思って」
怖くない、と言えば嘘になる。あの体験は、智奈史上かなり怖かった経験にランクインされる。その感情とは別に、ロクリュと一緒にいて、安心する不思議な感覚もある。
「ロクリュは、大丈夫だよ。可愛いし、癒されるよね」
言葉を選んで、智奈は霧亜に伝えた。
ここで、嫌だ。ロクリュとは一緒に痛くない、と言ったらお兄ちゃんはどんな行動をとってくれるのか。
霧亜は、眉を顰めて智奈を見続けた。
その目に気圧され、智奈は隠していた一つの事実をポロリと口に出す。
「皆が、ロクリュの話をするから、ちょっと嫌だったかも」
それを聞いた霧亜は、一瞬固まり、声を上げて笑い飛ばすと、身を乗り出して智奈の頭をこれでもかというほどに撫でる。
「お前可愛いとこあるなあ!」
「うるさい!」
霧亜の手を振り払う。
壁がドンドンと叩かれる。
「うるさーい」
ラオが壁越しに声を上げた。
「お前ら聞け! オレの妹可愛かった!」
「ねえやめてってば!」
「智奈は可愛いよ!」
「あきのちな可愛いー」
能利のため息がこちらまで聞こえる気がする。
そうだよなあ! と霧亜は同意の言葉をひたすら喚く。
もう、このお兄ちゃん嫌い。
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